閑話 記憶とセカンドとテンペスト①
新年、明けましておめでとうございます<(_ _)>
今回は一章の終わりに閑話を追加いたしましたのでお間違えのないようにご注意下さい。
拙作ではありますが、今年も宜しくお願い申し上げます<(_ _)>
紫煙をくゆらせ、生き物のように揺らめく煙が換気フィルターに吸い込まれる様をテンペストはのんびりと眺めていた。
時間がゆっくりと過ぎていくかのような感覚を味わいつつ、煙草の煙で白く濁った視界の中に、テンペストは先日あった知人の姿を描き出す。
常に一匹狼を気取り、決して重要な事は語らず、誰一人として傍に人を置くことのなかった男。
それがテンペストの知るセカンドという男だった。
そんな男が膝元で眠る少女の髪を優しく撫で付け、慈愛に満ちた表情で視線を向けていた。
それを目撃した時は己が目を疑った。
あの男は出逢った時から常に薄ら笑いを浮かべ、三白眼の瞳は人を見下すように細められていた。
明らかに作られた物と分かる巫山戯た表情はどんな時でも崩れず、それ以外の表情は完全に敵対した相手に向けられる猛獣のような獰猛な笑みか、感情が完全に抜け落ちた能面のようなものしか見たことがなかった。
そんなセカンドが出逢って間もない少女相手に相好を崩すのを目撃して、己が目を疑わずにいられるだろうか。
「あいつも、容赦のない事をする」
本当に目の前に居るのが自分の知っているセカンドなのかと疑い、あまりの珍事にロリコンと言ってからかってしまったが、それぐらいに珍しい事なのだ。
セカンドが表情を変えるというのは。
セカンドに超輝度ライトを当てられ、焼ける様な痛みに襲われた頭部を撫で付けるが、毛根が息絶えた頭皮には火傷らしいものはない。
ふと頭を撫でているとセカンドと出逢ってからもう直ぐ七年になるのを思い出す。
なるほど、頭部が禿げ上がったのも納得が行くというものだ。
そう自分に言い聞かせるテンペストだった。
「あー、あー。こんなに煙草を吸っちゃって、あんまり吸い過ぎると換気フィルターの寿命が縮むんですから程々にして下さいよ」
一人感慨にふけながら、煙草を吹かしていると後部の機動殻を収容している荷台から運転席へ色黒な青年は入ってくる。
青年は入ってくるなり、漂う煙を手で払いながら顔を顰めてそう言った。
「なんだアリソン、俺の寿命よりフィルターの寿命を先にするのか? だいたい起き掛けの一服ぐらいでケチケチするな、みみっちい」
「もう一服所どころか十服ぐらいしてる人の心配しても仕方が無いでしょうが、アンタ。それにフィルターを取り換えるの意外と手間が掛かるんですから自重して下さいよ」
そう言ってダッシュボードの上に置いておいた煙草の入った箱を没収するアリソンを睨みつけ、フィルターギリギリまで吸い尽くした煙草を備え付けの灰皿で揉み消す。
そして口一杯に溜め込んだ煙を腹いせ代わりに吹き付けてやるが、換気度を強にされた空調がアリソンへ届く前に吐いた煙を無慈悲にも吸い込んでいく。
そんな光景に顔を顰めていると、顔についていた潤滑油を拭っていたアリソンが通信端末を取り出してテンペストの眼前に突き出してくる。
「あと、さっき機動殻の整備中にIPMBの革新派陣営の折衝担当から苦情と召喚のダイレクトメッセージが来たんですけど、どう言う事なんですかね。俺が休んでいる間に一体どんな失敗したんですか? 文面から見てアチラさん激おこですよ」
何事かと思って身構えていたテンペストはアリソンの言葉に肩を竦め、端末に映し出された抗議と思われる文面を最後まで見ること無く座席に深くもたれ掛かる。
「別に俺は何もしてねーよ。ただ仕事が終わった後に依頼主の敵対勢力が雇った傭兵が現れて、そいつに雇い主達が全滅させられただけだ。アフターサービスで働いてやっても良かったが、報酬を出し渋ってたからな。そんな気も失せてたよ」
「ふーん。でもこの書状の感じだとテンペストさんが裏切った的な感じになってますけど、いいんですか?」
