22 地上の楽園①
【前回のあらすじ】
あぁ、ようやくグラウンドエデンに向かってくれる……
(カナタ、心からのつぶやき)
ロゼを見送り、グラウンドエデンに向けて移動しているリトルキャッスル内では昼間の戦闘が無かったかのようなのんびりとした雰囲気が漂っていた。
グラウンドエデンの周辺は賞金を付けられた人間を狙う賞金稼ぎが息を潜めているため、本来なら何処で恨みを買って賞金を懸けられているか分からない2ndのような傭兵にとっては気の抜けない場所である。
しかし今の2ndに掛けられている賞金はHKG社内限定の賞金であることは入念に確認済みで、外部の人間が2ndの首を持ち帰った所で一文の得にもならないため誰からも狙われる事はなかった。
それを知る2ndも暢気なもので、他の傭兵仲間が周囲の警戒に神経を尖らせながら進んでいる道を電子書籍を読みふけりながら過ごしていた。
「ねぇ、セカンド。グラウンドエデンには何しに行くの? お仕事?」
お気に入りのソファーに横になりながら文字を目で追っていた2ndに佳奈が聞く。
近くから聞こえた佳奈の声に反応して2ndが体を隅に寄せると、ソファーに生まれた隙間に佳奈が腰掛ける。
2ndが腰掛けた佳奈を見ると両手にはそれぞれ水の入った容器があり、片方の容器を2ndに差し出した。
「ありがとさん。それで、グラウンドエデンに行く理由だっけか、前に言ってなかったっけ?」
「言ってないよ」
「そうだっけか?」
「うん、言ってない」
受け取った容器に口を付けながら過去の記憶を掘り起こしてみるが、2ndは言ったような気がしていた。ただそれも無いと他人に言われてしまうと、そんな気がしてしまう程度のあやふやさだった。
2ndは念のためM-2にも聞いてみるが、過去の会話ログには該当する会話は何もないという返事が返ってくる。
言ってなかったかと一人納得していている2ndだったが、M-2とのやりとりを傍で聞いていた佳奈は信用してないのかと2ndの脇腹を殴りつけてくる。
緊急治療キッドで治療されているとはいえ、2,3時間で傷が治るわけではなく痛みも完全に消えてはいなかった。例え怪我の絶えない生き方をしている2ndとは言え、痛いものは痛かった。
「悪かった、俺が悪かったから止めてくれ。それ意外と傷に響く」
佳奈の小さな拳を受けとめた2ndに、佳奈が顔色を青くする。
死ぬような怪我でもなく、鎮痛作用のあるスプレーを吹きかけた事もあって痛くても我慢できないものではなかったが、佳奈にしてみれば大怪我をしていった人間に暴力を振るっているように思ったのだろう。
青白い顔色で必死に謝ろうとした佳奈を2ndは止めようとするが、それよりも早く第三者が二人の間に介入した。
「え、えっと、ごめんな―――」
《止める必要はありませんよ、佳奈様。それどころかもっとやってしまっても問題ありません》
「なんで被害受けてないお前が止めない所か推奨してるんですかねぇ」
素知らぬ顔―――実際には顔に該当する部分はないが―――で宣言するM-2に2ndは呆れた表情を作って文句を言う。
《平常通り私の発言に他意はありませんよ。ただ2nd様と通信できなくなってから佳奈様がどれほど心配されたかもご理解されていらっしゃらない様子でしたので。
しかも怪我をされてお戻りになられた後も心配されているのを余所にロゼ様と歓談されている様子を見せられていた佳奈様が御可哀想だとか、そんな佳奈様に対する言葉遣いがなっていないとか。
このM-2断じて思ってもおりませんよ》
「お、おう。そのセリフはそう思っている奴の言うセリフなんだが……そうか、考えてみればM-2の言う通りだな」
少しは言い返そうかと口を開きかけるが、直ぐに閉じる。2ndがチラリと佳奈の様子を見ると、M-2の言葉に嘘はなさそうだったからだ
ただ2ndとしても言いたい事が無かった訳ではない。
傭兵として活動するようになってから今回よりも酷い怪我を負う事も珍しくなく、また長い期間を一人で過ごしてきたため誰かに心配されるという事は皆無だった。
M-2に出会ってから心配の言葉を掛けられる事も極々稀にあるが、M-2は佳奈のように生きた“ヒト”ではないためその実感も薄い。その為、誰かに心配を掛けるという考えすら思い浮かばないのも仕方がないと言えば仕方がなかった。
それに戦闘の疲労と興奮で若干苛立っていた事も佳奈と接する時の態度に影響していた。
