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今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
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万国菓子補お気に召すまま ~クリスマスにはまだ早い~

万国菓子補お気に召すまま ~クリスマスにはまだ早い~

「荘介さん、荘介さん!」


 カランカランとドアベルを鳴り響かせてランチから駆け戻った久美は、昼休みの留守番をしていた荘介に目を輝かせて報告した。


「大橋駅前にクリスマスツリーができてます!」


「へえ、初お目見えですね」


「すごいんですよ! 三メートルはあって、立派なんです!」


「それは見にいかないといけませんね」


「ぜひ!」


「じゃあ、ちょっと行ってきます」


「はい!」


 両手を握りしめて興奮気味の久美の横をすり抜けて荘介は外へ出ていった。久美は上機嫌でエプロンを身に付け、ショーケースの裏に回り仕事を始めようとして、急に顔を上げた。


「あ!」


 慌ててドアを見返るが、荘介はとっくに出ていってしまっていた。


「しまったあ……」


 久美はがっくりと肩を落とした。


 『万国菓子舗お気に召すまま』という一風変わった名前のこの店は、店主の村崎荘介とアルバイトの斉藤久美の二人だけで営業している。

 万国という名に恥じず荘介はお菓子ならばなんでも作って見せる。和菓子はもちろん、アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、インドに中東、果ては物語にしか出てこないお菓子まで美味しく作り出す。その腕は確かで近隣はもちろん、遠方からも足を運ぶ客は少なくない。

 そんな客のなかには荘介に会うことを楽しみにする女性ファンも多い。ギリシャ彫刻のように整った顔とすらりとした長身で、主に奥様方からの人気が高い。


 けれど、荘介に会うのはなかなか難しい。サボりグセのある荘介は、朝一番にお菓子をショーケースに並べると、どこへともなくふらりと出かけてしまい、店は久美にまかせきりになる。

 だから店のお菓子は売りきりで追加が出ることはない。大抵お菓子は夕方までには捌けてしまい、久美はヒマを持て余すことが多い。追加のお菓子を出しましょうよ、と折々に荘介に訴えるのだが、聞き入れられずに数年がたっていた。

 荘介をみずから送り出したことに気付き軽くため息をついた久美は「しかたないなあ」といつも通りにつぶやいて仕事をはじめた。




 駅前のクリスマスツリーは小春日よりのぽかぽかの陽光を浴びていた。ツリーに飾られた金色のボールやリボンがきらめく。

 それをベンチに座って眺めたり、ツリーをバックに自撮りする人も多い。荘介はほほえましく眺めていた。


「パパー」


 幼い声が聞こえたと思うと、荘介の足に小さな子どもがぎゅっと抱きついた。まだ二歳ほどだろうか、短めのおかっぱにクマのアップリケがついたマフラーを巻いたかわいい女の子だった。荘介は屈みこんで女の子と目線を合わせた。


「パパを探してるのかな?」


 女の子は嬉しそうに笑ってうなずく。


「あゆかー」


 駅の方から若い女性がのんびりと歩いてくる。まだ二十歳そこそこに見える。明るい茶色の髪で底の分厚いブーツを履いているミニスカートの女性だった。あゆかと呼ばれた女の子はふり向いて「ママー」と手を振った。


「あゆか、よかったね! パパが見つかって」


「うん!」


「じゃあ、パパと一緒におうちに帰ろっか」


「うん!」


 母子の会話がぶっとんでいて、荘介は面白がって黙って聞いていた。


「パパ、いこう」


 あゆかに手を引っ張られて荘介はようやく困った顔をしてみせた。


「ごめんね、僕は仕事中だから一緒に行けないよ」


「パパ、お仕事してるの?」


 あゆかの母が荘介の隣に屈んで真顔で尋ねた。


「まあ、一応」


「なんの仕事?」


「お菓子屋さんですよ」


 母親は目をきらめかせて荘介の腕を握って振った。


「すごい、すごい! あゆか、パパはお菓子屋さんなんだって!」


「お菓子屋さん?」


「あゆかの好きなボーロもあるよ!」


「ボーロ食べるぅ」


 母親は立ち上がると、荘介の手を引いて立たせた。反対の手にはあゆかがぶら下がる。


「パパのお店に行こ!」


 二人が左右から元気よく荘介の手を引っ張る。荘介は二人をぶらさげるようにして店に帰っていった。



 客が来ずヒマを持て余してぼんやりドアを見ていた久美は商店街の方から仲良さそうな親子連れがやってくるのに気づいた。両親と小さな子供。背の高い父親を真ん中に、手を繋いで歩いている。どうやらこの店にやってきそうだと思って姿勢をただした久美は、しかし次の瞬間、ショーケースに手をつき身を乗り出した。