そう言って物憂げな表情を作るアリソンにテンペストは片眉を上げ、青年から端末を受け取って該当する箇所に目を通していく。
「なになに、“先の依頼において我々の部隊が全滅した件を調査している際に、貴殿の行動に不審な点があると報告が上がっています。つきましては審査を行いますので、速やかに革新派本部への出頭を命じます”か。
はん、別にこんなのレムナントの俺達には関係ねーから無視しとけ。法的拘束力は何もねーし、なにより革新派は主力だった戦力をあの依頼で失って落ち目の相手だ。これ以上関わってやる義理もねー」
アリソンはそれでも心配そうにしていたが、アリソンの心配性は今に始まった事じゃない。
完全に倒してベッドの変わりになっていたシートを起こし、吸殻が一杯になった灰皿の中身を外に投げ捨てる。
暢気にしているテンペストを見て何か言おうとするアリソンだったが、結局言うべき言葉が見つからなかったのか口をパクパクと開け閉めし、結局何も言わずに溜息と共にキーを回して機動殻用輸送車のエンジンを掛ける。
電動のエンジンは静かに稼働し、踏み込まれた分の動力がタイヤに伝わりゆっくりと加速していく。
「それで、天下のテンペスト様ともあろう御人が一体誰を相手にして尻尾を巻いて逃げ出したんですか?」
移動を始めてからそう時間の経たない内に、アリソンは行き成り切り出してきた。
「喧嘩を売ってるなら今すぐ高値で買ってやるぜ、アリソン」
わざとらしく指の関節を鳴らしてやれば、アリソンは冷や汗を流して冗談ですよと慌てて否定する。そんな仕事仲間にふんっと鼻を鳴らして助手席のシートに深く座り直す。
そうして運転室に僅かな静寂が生まれるが、沈黙を破ったのはテンペストだった。
「……ジャーンシーに配備されてた機動殻をあらかた始末し終えて、都市内部にあった防衛兵器も無力化し終えた時にセカンドがやって来てな。残弾数も心もとなかったって言うのもあるが、正直アイツ相手に市街地戦闘で生き残れる自信なんてこれっぽっちもないから早々に諦めた。依頼も丁度終わってたしな」
「セカンドってあのへっぴり腰の二番手ですか? 傭兵ランキングの三桁台の相手にそんな警戒するような人物とは思えないんですけど」
未だに訝し気にしているアリソンに対し、テンペストは再び鼻で笑う。
傭兵ランキングとはランカーマーセナリーズと言う会社が機動殻を保有している傭兵の実力を仕事の達成率などから格付けした物であり、定住する街や拠点を持たないレムナントへの仕事の斡旋なども行っている企業である。
元々は事前に登録した傭兵同士を戦わせ、その姿を生放送で送って何方が勝つか賭けを行い、堂元として稼いでいた極小企業だった。
それが今では多くの視聴者とスポンサーが付き、登録している傭兵の数は千を超える。
セカンドやテンペストもランカーマーセナリーズに登録していたが、彼等の格付けではセカンドの順位は下位層とされる三桁台であり、しかも300位前後である。
仕事の完遂率も45%を前後している。
対してテンペストは最後に確認した段階では50位台であり、依頼達成率は70%前後である。
だが、このランカーマーセナリーズの格付けにも欠点はある。
それは彼らが斡旋している仕事以外―――例えるなら、傭兵個人に対して直接仕事の依頼をした場合などでは以来の達成率が反映されないのだ。
ランカーマーセナリーズも極力情報収集を行っているが、依頼人と傭兵の間で拘束力の高い契約が結ばれていれば、どんなに頑張っても情報を得るのは難しい。
それにセカンドからは口止めされているためアリソンには伝えていないが、セカンドの収入の殆どは直接依頼であることもあってマーセナリーズの格付けは低いのだ。
セカンドとの面識があまりないアリソンは、その順位やランカーマーセナリーズが公開している仕事の達成率からセカンドの事を甘く見ているきらいがあった。
「簡単に手に入る情報だけを頼りに物事を判断していると、足元を掬われるぞ。だいたい依頼達成率が50%前後の奴が七年も傭兵やってて生き残れるかよ」
