一世一代の賭け
一世一代の賭け
「趣味はパチンコです」
しん、と場が静まった。加奈子はもうそんな空気には慣れっこになっていて、すまし顔でイモ焼酎のロックを飲み干した。合コンに集まったメンバーは女子も男子も加奈子がろくに知らない人ばかりで、ということは彼らも加奈子のことをろくに知らないわけで。加奈子の趣味なんて初めて知った喜美があわててフォローに入る。
「さ、最近のパチンコ屋って、すっごく快適になってるらしいよね!」
「喜美ちゃんもパチンコするの?」
たしかゴローとかいう名前の自称サーファーが恐る恐る口をはさんだ。
「まさか! 私はパチンコなんておじさん臭いことしないよう」
言ってしまってから喜美は「しまった」という顔をしたが加奈子は知らん顔で泡盛を注文している。気まずくなった喜美は口をつぐみ、代わりにツヨシとか名乗った自称商社マンがしゃしゃり出てきた。
「でもさ、珍しいよな。男なら一度くらいはパチンコもやるけど。女子でパチンコ屋って入りにくくない?」
「別に」
「趣味っていうくらいだから、うまいの?」
「別に」
「勝ったことある?」
「負けたことがない」
場がざわついた。タクヤが食いついた。
「負けたことがないって、一回も?」
「そう」
「なにか裏技とかあるの? あるなら教えてほしいなあ」
「別に。腕がいいだけ」
ぞんざいな加奈子の言い草に女子連が眉をひそめる。
「加奈子ちゃん、もうさ、趣味の話はいいじゃん」
「私はいいけど」
女子たちの冷めた態度に気づかずにシンゴが興奮した口調で加奈子に迫る。
「ね、これからパチンコ行こうよ。負けないところ見てみたいし。なんなら資金は俺が出すよ」
「ずるいぞ、お前。俺が出すよ。だから、勝ったらさあ、分け前を……」
「そんなこと言うなら俺も……」
「お前ら、あさましいぞ」
カツユキが加奈子に群がる男どもを蹴散らす。
「趣味だって言ってるだろ。儲けるためにやってるんじゃないんじゃないか?」
加奈子は目をあげてカツユキを見た。カツユキは眉間にしわを寄せて厳しい視線で男どもを見据えている。
「せっかく楽しく飲んでるのに、加奈子ちゃんを困らすなよ」
男どもはバツが悪そうに視線をはずすと自分の席に戻って酒を喉に流し込んだ。気を利かせた喜美が場を盛り上げようと話題を変えた。女子連がそれを助けて、明るい雰囲気で会話が続いていった。
趣味の話をしてお開きにならなかった合コンは初めてだった加奈子は、カツユキの背中にそっと「ありがとう」とつぶやいた。それを聞き取ったらしいカツユキはさわやかな微笑みを浮かべた口元で「今度、パチンコ教えてよ」とこっそり囁いた。加奈子はうんざりした表情で聞かなかったふりをした。
けれどカツユキはしつこかった。喜美からメアドを聞きだしたらしく、何通ものメールを送ってきて、会社の前で待ち伏せするようにまでになった。ストーカーとして警察に相談してもよかったのだが、加奈子は面倒くさくて放っておいた。喜美が申し訳なさそうにしながらも加奈子と距離を置くようになって初めて加奈子は重い腰を上げ、夕暮れの公園でカツユキと対峙した。
「いい加減にしてくれない?」
「しない」
「いくら言われてもあなたとパチンコに行くつもりはありません」
「そこをなんとか」
「なりません」
「資金は俺が出すから」
「それ、合コンの時にみんなが言ってたのと同じだから」
「教習費も払うよ」
加奈子の耳がピクリと動いた。
「俺が勝ったら半分は師匠に納金する。俺、パチプロになりたいんだ」
「本気?」
「本気」
加奈子は半眼でカツユキを見ていたが、小さくため息をつくいて、イカらせていた肩を落とした。
「分かったわ。一緒に行きましょう」
加奈子が踵を返して歩き出すと、カツユキは飛び上がりそうなほどに喜んで後ろについてきた。
二人が向かったのは駅のロータリーに面したパチンコ屋。カツユキが不思議そうに加奈子に尋ねる。
「ここ、出ないって評判だけど」
「出ないパチンコ屋が潰れないのはなんでだと思う?」
「収入と支出のバランスがおかしいからじゃないかな? 客から搾り取って、支出がなければ儲かるよね」
