フトコロだけがあたたかい
フトコロだけがあたたかい
「あいつは冷たいヤツだ」
彼を知る人は皆、口をそろえて言う。
「相手にしないのが一番だ」
自分に対する風聞を、もちろん彼は知っている。冷淡な人間だという自覚もあった。
彼には友達はおらず、また必要ともしていなかった。
「彼にはがっかりしたわ」
彼と付き合った女性達は口をそろえて言う。
「見た目通りの冷たい人。意外性もなにもないわ」
彼は恋人が欲しいと思ったことはない。女性が勝手に寄ってくるだけだ。彼のフトコロをねらって。
彼の財布はいつも分厚い。札束を持ち歩くことに大した意味はない。銀行に行く手間を省けるくらいだ。
その分厚い財布が彼のフトコロから出てくるのを見た男達が、女達が、彼の金をむしりとろうと、巻き上げようと寄ってくるのだ。あるいは憐れそうに、あるいは色仕掛けで。彼は人間になんの期待も持っていない。
彼は二十年来おなじ財布を使い続けている。
牛革の長財布はこまめな手入れによって飴色につややかだ。彼はこの財布を愛していた。この財布を喜ばせるために札束を入れているのかもしれないとも思う。
財布は忘年会のビンゴ大会の景品として貰った。彼はそれまでくじ引きも賭け事もしたことがなかったので、何かを引き当てたのは初めてだった。新鮮な感動だった。人智の及ばぬ、何か大きな力を感じた。
財布を手に入れてから彼の生活は一変した。金が転がり込んで来るようになった。出世した。遺産を継いだ。大金を拾った。財布は膨らみ続けた。その膨らみを目にした他人が寄ってきた。そして彼は人間に何の期待も抱かなくなった。
今日も彼は大切な財布をフトコロに入れて木枯らしの中を歩く。両手は人の手の温かさを知ることなく冷えきり、ただフトコロだけがあたたかだった。