「荘介さん!?」


 驚いて動けなくなっている間に親子連れは店に入ってきた。


「ただいま、久美さん」


「へえ、ここがパパの職場? なんかボロいね」


「ぱぱ?」


 久美は小さな女の子を、小柄な女性を、荘介を、順番に見ていった。荘介はそんな久美の動きを面白そうに眺めている。


「荘助さん、いったいなんなんですか?」


「パパの名前、荘介っていうんだ。名字は?」


「村崎ですよ」


「じゃあ、私は村崎かおり、あゆかは村崎あゆかだね!」


「え、ちょっと待って、待って。待って!」


 久美がショーケースの裏から出てきて荘介の前に立った。


「荘助さん、いったいなにごとですか?」


 戸惑いを隠せない久美に、荘介はいかにも楽しげに答えた。


「僕はこの子のパパらしいよ」


 久美はあゆかと荘介の顔を見比べてから、ぽつりと呟いた。


「隠し子?」


 荘介はこらえていた笑いを吹き出して、腹をかかえて笑い続けた。




 かおりとあゆかはイートインスペースで久美が淹れたお茶を飲んでのんびりくつろいでいる。その間に、久美は荘介を厨房に引きずっていって質問をぶつけた。


「あの人たち、誰なんですか?」


「僕の妻子らしいですよ」


「らしいですよって……、まさか知らない人ですか!」


「はい」


「すましてる場合じゃないですよ! 結婚詐欺とかじゃないんですか?」


「うーん。久美さんは結婚詐欺の意味をよく分かっていないような気がするな」


「ちゃんと分かってます。結婚するよって騙してお金を巻き上げる詐欺ですよね」


「かおりさんは、すでに僕の妻らしいですから騙される恐れはないですね」


「そうでなく……」


「ねえ、なにこそこそ話してんの」


 突然の声に久美は驚いて振り返った。厨房の入り口に不機嫌な表情のかおりがいた。


「なんか、あんた偉そうだよね。パパの部下でしょ? きちんとしてよね」


 久美はむっとしてかおりの正面に立った。


「失礼ですけど、あなたなんなんですか?」


「パパの妻よ」


「荘介さんは結婚していません」


「なんであんたが知ってるのよ」


「このお店のことなら、私が一番知ってます」


 小柄なかおりは同じく小柄な久美とたいして背の高さは変わらないようだが、厚底の靴のおかげで上から久美を見下ろせた。


「でもパパのことなら私の方がよく知ってるから」


「知ってるって、どんなことをですか」


「パパが私とあゆかを愛してるってこと」


 久美は荘介に視線を移す。荘介は笑顔のまま軽く肩をすくめてみせただけだ。頼りにならない荘介を放っておいて久美はかおりと対峙する。


「見ず知らずの人をいきなり愛せるはずないでしょ」


「私とあゆかは、パパと運命で結ばれてるから」

 

