春を食べる
春を食べる
土筆、タラの芽、せり、ノビル。
春は美味しい野草の宝庫だ。
グリーンツーリズムを標榜した体験農業の宿を始めて10年。
お客様は、初夏の田植え、秋の稲刈りの時期に集中するが、宿の女将、マキは、どの客にも、春をすすめる。
雪に閉じ込められていた冬が終わり、すべての生命が喜びをうたう、春。
農家にとって、一番よろこばしく、また、一番忙しい時期でもある。
農家としての効率を考えるなら、春にはお客が少なく、農作業に専念できるほうが楽だと言える。
しかし、マキは、雪が溶けて、ぐずぐずとした地面をこそ、みんなに見てほしかった。
なかでも、まだ雪がとけ残っている寒い朝に散歩していて、ふと見つけるフキノトウ。
可憐なつぼみが、やっと、という風情で顔を出す瞬間を見てほしいのだ。
今年の冬は寒く、例年なら桜が咲き始める時期に、まだ梅がやっと咲いたくらいだ。
毎年、花見の時期にあわせて訪れる海東様が明日、いらっしゃるが、桜はまだまだ固いつぼみが見え始めたくらい。
マキは、庭の木々を見回し、ため息をついた。海東様は上得意だ。出来ることなら、ご要望にはすべてお答えしたい。しかし、自然相手の商売では、なかなか思い通りに事は運ばない。
勝手口から中へ入ると、主人の将太が花を生けていた。
やっと咲き始めた水仙。とても良い香りがする。
例年なら、今頃は、とっくに花が終わっているのだが。
マキは、ふと、思いついたことを、夫に話してみた。
「ねえ、海東様に、山歩きをご提案したらどうかしら?」
「山歩き?山歩いたって、桜は咲いてないだろう」
「桜はないけど、毎年、もう終わってる山菜がある。たけのこも採れる。もしかしたら、ウグイスもまだ鳴くかも。
ね?そんな春だけの出会いを楽しんでいただこうよ」
「…うーん。そうさなあ。じゃあ、明日いらしたら、聞いてみようかね」
翌日、マキは海東夫妻と山へ向かった。
海東氏に今回の件をたずねたところ、一も二もなくOKだと言う。
春の山菜、たけのこが、何よりの好物だと言う。
マキは張り切って、山を案内した。
雪が溶けてぬかるんだ道を、慎重に歩きながら、マキは、踊りだしたいほどウキウキしていた。
誰より、マキが一番、山の春を愛していたから、それを共に楽しんでくれるお客様がうれしかったのだ。
「あ、マキさん!ちょっと待って」
海東夫人が声を上げる。
マキが振り向くと、夫人は斜面に残る雪に顔を近づけていた。
「やっぱり!ほら、フキノトウ!私、大好物なの!」
近寄り、見てみると、雪にぽかりと穴があき、そこからフキノトウが顔を覗かせていた。
「まあ、ほんとうに。奥様、よく見つけられましたね。私よりナビの才能があるかも」
「まあ、マキさんたら。ふふふ。ねえ、もっと採れるかしら?」
「ええ。このあたりの雪をどけましょう。まだはえたてのフキノトウがあるはずですよ」
マキは手際よく雪をはらう。
茶色の土がのぞいて、あちこちにフキノトウが顔を出していた。
マキと海東夫妻は両手に余るほどのフキノトウを摘んで宿に戻った。
料理人でもあるマキの夫は、目をまん丸にして、フキノトウの山を見た。
「う〜ん、すごい量ですね。てんぷらにしても、お二人ではとても食べきれないでしょう」
「あなた、フキノトウ味噌にしてお土産にしてもらったら?」
「ああ、そうですね。それがいい」
「フキノトウ味噌って?」
小首をかしげる海東夫人に主人が説明する。
「フキノトウの保存食ですよ。味噌と砂糖で煮込むんです。冷凍で半年は持ちますよ」
「まあ、うれしい!フキノトウを秋まで食べられるのね!ぜひ、それでお願いします。ね、あなた」
海東氏は終始、ニコニコと夫人のいいように、と頷いている。
「では、準備いたしますので、しばらくお部屋でおくつろぎください」
マキの言葉に、夫人が首を横に振る。
「そんな、部屋にこもってるなんて、もったいないわ。せっかくの春ですもの。お庭の水仙も拝見したいし、ここに来る途中の小川に残っていた雪も写真に撮りたいし。断然、外出しますわ。ね、あなた」
海東氏は、やはり、ニコニコと頷く。
「そうですか。お気をつけて、いってらっしゃいませ。お帰りになったらいつでもお夕飯できるように準備いたしますね」
「よろしくね。行ってきます」
海東夫妻は腕を組んでルンルンと、まるで初々しい恋人同士のように出かけていった。
見送って、マキは、ホウっとため息をつく。
「どうした、ためいきなんかついて」
夫に問われ、振り返ってマキは言う。
「私、桜が咲いていないことで、海東夫妻に責められるんじゃないかと、緊張していたの。でも、そんな考え、バカみたいね。お二人とも、あんなに楽しんでくださってるもの」
「そうだな。桜がないとダメだ、って決め付けてたのは俺たちだけみたいだな。お客様は自然のあるがままを楽しみに来てくださってるんだな。
さて。そうなると、今夜は忙しくなるぞ。フキノトウは天ぷらとフキノトウ味噌で決まりだが、こごみも独活も採ってきてるんだ。何にするかなあ」
「ふふふ。腕がなりますね、シェフ」
「おう。まかせとけ」
陽が傾き、もうすぐ夕焼けが見える。今日の夕焼けはことのほか美しいだろう。
空を仰ぎ見て、マキは自分に渇を入れた。
「よし!がんばるぞ!」
エプロンの紐をぎゅっと縛りなおして、日常の業務にもどっていった。