しかし目の前で泣きそうになっている佳奈には2ndの言い分など関係が無く、またM-2が欲している言葉も違うのだろうと流石の2ndでもすぐに分かった。
だから2ndは悪かったなと一言謝って佳奈の頭を可能な限り優しく撫でる。
佳奈も不注意だったと謝罪の言葉を口にする。お互いに謝り、僅かな間が二人の間に生じる。そして何となく可笑しくなった二人は穏やかな笑い声をあげるのだった。
一頻り笑いあい、落ち着いたのを見計らって持っていた水で喉を潤した2ndは口を開いた。
「それで、グラウンドエデンに行く理由だっけか?」
「うん」
「そうだな。しかし何て言えばいいのか……まぁ仕事では無いのは確かだな」
2ndが訪れたい場所はグラウンドエデンではなく、その先にある移動工房だった。
しかし移動工房の拠点となっている街は前時代の人類存続を掛けて作られた自動徘徊都市の中にあり、常に移動し続ける特殊な立地にあった。
直接向かおうにも都市の徘徊には所定のルートがある訳でもないため、下手な事をすると数年単位で立ち寄れない事も珍しくない。
ただそんな移動工房だが全てが異なるルートを徘徊していたのでは物資の補給もままならないし、なにより仕事にならない。
その為、移動工房は毎年同じ時期に所定の街に接近して数日間はその場にとどまり続ける。
明確な日取りや場所が決まっている訳ではないが、この時期はグラウンドエデンに最も近づき、グラウンドエデンから更に2日ほど装甲車を走らせた重汚染度地域に10日ほど留まりつづける。
そしてその際にはグラウンドエデンの一部に移動工房接近の知らせが届き、伝手のある人間だけがそれを知り、行く事が出来る。
「じゃあ、2ndは何をしに移動工房に行くの?」
移動工房についての説明を終えた2ndに佳奈は純粋な疑問をぶつけるが、2ndは茶目っ気たっぷりに片目を瞑る。
「それは、行ってみてのお楽しみって―――」
《新たに製作した機動殻を回収に行くのですよ、佳奈様》
「ちょっと、なんでそこで答えを言っちゃうんですかねぇ、M-2さんや。お披露目の時に驚かそうと思ってたのに!」
思わず大きな声が出て佳奈がビクリとさせてしまったが、2ndは気にせずM-2の本体が格納されている天井部分を睨めつける。
しかしどんなに2ndが恨めし気に天井を見ようともM-2は弁明どころか言葉すら発さなかった。
「……まぁいいや。機動殻の回収の他にもこの装甲車とか義体の整備もしに行くんだよ」
2ndは大きくため息を吐き出すと、いつもの事かと諦める事にした。佳奈も特に気にした様子もなく小首を傾げている。
「グラウンドエデンじゃ整備できないの?」
「うーん、出来ない事はないけどチョイとばかし問題があってな。あんまり町の中ではそう言う事はやりたくないんだ」
「どうして?」
「まず下手な技師にやられると不調の原因になるってのもあるが、そいつがどんな奴と繋がってるか分かったもんじゃないからな。武器ぐらいしか金目のものが無いって言ってもレイダー共からしたら宝の山だ。発信機でも付けられて街の外で襲われたら大惨事になる。
それに街の中でやるとそれなりの金が動くことになるからな、足が付きやすいんだ」
「あし?」
「あぁ。傭兵として活動してるとどんなに細心の注意を払ってても争いに首を突っ込む以上は色んな奴の恨みを買うからな。俺に恨みを持ってる奴が血眼になって探してるかもしれないから、なるべく目立たないようにしたいんだよ」
佳奈にはちょっと難しかったかと苦笑いを浮かべながら2ndは少女の頭を撫でるが、撫でられた佳奈は馬鹿にされたとでも思ったのか、両頬を膨らませて抗議の視線を2ndへ向ける。
しかし2ndは数時間前までしていた命のやり取りで神経をすり減らしており、佳奈の愛くるしい姿を見てやさぐれた心を癒すように頭を撫でる。
挙句の果てには膨らんでいる佳奈の頬を突いて遊び始める。
抗議の色が強くなるのも構わず2ndは佳奈を撫で繰り回すが、さすがに佳奈の表情が険しく成りすぎたのを見てM-2も交えて佳奈にも分かるように噛み砕いた説明をすることにした。
「それに移動工房にいる技師のほとんどはユニオンお抱え技師にも劣らない腕を持ってるから、それを知った後だとどうもコープだとかにいる二流技師に任せる気も起きないんだよ」
「そうなんだ」
9歳児にも分かりやすく説明するのにはかなり時間を要したが、2ndは最後にそういって締めくくる。2ndがふと時刻を確認すると、佳奈への説明を始めてから既に一時間近い時間が経過していた。