かおりは飄々としている。


「勝手に運命を捏造しないでください」


「あんた、運命の人に出会えないから嫉妬してるんでしょ」


「嫉妬なんてしてません!」


「私はずっと信じてたもの。いつかきっと私とあゆかを愛してくれる人が現れるって。私たちを助けてくれるって」


 久美の勢いが弱くなる。


「助けって……」


「ママ」


 あゆかが厨房に入ってきてかおりの服を握る。


「ボーロは?」


「今パパが作ってくれるからね」


「は? ボーロ?」


「ね、パパ。あゆかのために作ってくれるよね」


 荘介は嬉しそうに笑って答える。


「もちろん……」


「ちょっと待った!」


 久美が二人の間に割り込む。


「なによ、あんた。じゃまなんだけど」


「当店では特別注文はご予約をいただいています」


「ケチくさい」


「ケチじゃありません! だいたい、材料の調達だって必要だし……」


「作れますよ」


 荘介がのんびりと口を出した。


「簡単ですから、なんならかおりさん、ご自分で作ってみますか?」


 かおりは目を丸くした。


「作れるの? 私が?」


「はい。では」


 荘介は両手をパン! とうちならした。


「作っていきましょうか」


 久美はあからさまにため息をついてみせ、あゆかがぽかんとその様子を見上げた。





 荘介が準備した材料は卵黄、砂糖、片栗粉、ほんの少しの牛乳。


「え、これだけで出来るの?」


「はい。簡単でしょう」


「でもさ……」



「でも?」


 荘介が先を促してもかおりは口ごもったままだ。その視線がわずかに久美に向いたのを荘介は見逃さなかった。


「久美さん、あゆかちゃんを店の方で見ていてくれませんか?」


「え? でもお母さんと一緒じゃないと不安なんじゃ……」


「あゆかは人見知りしないから」


「火を使うので危ないですからね、お願いします」


 久美はいぶかしがりながらも、あゆかに手を差し出した。あゆかは少しもためらうことなく久美の手を握ると一緒に店舗へ歩いていった。久美の姿が完全に見えなくなってから、荘介はかおりに尋ねた。


「先程の『でも』の続きを聞いてもいいですか?」


 かおりは厨房に残っている甘い香りを胸いっぱいに吸ってから小さくうなずいて口を開いた。


「私、お菓子なんか作ったことないんだよね。料理も、あんまりしないし。いいお母さんじゃないんだ」


 かおりは、ちらりと荘介を見上げる。荘介は優しい表情で、ただ聞いていた。


「だからあゆかも私以外の人になつくんだと思う。きっと愛情に飢えてるんだ。あの子、父親の顔知らないし」


 荘介は話を聞きながらオーブンの余熱を始めた。かおりはじっと荘介を見つめる。


「本当に私にも作れる?」


「大丈夫ですよ。僕がサポートしますから」


 力強い荘介の言葉にかおりは素直にうなずいた。




 卵黄と砂糖をすりまぜてから、片栗粉をダマにならないよう少しずつ加える。

 耳たぶほどの固さになるまで牛乳を注ぐ。

 出来た生地を一センチ程度に丸める。


「なんだか粘土で遊んでるみたいだね」


「楽しいですか?」


「うん。いつも料理なんか仕方なくやってたけど、お菓子作りは楽しいかも」


「それはよかった」


 かおりは上目使いに荘介をうかがう。


「パパはなんでそんなに優しいの? 知らない女からパパだなんて呼ばれて気持ち悪くないの?」


「気持ち悪いことなんてないですよ」


「でも、得体が知れないでしょ。怪しいでしょ。何かたくらんでるかもよ」


「信じられる、大丈夫だと思いました」


「なんで?」


「あゆかちゃんが本当に幸せそうだったからです。お母さんが愛情をしっかりそそげる人だと思えたからです」


 かおりはしばらく荘介を見つめていたが、顔を伏せると無言でボーロを丸める作業に戻った。




「では、焼いていきましょう」


 丸め終わったボーロを天板に乗せて低温で卵色に薄く焼き色が現れるまでさっと焼く。

 厨房に卵と砂糖が混ざって焼けていく独特の香りが広がる。

 荘介とかおりは肩を並べて、ただオーブンを見ていた。


「あゆかはさ」


 かおりはぽつりと呟くように話し出した。


「父親を知らないんだ。ろくな人間じゃなくてさ。働かないで何もしないで家で寝てるだけ。私が妊娠して働けなくなっても変わらなくて。つわりで辛い時に『俺のメシは?』って聞かれてキレちゃった。家から追い出しちゃったんだよね」


 自嘲気味にかおりは笑う。荘介は静かに聞いていた。


「サンタさんに何をお願いするの? ってあゆかに聞いたら、パパって答えたんだ。きっとかなうよって言っちゃって、あゆかは信じたんだね。駅前であんたを見たら走って行った」


「あの時は少しびっくりしました」


「ごめんね。あんたがあんまりイイ人そうだったから、調子に乗っちゃって」


「お父さん役に選んでもらえて光栄でしたよ」


 かおりはくすりと笑う。


「あゆかはイイ子だから、自慢の娘になるよ。私はちょっとイイ嫁とは言いにくいけど」


「だけどいいママです」


 面と向かって言われたかおりは照れて顔を赤くした。その時、オーブンが焼き上がりを知らせるブザーを鳴らし、かおりは顔を隠すようにオーブンに向かった。


 あとはボーロを冷ますだけ。かおりは店舗へ戻った。あゆかは遊び疲れたのか久美に抱かれてうとうとしていた。かおりは久美になついているあゆかを見て、胸の奥がツキンと痛んだのを感じた。嫉妬だ。久美が優しい微笑みを浮かべてあゆかを見ている、そのまなざしに嫉妬した。かおりの視線に気づいた久美が顔を上げた。