「でも不利になったら依頼をほっぽりだして直ぐに逃げだすような奴ですよ? そう考えたら生き残ってる事も不思議ではないですし、そこまで警戒する必要は無いと思うんですけど」
「まぁ、接点が少ない奴はそう思うだろうな。だが、少なくとも一回本気のアイツと仕事をした事がある奴は自分から望んで敵対しようとは思わないはずだ。特にアイツが得意としてる遮蔽物の多い市街地戦ではな。
俺が知ってる限りだと、市街地戦でやり合って生き残れるのはロゼぐらいじゃねーのか?」
「ロゼってあの“血塗れの薔薇”のロゼ・マリアですか?! 市街地戦大好きな超近接戦闘家じゃないですか。そんなまさか……」
運転の傍ら疑うようにテンペストを見るアリソンだったが、テンペストが真剣な表情で見返せば息を飲み込んで正面に向き直る。
「……嘘や冗談じゃなさそうですね。でもなんでそんな人が下位層に甘んじてるんですか? それにそれだけ実力があるなら達成率が低い理由が分かりませんよ」
「さてな、それに関しちゃ俺も知らん。ただ気になって聞いた時は目立ちたくないからとかふざけた調子で言ってたな。わざわざ指名依頼の時は情報を一切開示しないって言う第一種契約法を自前で用意するぐらいだし、訳ありなんだろ」
そう言ってもなお疑っている様子のアリソンに肩を竦め、セカンドと初めて出会う切っ掛けとなったある依頼を思い出す。
――seven years ago――
その日もテンペストは四脚に可変させられた特注機動殻の肩部に腰掛け、遠くで絶える事なく続く銃声を背景にのんびりと紫煙を燻らせていた。
破格の報酬に釣られて依頼を受けたテンペストだったが、旨い話しはそうそう転がっているものでは無い。
指定された場所でテンペストを待っていたのはクーデターを起こした警備会社の一つに都市の一角を占拠され、既に泥沼と化していた戦場だった。
都市の防衛部隊を含め、その都市を活動拠点としていた二社の警備会社の協力で歩兵や機動殻などの地上兵器は全てに置いてテンペスト側の陣営の方が数の上では相手側を大きく上回っている。
なのに何故戦場は泥沼化していたのか。
その原因は明白だった。
相手は都市内で消費されていた食料の約四割と貿易の主な相手である移動工房へ輸出する品を製造していた工業区域を占拠し、それらの施設を盾にする事でこちら側の動きを牽制していた。
対してテンペスト側の陣営は関連施設の破壊どころか損害を出す事すら許されておらず、数で勝る機動殻やその他多くの大型兵器を投入できずにいたのだ。
どれだけ戦力があろうと、それを十全に発揮できなければ宝の持ち腐れである。
現にテンペストは機動殻を腕部一体型の狙撃銃にわざわざ換装してきたというのに、貫通した弾が施設を傷付ける恐れがあった為、依頼が開始されてからこの5日間の間で撃った弾はたった三発だけ。
それもテンペストの存在を相手側が知らない初日にしか撃っていなかった。
あれ以来相手はテンペストの存在を脅威に感じたのか、狙撃可能な場所に姿を見せることがなくなってしまった。
都市に拠点を持つ警備会社も何とか状況の打開を試みてはいたようだが、送り込んだ部隊は殆どが手酷い“歓迎”を受け音信不通となっている。
依頼主たる都市運営をしている企業の子飼いの私兵達も今いる狙撃地点から見送くるばかりで、無事に帰還した人間を見た事が無い。
「まったく、昼間から無駄弾消費してご苦労なこった」
依頼主子飼いの私兵達が占拠された区画を奪還しようと勝手に動き出したのを今朝方も見送ったが、施設の損傷を抑える為なのか大型兵器は見受けられなかった。
それに対して盾に成る数の施設さえ残っていれば、多少施設に被害が出ても構わない相手側は容赦なく機動殻を投入している事だろう。
機動殻が動きだせば、ものの数分で送り込まれた部隊は全滅する筈だ。
そんなテンペストの予想を肯定する様に機動殻の物と思われる一際大きな砲撃の音が数回都市内に響き渡ると、朝から引切り無しに続いていた銃声がピタリと止んだ。