「はずれ。それじゃあ客は逃げていくわ。答えは本当はね、出すところで出しているから。小アタリは少ないけど、アタルと大きいのよ。ハイリスクハイリターン。ギャンブルで一番ハマりやすいパターンよ。ここで大勝してしまえば、もうここから離れられなくなるわ。いくら出ない日が続いても、大当たりを出した時の興奮が忘れられずにね」
「師匠もここで大当たり出したの?」
突然加奈子のことを師匠と呼びだしたカツユキの調子良さに呆れながらもまんざらではなく、加奈子の口元がゆるんだ。
「私はどこでだって大当たりを出すわよ」
カツユキは感心して「ほー」とうなりながら加奈子の後について店に入った。耳をつんざくような音楽と、それに負けないパチンコ台の電子音、パチンコ玉がジャラジャラと唸る音、そして哀愁と加齢臭とタバコ臭が鼻につく。加奈子はそのどれもを蹴散らすように足音高く景品代に近づくと、その隣にある自動販売機でカードを買い、パチンコ台に移動した。適当に選んでいるとしか思えない仕草で台につくと、パチンコ台のスロットにカードを差し込んでハンドルを回した。パチンコ玉がジャカジャカと打ち上げられ、すぐにドラムが回り始めた。ぱかぱかと開閉しだしたチューリップに面白いように玉が飲み込まれていく。
「……師匠、アブナイ機械を使ってるんですか?」
「失礼ね。非合法なことなんかしないわよ。釘目さえ読めば誰でもできるわ」
「いや、普通、釘目なんて読めないから」
「よく見ないからよ」
「いや、よく見ても……」
カツユキがなんだかんだ言っている間に一回目の回転が始まった。当たり前のように絵柄がそろう。次の回転も、続けてそろう。次も、また次も。
「うわ、大当たりじゃないか」
「こんな小アタリ驚くにはアタイしないわね。これからよ」
そういうと加奈子は席を立ち、自動販売機にコーヒーを買いに行った。カツユキは加奈子の代わりに台に座りハンドルを回してみた。微妙に少しずつ動かしていったが、玉は加奈子の描く軌道のようにうまくは飛ばない。チューリップに入ったのはわずか二玉だけだった。
「何してるの?」
「あ、すみません、師匠。勝手な真似を……」
「別にいいけど。入らなかったでしょ? この台、シブチンだから」
「え、まさかわざと入らない台でうってるの?」
「入る台は普通の人に取っておいてあげないとかわいそうでしょう」
加奈子はカツユキを押しのけて台の前に座るとぐりっとハンドルを回して、ハンドルと機体の間に玉をつめて固定した。球は同じ軌道を通ってジャンジャカジャンジャカチューリップに吸い込まれていった。素知らぬ顔で加奈子はホットココアをすする。
「魔法みたいだ……」
「そう。魔法よ」
カツユキはいぶかしげな顔で加奈子を見つめた。
「うち、魔女の家系なの。魔女って言ってもヨーロッパの、ほうきで飛ぶようなヤツじゃなくて、頭に鉢巻巻いて蝋燭さしてたりするようなやつ。イタコとかユタみたいな」
イタコもユタもカツユキは知らなかったけれど、あいまいにうなずいておいた。
加奈子はジャンジャンバリバリ玉を出し、すぐに店員がやってきて玉が山盛りなドル箱を、カラのドル箱に交換していく。店員は慣れたもので加奈子の手つきに驚きもしない。
「師匠はこの店の常連なんですか」
「ここいらへん一帯は練り歩いてるわね。一か所だけじゃ、潰れさせちゃうでしょ」
「もしかして、師匠はパチンコで生活してるんですか?」
「まさか。この塩辛いご時世にパチンコだけなんて無理よ」
「じゃあ、他にも何か?」
「競馬、競輪、競艇、宝くじ、toto、株、……」
「株!? 株はギャンブルじゃないでしょう」
加奈子は片眉を上げてカツユキを睨めあげた。
「あれほど中毒性の高いギャンブルはないでしょう」
加奈子の強い視線にあらがえず、カツユキはしぶしぶうなずいた。
「さて。じゃあ、あなた、やってみなさいよ」
「俺ですか? 出ますかね」
「出ないわね」
「じゃあ、なんでやらすんですか」
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば人は動かじ」