「出来上がりましたか?」


「あ、うん。冷めたら出来上がり」


「ママー」


 あゆかがかおりの声を聞きつけて眠い目をこすりながら久美の膝から滑り降りた。よたよたとかおりに近づいていく。かおりは腕を広げてあゆかを抱きとめた。


「子供ってすごいですね」


「え? なんで」


「あゆかちゃん、ずっと、ママがね、ママがねっておしゃべりしてくれました。かおりさんのことなんでも知ってるみたい」


「なんでもなんて知らないよ」


 久美はふふふ、と意味ありげに笑う。


「なにさ、気持ち悪い」


「ママはずっと王子様を待ってるんだよって言ってました」


 かおりの顔が一瞬で真っ赤になった。


「ママはサンタさんに王子様が早く来てくれますようにってお願いするの、とも」


 かおりはぷいっと顔を背けあゆかを抱き上げると厨房に駆け戻ろうとした。ボーロを抱えてやってきた荘介とぶつかりそうになって、あわてて止まる。


「ちょっと温かいですが、もう食べられますよ」


 荘介からボーロが入った皿を片手で受け取ったかおりは、皿とあゆかを見比べた。


「ちょうだい、ちょうだい」


 あゆかが手を伸ばす。かおりはしゃがんであゆかを下し、口元にボーロを運んだ。あゆかは、あーんと口を開けて、ぽとりと舌の上に落とされたボーロを噛み締めた。かおりはあゆかがボーロを飲み込むまで、不安げに見つめ続けた。


「おいしーい」


 両手でほっぺたを包んでにこりと笑う。


「本当に? 本当にママの作ったボーロおいしい?」


「うん! おいしい」


 かおりは心底から湧いてくるような喜びを感じた。


「ママ、もうひとつ、もうひとつ」


 あゆかの口にボーロを運ぶごとに、喜びがだんだん大きくなっていく。与えることはこんなに幸せなことだったっけ。かおりは赤ん坊だったあゆかにミルクをやっていた頃を思い出した。自分より高い体温のあゆかを抱いていると心の中まで温かくなるのを感じたことを。

 あゆかはかおりが与えるボーロを嬉しそうに食べ終えた。



「今日はどうもありがとう。またお店に来てもいいかな」


 荘介に見送られて店の外に出たかおりは眠ってしまったあゆかを抱いていた。荘介はあゆかの頭を撫でてやりながら答えた。


「もちろん、いつでも大歓迎ですよ」


「あのさ、あの……」


「なんでしょう」


「あゆかがあんたのことパパって呼んだ時、私、やった! って思ったんだ。あんたに話しかけるきっかけができたって」


 かおりはうつむいて次の言葉を探している。荘介は黙って続きを待った。


「あのさ」


 かおりはそっと荘介の顔を見上げた。


「よかったら、クリスマス、一緒にごはんとかどうかなって思って」


 荘介は優しく笑うとそっと小さく首を横に振った。かおりは残念なようなホッとしたような複雑な思いで荘介の顔を見上げた。


「久美って子のこと、どう思ってるか聞いていい?」


 荘介は店の中を振り返ってから答えた。


「大事な人です。この店にとって」


「あんたにとっては、大事じゃないの?」


 荘介は人差し指を口の前に立ててみせた。


「ひみつです」


 かおりは何か納得したようで「ばいばい」と小さく呟いて去っていった。


「荘介さん、かおりさんと何を話してたんですか?」


 店の中に戻った荘介に、久美は首をかしげて尋ねた。


「僕の一番大切なものについて語り合っていました」


「一番大切なもの? それって何ですか?」


 荘介はまた口の前に指をたてる。


「ひみつです」


 久美はぷうっと頬を膨らませた。


「私には内緒なんですね」


 荘介は久美の目を見つめる。


「いつか、話すよ」


「いつか、なんて信用できません」


「じゃあ、指きりしよう」


 荘介が立てた小指に、久美はおずおずと小指を絡めた。繋いだ小指が恥ずかしくて、でも嬉しくて、久美はくすぐったい気持ちになった。クリスマスプレゼントを待つ子供のようにわくわくを感じていた。

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