静けさを取り戻した街の中、占拠された工業区域全体を見渡せる高層ビルの屋上に機動殻を配置させていたテンペストは愛機の肩の上で紫煙を一息で大量に吸い込み、惜しむように吐き出した。
今日の戦闘もこれで終わりになるだろうと、過去の戦闘の傾向からそう判断したテンペストは不意に腕に嵌めていた時計を見てある事を思い出す。
今日はとうとう業を煮やした依頼主が新たに雇った傭兵がやってくる日であり、自分と同じ様に割の合わない仕事を受けてしまった間抜けな傭兵の顔を拝ませてもらう腹づもりであった。
フィルター付近まで吸い尽くした煙草をボンヤリと眺めてから投げ捨て、解すように軽く身体を動かしたテンペストは機動殻の肩部から飛び降りる。
足に若干の痛みを感じながらも、テンペストは自身がいる屋上の隅へと歩み寄る。
屋上の手すりに取り付けておいた昇降用のロープに片手大の昇降機を取り付けていると、ヘリコプター特有の騒がしい羽音が近づいている事に気が付いた。
しかもそれは通常の戦闘ヘリ等と比べて大きく、二つの羽音が重なる様な音だった。
不思議に思って音の方へ顔を向けると、鋼の羽を二つ持ち、下部に機動殻を輸送する為のトレーラーを改造したものと思われる装置を積んだ超大型の装甲ヘリが向かって来ていた。
どうやら件の傭兵が間もなく到着するらしい。
電磁障壁を通り抜けて来た装甲ヘリの下部にあった機動殻は遠かったせいで輪郭までしか分からなかったが、大きさからやって来た傭兵はどうやら第二世代機動殻乗りらしい。
それを知ったテンペストは使えん奴がやって来のか、と疲れたように鼻で笑う。
操作が難しく、癖の強い機体が多い第二世代機動殻。今日昨日買ったばかりでは満足に動かす事すら難しい。
長期間に渡り専用の訓練を受ければなんとか使えるが、専用の訓練期間を設けている警備会社ですら、その扱い辛さを敬遠して第二世代機動殻を配備して居ないというのに、傭兵―――それもレムナントにそんな訓練を受けられる人間など皆無と言っても過言ではない。
自分は才能があるから直ぐに扱えると言う妄想を抱いて第二世代機動殻を購入する奴は後を絶たないが、その殆どが満足に動かす事も叶わず、初陣で真っ先に死んでいく。
身の程を知らない馬鹿は一体どんな奴なのかと興味に駆られたテンペストは昇降機がしっかりと取り付けられている事を確認し、躊躇いも無く屋上から身を投げ出した。
狙撃地点として利用していたビルから歩くこと数十分。
前線から離れた陣地の横にあるヘリポートへ到着したテンペストの前には、『柏重工』というロゴが刻印された機動殻が鎮座していた。
機動殻を固定する為と思われる改造された輸送用トレーラーがあり、横には機動殻を運んで来たと思われる大型装甲ヘリも静かに佇んでいる。
「おや、俺のカッコカワイイ『夕立』ちゃんに何か御用ですかな? ウチの子、恥ずかしがり屋だからあんまり見つめないで貰えると嬉しいんだけど」
どこか見覚えのあった機動殻を観察していると、頭上から訛りの無い企業間共通言語が降ってくる。
まさか人が居るとは思っていなかったテンペストが驚いて顔を上げると、体育座りのような姿勢で固定されていた機動殻の肩から顔を覗かせ、テンペストの事を見下ろしていたアジア系の顔立ちをした男と目が合った。
「お前がコイツの……えっと、ユウダチだったか? の操縦者でいいのか?」
「おうともさ」
相槌を打ちながらもテンペストは少年の様な顔立ちをしている男の評価を僅かに上げる。
テンペストは初めて見るような素振りをしたが、頭の中には脅威となりうる機動殻関連の情報が叩き込まれており、その中には柏重工が発表した夕立という名の機動殻があった。
幾つか手が加えられた形跡はあるものの、目の前にいる機動殻は外見は情報と一致していた。
ただ“夕立”という機動殻は扱い難い第二世代である事や貿易先を最低限まで絞っている極東技術組合所属の柏重工製と言う事もあり、詳しく調べた人間でなければ分からない知る人ぞ知るマイナーな機動殻である。