「山本五十六ですか」
その時、ちょうどよく軍艦マーチが鳴り出した。
『いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、お客様! ただいまからサービスタイムでございます! 一回転以上なさったお客様にはコーヒーをサービスいたします!』
「ほら、よかったじゃない。もらっておけば、コーヒー」
「そんなに簡単に回らないよ……」
ぶちぶち言いながら椅子に座ったカツユキがハンドルを回すと、一玉目がすっとチューリップに吸い込まれた。二玉目も、三玉目も、四玉目も。そしてドラムがぐるぐると開店した。そして次々と絵柄がそろっていく。
『お客様、大当たり! おめでとうございます!』
マイクを持った店員がカツユキのそばに走り寄ってバタバタと手足を暴れさせてがなり立てた。ちらりと加奈子を見て、マイクを遠ざけてカツユキに耳打ちした。
「あんた、この人にギャンブルを教わろうなんて思っても無駄だぜ」
カツユキは何かを諦めたような深いため息をついて黙ってうなずいた。
結局、この日カツユキが回した台はは300回転し、そのどれもが大当たりでカツユキは結構な厚さの札束を懐にして帰路についた。加奈子も同じ方向だったので、なんとなく二人は並んで歩いた。
「師匠は……」
「ねえ、いい加減止めない? 師匠呼び」
「ああ、ごめん。加奈子ちゃんは本当に魔女なの?」
「そうよ」
あっさり言い放つ加奈子の言葉をカツユキは信じないわけにはいかなかった。今日の大当たりが機械操作でないならば、なにか超自然的な力があると信じねばならなかった。カツユキはパチンコ店で五回台を変えたが、そのどれもが大当たりして、店員は慣れた手つきでドル箱を交換したのだ。現金交換所のおばちゃんは狭い窓から加奈子を見つめ、「今日は変えないの?」と何でもないことのように尋ね、加奈子は「毎日だと悪いから」とひょうひょうと答えていた。
「師匠は……、いや、加奈子ちゃんはギャンブルだけで食っていけるだろうに、なんで会社勤めなんかしてるの」
加奈子は何を言われたか分からない、という顔できょとんとカツユキを見上げた。
「趣味は仕事の合間にするものでしょう?」
「いや、趣味で稼げるならそのほうが……」
「趣味は趣味だから楽しいのよ。毎日八時間、パチンコ台の前に座ってて何が楽しいの?」
「……確かに」
カツユキは自分はパチプロに向いていないらしいと初めて自覚した。そういう点で加奈子に感謝したけれど加奈子はそんなことどうでもよさそうだった。
「そうだ、半分ちょーだい」
明るくカツユキに手を突き出した。カツユキは無言で札束を取り出すと、そのすべてを加奈子の手に乗せた。
「え?」
「俺も趣味にするから、パチンコ。売り上げは人生の師匠に全額捧げるよ」
「人生の師匠だなんて、そんなたいしたアレじゃないけどぉ……」
加奈子は照れてぐねぐねと身をよじりながらカツユキの手から札束を取り上げた。
「じゃあ、次は競艇行く?」
「いや、もうギャンブルはいいよ」
自嘲の笑みを浮かべるカツユキに加奈子は首をかしげた。
「もう嫌気がさしちゃった?」
「いや、ギャンブルで勝つのは、正直、気持ちがいいよ。ただ……」
「ただ、何?」
「これ以上加奈子ちゃんについていったら、俺は弟子から抜け出せないでしょ。だから、次はギャンブルなしで会おうよ」
加奈子はじっとカツユキの目を見つめた。
「それって、大バクチよ、分かってる?」
「もちろん。加奈子ちゃんと付き合うのがどれだけ難しいか、合コンの時によーく分かったよ。パチンコのこと話したの、わざとでしょ」
いたずらっこのように笑って見せるカツユキに加奈子は思わず噴き出した。
「大当たり。景品はなにがいい?」
「そうだなー。まずは遊園地への同行なんてどう?」
「いいわね! いくらでもお付き合いしますよ」
カツユキが差し出した腕に加奈子がつかまって、二人は並んで歩いて行った。この恋の行方がどうなるか、それはギャンブルみたいに二人の心を引き付けた。