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今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
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ふわふわり

ふわふわり

牧場の柵は思った以上に高かった。

そこに背をもたせかけ、喜美はぷかりとタバコのケムリを吐き出した。ケムリはひつじみたいな形になって、鉛色の空に消える。雪が降りそうだった。


「ひつじはいいなぁ」


喜美は独り言みたいにしゃべる。アタシは聞いているやらいないやらという風を装う。ひつじはいい、なんて言うわりに喜美は柵の中を見ようとしない。アタシは喜美を見ようとしない。


ひつじたちは、そのもこもこの毛皮だけでは足りないのか、たがいにくっつきあって暖まっている。ように見える。実際ひつじが何を考えて寄り集まっているかなんて、ひつじだって知らないのだろう。アタシと喜美がここにいる理由が、アタシにはわからないみたいに。


「ひつじはいいなぁ」


喜美は今度ははっきりアタシに向かって喋った。


「どこが?」


アタシは顔を上げず、さも興味なさげに答える。ひつじが一頭、もこもこから離れて草を食みだした。


「暖かそうじゃないか」


「見た目だけかもよ」


「ウールのセーターは暖かいじゃないか」


「でもコートなしじゃ、今ごろは無理じゃない」


喜美は笑って携帯灰皿に吸い殻を落とす。喜美のコートは暖かく彼女の体を包む。そうして柵にもたれて、ため息をつく。喜美の息はひつじみたいにもこもことふくらんで空に消えた。

喜美は柵の中を見ない。柵にもたれたアタシを見ない。


喜美はアタシを好きだと言った。アタシはそんなことちっとも知らなかった。中学で出会ってから12年、喜美は片想い続けたのだという。私は12年に相当するような言葉をもたなくて、アタシたちは牧場に来た。理由はわからない。喜美が突然アタシに告白した理由が、アタシにはわからないように。


「ひつじ、好きなの?」


なんとなく聞いてみる。


「どうだろ、わからない」


喜美が答える。アタシの言葉も喜美の言葉も、もこもこして空に消えた。二頭のひつじみたいに。


柵の向こう、ひつじたちがバラバラと移動し始めた。空をあおぐと雲にポッカリ穴が開いて、そこから暖かな陽光が牧草地の一部を照らしている。ひつじたちはそのわずかな日向を目ざとく見つけて移動したようだ。

陽光を受けてひつじたちの白い毛がキラキラ光る。目に眩しい白。空に消えない白。


「ひつじはいいねえ」


アタシは呟く。喜美は聞こえたか聞こえなかったかわからぬ風で、黙って空を見上げた。


「もこもこ暖かそうで」


「愛梨の頭ももこもこだよ」


喜美は私の頭を撫でる。ゆっくりと慈しむように。12年分の思いを込めるように。


「それを言うなら、喜美だって」


アタシは喜美が着ているもこもこのセーターに頬を寄せる。喜美の動きがピタリと止まる。アタシはゆっくりと頬擦りする。ゆっくりといたわるように。そうしてもこもこの頭をもこもこのセーターにすり寄せていると、ひつじの群れに混ざった気になる。


「めぇ」


アタシは鳴いてみる。


「……めぇ」


喜美も鳴く。


二人分の「めぇ」はふわりと空に消える。二つならんでふわふわりと。


「めぇ」


アタシは鳴いて、喜美に手を差し伸べる。


「いこ。陽のあたるとこ」


「……めぇ」


喜美が静かに鳴き、アタシの手をとる。二人ならんで空を見上げて歩く。アタシはアタシたちがこれからどうなるか知らない。冬の空に消えていくのかも知れない。

けれどアタシは知っている。アタシのなかに降ってきたふわりとした喜美の言葉は、どこへも消えない。

アタシたちはよりそって陽のあたるところを探す。真っ白に輝くひつじのように。


アタシはもう一度「めぇ」と鳴いた。

喜美は、ふ、と笑うと私の手をきゅっと握った。

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