それに形状が現在主流となっているスマートさを追求した流線型ではなく、武骨で野暮ったい――古臭いともいう――為、見た目を重視する傾向にある傭兵は好まない。
だがその性能は公開されているカタログスペックを八掛けにしたとしても、他の機動殻よりもずば抜けて高い性能を誇っている。
その分ピーキーさは増しているのだが、輪をかけて酷くなった扱い難さを差し引いても相当優秀な機動殻であるのは間違いない。
そんな機動殻を選択したこの男の評価を僅かに上げた。しかし続く男の発言で上がった評価はすぐさま降下した。
「ただ俺的にはこの野暮ったくてダサい脚の装甲を引っぺがしてスマートにしたかったんだが、ママンが五月蝿くて改造してる暇が無かったからなぁ。どうせ繋ぎなら今流行りの見た目がカッコイイ『シルバーホーク』とか『H-12』とかに乗ってみたかったな」
「……そうか」
表面上は会話を続けながらもテンペストは内心で大きな溜め息を吐きだした。
男が言った『シルバーホーク』も『H-12』のどちらも新しく公開された第二世代機動殻ではあったが、見た目はいいがあまり評判の良くない機動殻である。
どちらも軍事系最大手のG&Aの子会社が手掛けた機動殻ではあるが、主に第三世代を製造していたその会社に第二世代を製造するノウハウは少なく、性能度外視で外見を重視して作られた所謂プレミアム機であった。
そんなポンコツ機体に乗りたがる奴は見栄えばかり気にする馬鹿か性能についての知識が無い成り立ての素人、金を持て余した軍事系のコレクター程度である。
とんだ奴と仕事をするハメになったと呆れつつ、表面上は友好的に会話を続けるテンペストはどうやって会話を切り上げてこの場を離れるか思案している時だった。
「いいから耳糞かっぽじって良く聞きなさい? 私達は別に貴方達と無理に取引を続けていく義理は無いの。今までは付き合いがあったから納期が多少遅れたりしても文句は言わなかったけど、今回みたいな事が続くようなら私達も今後の付き合い方を変える必要があるわ。
工房長は優しいから今回も貴方達の要請を受けてあげたけど、次はないからその事を忘れない事ね」
聞いた事のある声にテンペストが振り返ると、若い女が隣にいる男に対して声を荒げながらこちらに向かって歩いて来ていた。
良く見れば女の隣を歩いているのはテンペストの依頼主であり、この街のお偉方が若い女に取りすがろうとする姿に首を傾げるが、女はお偉いさんの必死な態度も気にせず容赦なく切り捨てている。
女の容姿が目視できる距離に近づくまで男は必死に説得しようとしていたが、最早反応すら返さなくなった女に男はとうとう諦め、煤けた背中を見せて本陣の方へ向きを変えてとぼとぼと歩いて行った。
「あれ、そこにいるのってもしかしてテンペストじゃない? 貴方もこんな下らない仕事を受けてたのね」
女はそう言いながらテンペストの元に歩み寄る。
テンペストも傍に来た女に見覚えがあった。野戦服のズボンにタンクトップというラフな格好をした女は、テンペストの乗る機動殻を手掛けた移動工房で働く技師の一人であった。
「久しぶりだな、アリッサ。確か最後にあったのは俺の愛機の調整で移動工房に行った時だったか。お前がこんな所に来るなんて珍しいな」
「えぇ、そうね。あの時は確か別の機体を整備してたからあんまり話す機会がなかったのよね。今日は此処で起きたクーデターのせいで物資の納品が予定より大幅に遅れてたから、その事に対する警告をしに来たのよ。あとついでにアイツの御守りもね」
テンペストがアリッサと呼んだ若い女は顎で機動殻の上にいる男を指すと、男はさも心外だと言わんばかりに肩を竦めた。
男と気難しいアリッサが軽口を叩き合える仲である事も驚いたが、それよりもテンペストはアリッサの言を聞き、地を這うぐらい下がっていた男の評価を再び引き上げた。
移動工房で機動殻を設えてもらえる人間は基本的に工房長と呼ばれる代表が実力を認めた人間か、あるいは利用したことがある人間からの紹介が無ければならないのだ。
