朝は弱いのです
朝は弱いのです
如月朝は弱かった。弱虫、弱気、胸は貧弱、ただ、体だけは頑強だった。幼稚園から高校まで無遅刻、無欠席。怪我もほとんどなく健やかに育った。体だけは。
朝はいつも鬱々としていた。世界のすべてが灰色にしか見えなかった。何もかもうまくいかないのは、すべて自分が怠け者なせいだと自分を責めていた。誰も朝を責めてなどいないというのに。
朝は朝がキライだった。毎日、目を開けるのが辛かった。眠りの中だけが逃げ場だった。目を開けている間中ずっと朝は明けない夜の中にいるような気持ちなのだった。
いつからそのような朝だったのか、朝は覚えていない。生まれた時からかもしれない。けれどアルバムの中の朝はいつも笑顔だった。次々とページをめくってめくってめくって、昨日の朝も笑顔だった。薄っぺらい、青ざめた、口の端が引きつったような笑顔だった。
朝にも友人と呼べる人たちがいる。けれど、その誰もが朝の引きつった笑顔に疑問を抱かない。疑うべき余地もなく朝は明るかった。朗らかだった。優しかった。気遣いができた。人当たりがよかった。朝はいつでも引きつった笑顔だったというのに。今では友人たちもスマホの画面の向こう側にしか存在しない。彼らはもう朝の作り笑いすら見やしない。
朝の夜はなかなかやってこない。安らぎの夜は。
街はいつまでも明るいし、家族はいつまでもうるさいし、朝はうまく寝ることができないし。
不眠症と言ってしまえばそれまでだが、朝は眠れぬ時間を縫うようになんとか生きてきた。布団に入っても、目をつぶっても、眠りの夜はなかなかやってこない。眠れない体は泥のように重くて朝はいつしか飛ぶことを忘れた。
おとぎ話のように奇跡はおきない。王子さまは朝を迎えに来ない。分かっているのに朝はまた次の朝を迎える。
朝はもう朝を迎えたくはなかった。
スマホからだった。ある朝その言葉は朝に届いた。
「どこに自分を責める必要があるだろう。必要なときには他人が責めてくれるのに」
朝は自分が真っ白になって消えてしまうような恐怖にも似た感情を抱いた。それはアルバートアインシュタインの言葉だという。アインシュタインはきっとどこまでも自分を責め続けたのだろう。どこまでも消えそうなほど自分を踏み潰したのだろう。
自分を責めてくれる誰かがいる幸福をアルバートアインシュタインは知っていたのだろう。
朝は探し続ける。その人を、その時を、その幸福を。
朝は少しだけ朝起きるのが楽になった。そうして朝はまた歩き始める。
誰かが自分を正当に責めてくれる日を夢見て。そんな、大きな何者かになる日を夢見て。