「おい、M-2。今どの辺走ってるんだ?」
《現在グラウンドエデンから南東に3キロの地点ですが、それがどうかいたしましたか?》
2ndは慌てて飛び起きると液晶画面を見ながら問うと、M-2の返答に胸をなで下ろした。その様子に佳奈は首を傾げ、M-2ですら無言ながら怪訝な雰囲気を醸し出している。
しかし2ndはそんな二人を気に掛けた様子もなく、車内にある荷物入れを漁って大気測定器を引っ張り出すと車外の空気を測定し始める。
「どれどれ、外の空気はっと……お、この様子なら佳奈も外に出ても問題なさそうだな。佳奈、ちょっとこっちに来な」
「なに?」
「ちょいと佳奈に見せたいものがあってな」
専用の空気穴から外気の汚染度を測定していた2ndだったが、表示された数値を見て問題ないと判断して佳奈を呼ぶ。
呼ばれた佳奈は一体何をしているのかと気になっている様子だったが、2ndに聞いても内容までは話してくれず、諦めた佳奈はわずかに警戒しながら2ndの傍まで歩いてくる。
傍らまで来た少女の頭を一撫でした2ndはちょっと離れてろと言うと天井にある取っ手に取り付き、逆上がりの要領で取っ手の直ぐ近くにあった非常用ハッチを蹴り上げる。
そのまま外に出た2ndは非常口を覗き込み、車内で呆然と2ndの事を見上げている佳奈に手を伸ばす。
佳奈は逡巡するが、直ぐに何かを諦めて2ndの手に飛びついた。
そしてゆっくりと引き上げられた佳奈が外に出ると―――
「わぁぁあああ!!」
―――目の前に広がっていた絶景に感嘆の声を上げた。
赤茶けた露出した地面に、点々と生える雑草。
大きなカーブを描いてグラウンドエデンへ続く道と列を成す車。
全貌すら掴めないほど延々と続く長く巨大な防壁。
防壁よりも高く、巨大な浄水場はまるで中世の城のように佇み、夕日に染まった姿は荘厳なものだった。
どれも退廃した世界にはそぐわない幻想的な景色を描き出していたが、佳奈の視線はそれらには一切向けられてはいなかった。何故ならそれよりも美しい景色が、決して見る事が出来ないはずの光景が広がっていたからだ。
何処までも続いているかのように広大で、水底まで望めそうなほど澄んだ色の水で満たされた湖があった。
太陽から降り注ぐ光を反射し、キラキラと輝く湖面と隣接する街がある景色はまさに『地上の楽園』そのものだった。
騒ぐことすら忘れ、ただただ景色を見続ける佳奈に2ndの口角は微かに上がる。
美しい景色や価値のある絵画を見ても、大して心を動かされる事のない2ndですら初めて目の前に広がる景色を見た時は心底驚き、その時の自分の姿と佳奈の姿が重なって見えて懐かしくなっていた。
どれほど景色に見とれていたか、グラウンドエデンに近づき周囲を通る車両の数が増えだしてから二人は装甲車の中へと戻っていた。
佳奈を車内に戻す時に渋ると思っていた2ndだったが、予想と違い呆然としながら促されるままに入ってくれた。
「ねぇ、セカンド。なんであの湖はあんなに綺麗なの? それに全然臭くなかったよ?」
ソファーに腰掛け、美しい光景に見惚れて焦点の合っていない瞳でボーっとしていた佳奈が正気に戻ってからの一言目は質問だった。
あまりの惚けぶりに心配していた2ndは思わず苦笑いを浮かべるが、それでも幻想に浸るのではなく現実的な質問をしてくる少女の姿勢に感心していた。
そもそも現在の地球は重度の汚染で大気は淀み、大地は穢れ、水は濁り果てている。広大な母なる海ですらどす黒く濁り、近寄れば鼻を覆いたくなるような悪臭を放ち、触れれば肌が爛れるほどの毒性を示す。
現存するどの湖でも海と同じく汚れきっており、佳奈が見た湖のような綺麗など存在しない。
それが一般的な常識だった。
「あの湖があんなに綺麗に見えるのは、あれが人工的に作られたからだ」
「そうなの?」
「あぁ、まずあの湖には何十種類っていう凝固沈殿薬が入れられてて湖の中にある汚染物質を水底に沈めてある。そんでもって綺麗な湖面に見せる為に表面には厚さ20㎝ぐらいの吸臭性疎水油膜が張ってあって、こいつが水の臭いが外に漏れないように吸収してるんだ。
御かげで見た目は綺麗な湖だが、中身は放置されていた時よりも猛毒でな。表面の吸臭性油膜はちょっとでも触ると皮膚が溶けるし、その下の水に関して言えば凝固剤同士が化学反応を起こして少量でも直ぐに治療しないと死んじまうぐらいのヤバい水になってるんだ。