また後者で移動工房を利用できたとしても、機動殻の改造もしくは製作してもらうには適正検査の判定である程度の数値を出さなければならないからだ。
そう言ったある種の関門がある移動工房を利用でき、かつ操作が難しい第二世代を用意してもらえるのであれば、男はそこら辺にいる機動殻乗りよりも実力がある証拠だった。
勝手に男に対する評価を乱高下させていると、いつの間にかお互いの息が掛かる距離までアリッサの顔が寄ってきていた。
「貴方あれからもちゃんと機動殻の整備してるんでしょうね。あの時担当してた奴が結構ガタが来てたって漏らしてたわよ。機動殻は兵器だからある程度丈夫な作りをしてるけど、精密機器の塊でもあるんだからね。ちゃんと整備してれば持ちも違うし、何よりガタが来てる状態で使い続けたら何時か自分の首を絞める事になるわよ」
「お、おう」
アリッサは幼さの残る顔立ちとは似つかない剣幕で言い募る。
この時アリッサが大のメカオタクだったのを思い出し、相手の勢いに若干引きながらも何とか頷いたテンペスト。
「大体ね、貴方はズボラって自覚があるんだからいい加減―――」
「hey、ママン。好きな男に色仕掛けをするのは一向に構わないんだけどさ、せめて時と場所を弁えてくれよ」
更に言い募ろうとするアリッサを遮ったのは夕立の肩の上にいた男だった。
そしてその発言の内容に思わず男へ向けていた視線をアリッサに向けようとした瞬間、光の様な速さで頬を殴られた。
小柄なアリッサからは想像できない痛烈な一撃を食らったテンペストは若干涙目になりながら頬を摩る。
「まだ何も言ってないだろ……」
「言ってなくても何を言おうとしたのか分かったから殴ったのよ」
………確かに何時から子持ちになったとか、色仕掛けをするならもう少し胸周りを膨らませてからにしろとか言おうと思ってはいたが、何も殴ることはないだろうと抗議の視線を送る。
だがアリッサがギロりと睨み、腰のポーチから顔を覗かせているスパナを掴んだ事で直ぐに打ち止めとなった。
「あとアンタも次変な事を言ったらスパナ投げるからね、まったく。それと臨時拠点にいる指揮者がアンタに会って現状の説明をしたいってさ。だからちゃんと傭兵としての名前も考えておきなさいよ、“名無し”」
「はいはい、分かりましたよ。……まったく対して効果のない色仕掛けに失敗したからってカリカリしちゃって、だからママンはモテなーーーって、うおっ?!」
ブツブツと文句を垂れながら機動殻から降りる為のロープを準備している男は、呟きが届いていないと思っているのか、無防備な背中を見せていた。
そしてテンペストですら聞こえているのに、隣にいるアリッサが聞こえていない筈もなく、一瞬でポーチから引き抜かれたスパナは美しいフォームで投げられた。
アリッサの手から離れたスパナは、凄まじい風切り音を伴い高速で男の後頭部へ向かって寸分の狂いもなく飛んでいき、既のところで振り返った男が避けていなければスパナは確実に男の頭部を捉えていた事だろう。
「マジでスパナ投げやがったよ。怪我したらどうするんだ」
「アンタならこれぐらい避けられるでしょ。さっさとしなさい」
尻餅を突きながらも運良く飛来してきたスパナを躱すことが出来た男は、慌ててロープを使って機動殻から降りると不貞腐れたような表情で歩き―――
「暴力脳筋メスゴリラ」
―――そして擦れ違いざまにボソリと呟き、使い込まれたレンチが空を斬る。
「くっ!」
「ドヤァ……」
死角から鋭く抜き放たれたレンチだったが、男は読んでいたのか余裕を持ってそれを躱した。
アリッサは渾身の一撃が避けられた事で顔を歪め、見事に躱す事が出来た男は一級品のドヤ顔をしながらアリッサを見下ろした。
「さっさと、行けっ!!」
アリッサが駆り立てるように繰り出す連撃をひらりひらりと交わし、男はニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべて臨時拠点へと走り去っていった。
