余命一週間
余命一週間
主人が私を手放すと決めた。それがいいだろう。私はボタンも欠けているし動作不良を繰り返している。ガラケーと呼ばれ、もてはやされた日々はもう遠く、誰も知らない時代になっていくだろう。
私はこの六年間を主人のそばで過ごした。携帯電話という私の存在意義を主人はしばしば忘れるようで、私を置いたまま出掛けることがあった。そういう時に限って電話やメールが届いた。私は苦笑しながら主人の帰りを待ったものだ。
主人は人嫌いで友人は二人だけ、知人も数えるほどしかいない。私の電話帳はスカスカで、ほとんど使われることはなかった。主人は自分から電話やメールを発信するタイプではないので、着信履歴から折り返すだけだった。それでも、時間をかけて電話帳を入力してくれたのは、とても嬉しいことだった。
同じように既存の音楽やデコ絵文字も使われることはほとんどなかったが、ヒマをつぶすために私を操作して、使わない機能を利用しようとしてくれた。しかし使い方が分からずに手を離してしまうことが多々あった。その時の眉間にシワを寄せた膨れっ面が、私は嫌いではなかった。
主人は私をメモ帳代わりに使うことが多かった。メール画面に文章を作成し、保存する。誰にも送信されないメールは主人と私だけの秘密だった。主人の喜び、悲しみ、憤り、新しい発見をした時の驚き。すべての感情を私は主人と共有した。出されることのないメールが私宛のラブレターであるかのように感じることもあった。
私が主人へ返信することは叶わない。私が慕っていることを主人は知らない。主人にとって私はただのモノでしかない。
それでも私は私の稼働期間を悔いはしない。不器用ですぐにタイプミスをする指を、誤変換に一人笑う忍び声を、落っことしそうになって慌てて私を抱き止めた腕を、得られたことを幸福に思う。
主人の仕事が終わった。ロッカーから鞄を取りだし帰宅する。私は鞄の中の懐かしい暗がりに浸っていた。
主人がぴたりと足を止めて私を鞄から取り出した。カメラを起動してレンズを空に向ける。空に大きな月が出ていた。主人は月を撮影して待ち受け画像にした。
写真を撮っても次の機種にデータ移行することはできないのに。たった一週間しかこの写真は見られないのに。それでも写したくなるほどに美しい月だった。
主人が静かに私を鞄に戻した。私は鞄の中の暗がりに飲まれた。けれど私は月を抱いて輝いている。主人とともに見上げた月を胸に刻んで、私はスクラップになろう。ありったけの思い出を主人の夢に送信して。逝こう。