まぁ、そういってもグラウンドエデンを運営してるコルネオカンパニーは――――」
身も蓋もない言い方をして佳奈の反応を伺っていた2nd。だが佳奈は質問の答えに幻滅した様子もなく、仕組みやそこまでして見た目を良くしようとするのかと言った質問を重ねてくる。
その姿勢に応えるべく2ndとM-2による講義が行われ、気づけばグラウンドエデンも直ぐそこになっていた。
「―――それで、コルネオカンパニーの社長であるドン・コルネオはあの湖を完成させたって訳だ。
まぁ、俺の説明で分からないことも多いだろうから興味があったらグラウンドエデンにある図書館に行ってみると良い。あそこには確か子供でも分かるように湖が出来た経緯を書いた閲覧データがあったはずだぞ」
「そうなんだ。ねぇ、私も行ってみていいい?」
「俺は構わんよ。いつ移動工房が到着するかも分からんし、到着するまでは特にする事もないしな」
「ありがとう!!」
講義も終わり、図書館に行ってもいいと言われた佳奈は満面の笑みを浮かべて2ndに抱き付いた。既に鎮痛剤の効果で痛みが和らいでいた2ndは佳奈の抱き付きを難なく受け止める。
ただ2ndもやられっぱなし―――別に被害が受けた訳ではないのだが―――で気が済む人間では無く、抱き付いている佳奈の脇腹をくすぐり始める。
佳奈も無抵抗でくすぐられている筈もなく、カラカラと笑い声を挙げながら2ndの魔の手から逃げようと身を捩ってソファーから脱出を図る。
転がる様にしてソファーを離れ、2ndから距離を取った佳奈は追撃が来ても直ぐに対応できるように中腰で敵対者の様子を伺っている。
佳奈が逃げようとする方向を視線などから察し、2ndは先回りして逃げ道をふさぎながら狭い車内の隅にゆっくりと追い詰めていく。
「ふ、ふ、ふ。俺のくすぐり攻撃から逃げられると思うな―――」
《2nd様、間もなくグラウンドエデンの検問所に到着いたします。準備をした方が良いのではないでしょうか?》
「あれ、もうそんな所まで来てたのか……って、あッ、待て佳奈!」
2ndがM-2の声に気を取られた隙に脇を走り抜け、佳奈は装甲車の中で唯一鍵を掛ける事が出来るトイレの中に逃げ込んだ。
ガチャリとトイレの扉から鍵の掛かる音が2ndの耳に届き、わざとらしい舌打ちをしてから滅多に足を運ぶことのなかったリトルキャッスルの運転席へ入る。
「今回はこれぐらいで見逃してやるとするかね。
さて、M-2は接触有線回線の接続許可の準備、それからいつも通り向こうが武装に関しての情報に強制アクセスしてきても良いようにセキュリティーを用意しておいて。
でも完全に弾いちゃうと問題があるから、時間を掛ければ情報端末に侵入できる程度のレベルでお願いね」
《承知いたしました》
「んで、セキュリティーを抜いて閲覧できる武装は主砲と通常兵装、機動殻とその基本装備だけな。他について見られないように細工しておいて。
それとリトルキャッスルを映像視界から有視界操作への切り替え、あとフロントガラスの防護ブラインドを80%まで解放して操作権を俺に戻してくれ」
通常の物よりも狭くなっている座席に腰掛けながら2ndは流れる様にM-2への口頭指示を飛ばす。
そしてM-2の了承の声が運転席に響くと共に外の景色を映していた映像が消え、フロントガラス全面を覆っていた金属板がゆっくりと解放されていく。
徐々に外の景色を直に見られるようになっていくのを横目に2ndはシートベルトをはめ、座席の位置を微調整してからハンドルを握ると固定されて動くことのなかったハンドルに重さが戻る。
アクセルペダルも固定されていたが、ハンドルが操作可能になると同時に2ndの踏み込みに応じてリトルキャッスルの速度が上下するようになっていた。
《2nd様がトイレに追い詰められた佳奈様に何かお伝えする事は御座いますか?》
「あー……もうくすぐらないから運転席までおいでって言っといて」
《承知致しました》
久しぶりに握ったリトルキャッスルのハンドルの感触を確かめながら前を向いていた2ndの視界には、車列の先に六機もの機動殻が威嚇するように機動殻用のライフルを握りながら立っていた。
次回更新は8/20を予定しています。
それではここまで読んで頂き、ありがとうございます。
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