「まったく、アイツは……」
「気難しい性格のお前相手に親しく接してくれる奴がいるなんて珍しいな」
テンペストが沁々と言うと、気難しい性格で悪かったわねと不貞腐れたような表情をしたアリッサがそっぽを向いて小さく呟く。
が、直ぐに表情が陰ると大きな溜め息を吐き出した。
普段なら呟きと共に脛を正確に捉える蹴りが放たれるため、何時でも避けられるように警戒していたテンペストだったが、今回はそれが無かった。
珍しく殊勝な態度を示すアリッサに困惑を隠せないテンペスト。
「そ、それにしてもあいつ、“名無し”って言ったか? 傭兵時の活動名なんだろうが、随分ありきたりだな」
傭兵―――特にレムナントの傭兵には奇抜な活動名を使う人間は多い。
地獄の炎や永久の正義なんて言う名前は序の口であり、下着を愛でる会と言う名の傭兵団では戦闘を行っているメンバー全員が女性用の下着や夜着の名称を活動名としている奴らもいる。
何故そんな奇抜とも奇怪とも言える名前を付けるのかと言えば、一重に目立つ為である。
レムナントの傭兵など五万とおり、実力があっても凡庸な名前だとその他大勢の中に埋没してしまう事もあるからだ。
テンペストと言う名前にしても比較的大人しい名前であり、狙撃特化型と言う珍しい機動殻を使っていなければ別の名前だったかもしれない。
「……言っとくけど、アイツの名前は“名無し”じゃないわよ。アイツが名前を教えないのと、いくら調べてもアイツが傭兵として活動してた痕跡が見つからなかったから私達が勝手にそう呼んでるだけよ」
「そ、そうなのか……しかしアイツは一体どんな奇抜な名前を名乗るんだろうな」
「さぁ? 基本的に巫山戯た奴だから巫山戯た名前にするんじゃない」
話題を変えてみたものの覇気の無い返事が帰ってくるのみで、テンペストは内心頭を抱え込んだ。
アリッサは齢16にして移動工房でそれなりの地位がある技術者であると同時に、移動工房の全体を取り仕切っている工房長の孫である。
工房長のランデルがアリッサを溺愛しているのは最早有名であり、下手な事がランデルに伝わり、移動工房との今後の付き合い支障が出るのは不味いと思っていた。
実際はアリッサ自身がその手の話題でランデルに告げ口した事など無く、少々特殊な立地にある移動工房へ些細な情報が届く事など皆無なのだが、アリッサの態度で気が動転していたテンペストはその事に思い至る事が出来なかった。
どうしたものかと一人頭を悩ませていたテンペストだったが、ポケットに入れていた携帯端末が鳴り響き、これ幸いとばかりにアリッサに一言謝ってから端末を耳へあてがった。
《こちら情報管制のサンダーヘッド。この携帯端末の持ち主はテンペストで間違いないか?》
「あぁ、間違いない。それでわざわざ俺の端末に連絡するほどの要件ってのは一体なんなんだ?」
《先程、上層部が新たに雇った傭兵が司令部に到着した。それに合わせこれより第五回占領区奪還作戦の会議を行う。貴殿も至急司令部に来られたし》
「了解」
《では、また会議の時に》
そう言って通信担当官は通信を切る。
テンペストは切れた端末を一旦眺めてからポケットに仕舞うと自分の様子を伺っていたアリッサを見る。
「仕事?」
「あぁ、さっきの通信で呼び出しを食らってな。悪いが今から司令部に行かなくちゃならねーんだが、お前はまだこの街に居るのか?」
「私の主な仕事はこの街への警告だから、それも終わったし本来なら帰りたいの。でも夕立の運搬も仕事に含まれてるし、何より急な仕事ってのもあったけど、まだ細かい調整が終わってないから、あの男が仕事を終えるまで念のために残ってなきゃいけないのよ」
「調整が終わってない?」
テンペストは夕立を見上げながら口惜しげにしているアリッサの言に再び首を傾げた。
アリッサを含め、移動工房の面々は全員が技術者としての誇りを持っている。その為、不真面目な人間はおれどほとんどが完璧主義者だった。そんな彼等が急に入り用になったからと言って未調整な作品を送り出すとは思えなかった。
