アンモニアの思い出
アンモニアの思い出
大昔に勤務していた会社の隣に製版所があった。印刷前の青写真とやらを作っているのだと聞いた。
10tトラックに積まれた印刷用紙の巨大なロールを呆れながら見上げることがしばしばあった。大きなトラックの荷台に2ロールだけ。たった2ロールしか乗らないほど大きかった。
なぜそんなことを思い出したかというと、今朝、通勤のバスの中でアンモニアの臭いを嗅いだからだ。尿のような有機的な臭いではなく、純粋な科学的なアンモニア臭。息が止まりそうになるほどの刺激、目に沁みさえする臭いが鼻に突き刺さった。製版所の換気扇から漂ってきていた臭いだった。
自分の事務所に入るには必ず製版所の換気扇の下を通らねばならず、できるだけ首をすくめて小さくなって駆け抜けた。
しかし、事務所の前の掃除の時には否応なくアンモニアの直撃を受けた。鼻も目も痛んだが、そのうちなんとも感じなくなった。臭いははっきり分かるのだが、目鼻の痛みがなくなった。人間の体のたくましさに感心した。
人間が辟易するアンモニア臭に、案外ネコは強かった。事務所で飼っていたネコが換気扇の真下で鼻をひくひく動かしていたのを覚えている。
ネコの記憶も最近はあやふやだったが、臭いに引きずられたのだろう。はっきりと彼の毛並みを思い出した。縞のきれいなキジネコだった。
久しぶりに嗅いだ無機的なアンモニアは、いったいどこから臭ってきたものか。バスは繁華街を走っていたのだから、もちろん近くに製版所はないだろう。あるいは幻臭だったのかもしれない。
今年ももうすぐ終わる。今年も思い出になり、いつか幻臭になるのかもしれない。
すてきな幻臭を産み出せるように、今夜は香りの良い赤ワインでも飲んでみようか。