本当に時間が無かったか、余程無茶な要望をあの男が出したのか。
テンペストは記憶の中にある姿とあまり違いの見えない夕立を見上げるが、どういった理由なのか思い至る事は出来なかった。
「そうだ、アンタもここでの仕事を受けてるのよね?」
「あぁ、そうだが。それがどうかしたのか?」
「あんまりこういう事はしたくないんだけど、一応アンタもウチのお得意様だし。ちょっとだけアンタに忠告をしとくわ」
「忠告?」
おや、とも思いながら首をかしげるテンペスト。
移動工房は基本的に技術者の集まりであり、所属している人間は自身に関係ないことにはあまり興味を示さない者が多い。
アリッサもそんな人間の一人なのだが、その彼女が仕事に纏わる忠告をすると言う事が信じられなかった。
もしかしたら今回の依頼主達はテンペストの様な傭兵に不利益を齎す事で有名で、移動工房の面々ですら知っている事なのか。
それとも、相手側に移動工房が手掛けた作品が多く存在しているのか。
「さっき話してた男には気を付けなさい。あの男、普通じゃないわ」
だが、テンペストの予想を裏切るーーー否。諜報などの情報収集が苦手なアリッサ達が出来る忠告など、機動殻や顧客に関してだけだろう。
そして直近の顧客でこの依頼に関わっていそうなのは先ほどの男だけ。
ある種、予想内とも言える忠告にテンペストは再び首を傾げる。
さきほど会話をしてみた感想としてはどこにでも居そうな軟派な青年と言う印象しかなく、何処か忠告を受けるような相手だろうかと記憶を掘り返してみる。
確かに言われてみれば何処か違和感があるような感じもしないでも無かったが、だがそれも気のせいだと言われればそうかと納得してしまう程度のものだった。
どこにも不審な点は無く、懐疑的な目をアリッサに向けてしまう。
「まぁ、アンタの思ってる事も分からなくはないわ。でもアイツは自分に合った機動殻の調整値を熟知してたのに、『地上の楽園』で色々調べてもらったんだけど、経歴どころか足跡一つとってもアイツに関する情報が一切手に入らなかったのよ」
「……なるほど」
「だから、アイツがどんな奴なのか全然わからないの。それに詳しくは言えないんだけど、この夕立は元々ピーキーな所があるんだけど、アイツの指定通りに改造したから相当ピーキーさが増してるわ。接近戦に自信がなかったらそんな改造を頼まないと思うのよ」
そう言われると、怪しく感じてしまうテンペスト。そして思考するテンペストを余所にアリッサは名無しの不審な点を羅列していく。
「ま、アンタなら大丈夫だと思うけど、接近戦が好きな奴は基本的に戦闘狂が多いから、機動殻に乗ったら敵味方区別なく襲ってくる性格に変わるかも知れない。一応警戒しといて頂戴」
「あぁ、分かった。俺の方でも警戒はしておこう。ただそれは良いんだが、お前が心配してくれるなんてな。もしかして“名無し”の言ったように俺に色仕掛けでもしてんのか?」
何時になく甲斐甲斐しいアリッサに思わず呟いたが、アリッサは呆れたように大きなため息を吐き出すのだった。
「……アンタがやられるってことはエアリエルちゃんが壊されてるって事でしょ? それにアンタは一応お得意様だからね。顧客が減る程度の心配しかしてないわよ。
じゃ、ちゃんと忠告はしたからね」
「おう、悪いな」
アリッサはそう言って自分が操ってきたのだろう超大型装甲ヘリの方へ向かって歩きだした。テンペストも先ほど呼び出しがあったのを思い出し、煙草を咥えながらのんびりと司令部へ向かうのだった。
今日はこれにて。次回更新は明日、1/2を予定しています。また閑話の続きとなりますので、この話の後に追加いたします。ご注意ください。
それではここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。
誤字・脱字・質問なとがありましたら、お気軽にお尋ねください。




