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今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
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フラワーofライフ 1

フラワーofライフ 1

バズは肩をがっくりと落としたまま、エールのジョッキを持ち上げ、チビリと口をつける。


「貧乏くさい飲み方してんじゃねーよ!! 今日は俺のおごりだ、バーンと飲め!!」


そう言ってオスカーが背中をバーンと叩いたが、バズは「ケフ」と小さくゲップしただけで、相変わらず背を丸めている。


「辛気くせーなー、オイ!! 女にフラれたなんてメソメソしてたら、人生あっというまに終わっちまわぁ!! いい加減、吹っ切れよ!」


そう言ってオスカーはジョッキをからにして、店の小僧にお代わりを注文した。


「おらよ! 飲めって」


オスカーは二つやって来たジョッキの一つを、バズが抱え込んでいる二口分しか減っていないジョッキの隣に置いた。

バズはそれを深いため息で出迎えた。


「……そんなにすぐに吹っ切れないよ。僕は君とは違うんだ」


オスカーは鼻の頭をポリポリかく。


「ま、たしかにな。俺にはお前みたいな繊細さはねえな」


「僕はなにも能がないダメな男だよ。君みたいに強くない。女性のために詩を作ることもできない」


「そんなことねえよ! お前は、その、うー、えーと……。と、とにかくイイやつだよ!!」


バズは黙ったままテーブルにコインを置くと席をたった。


「オイ、あんまり思い詰めんなよ!!」


オスカーの声を背に、押し出されるように酒場を出た。


フラりフラりと考えなしに歩いていると、一軒の邸宅の前に来た。

バズはふと我にかえり、ふと笑った。

ポケットから鍵を出すと、贅沢な意匠を凝らした大きな門の横、小さな小さな通用門の錠を開け邸宅の中に入った。


目の前には見事なバラ園。かぐわしい芳香は夜になりいっそう深くたおやかだ。

しかし通用門の前に立つバズには、バラ園の本当の美しさは見えない。この庭は、第一に屋敷の主の目を楽しませるために。第二に来客を歓待するために造られたもの。庭師であるバズにはどちらの眺めも堪能することはできない。

けれど、この庭がどんなに素晴らしいか、バズは知っている。

この庭を見た時の彼女の目の輝きの中に、それを見た。

彼女の笑顔。それこそがバズが長年待ち望んだ唯一の、本物の報酬だった。


バラの香りを胸いっぱいに吸い込む。胸の中に、彼女の笑顔がよみがえる。

彼女の笑顔は今夜から伯爵だけに向けられる。今夜から彼女は伯爵の屋敷に住まう。

バズには、彼女の笑顔を正面から見つめることなど無理なこと。一生叶わぬ遠い夢。


バラの垣根をガサガサとかきわける音が、ふいにした。

バズは思わず身を固くする。夜間に屋敷に出入りしたと知れればクビになってしまう。

ガサガサ、ガサガサと鳴る音に、バズはおののいて逃げることもできない。


ニョキっと垣根から首がつきだされた。


「……お、お嬢様!?」


首は豊かな金髪にバラの葉を絡ませたままバズの方へ振り返った。

しかしその表情は一瞬のうちに凍りついた。


「おねがい! 見逃して!!」


「……へ?」


「お父様や伯爵には言わないで!」


お嬢様はガサガサと垣根から身を抜き出すとバズのもとへ走りより、彼の腕にしがみついた。


「え? なん、なんが? え!?」


狼狽するバズにお嬢様は真摯な瞳で訴えた。


「私をここから連れ出して。伯爵の嫁になるなんてまっぴらよ!」


お嬢様はウェディングドレスに身を包んでいた。



バズの住み処は花屋の二階。小さな小さな部屋を借りて住んでいた。

バズに連れられてきたお嬢様は物珍しそうに部屋中キョロキョロ見回している。


「こ、こんな汚い部屋ですみません。けど他に行けるところなんかないし……」


「全然汚くなんかないわ。お花の香りがして素敵だわ」


「そ、それは下が花屋だからで……」


「思い出した!!」


お嬢様はバズの両手をとった。バズは耳まで赤くなる。


「あなた、庭師ね! いつもバラの剪定をしてたわ!」


「は、は、は、はい! ぼ、僕はバラのお世話を……」


言葉を詰まらせたバズに、お嬢様はにっこりと笑いかけた。


「あなたが作った庭が、私、大好き! あの屋敷で唯一、庭だけが私の心安らぐ場所よ!!」


バズには信じられないことが次々起こる夜だ。

お嬢様と間近に会い、あまつさえ、その手に触れ、真正面から笑顔を見、そして……。

バズの目からポロリポロリと涙がこぼれた。


「まあ、どうしたの?」


バズは袖で涙と鼻水を拭いながら切れ切れに答えた。


「ぼ、僕は、僕の庭をそんなに、ほめて、も、もらったこと、なくて」


「そんなこと。私が100回でも200回でもほめるわ。だから、泣かないで」


お嬢様はバズの肩に優しく手をかけた。


「私のことはエリザと呼んで。あなたの名前を教えてくれる?」


「バズ……」


「バズ? よろしくね、バズ。お友だちになってね」


エリザはバズの手をそっと握った。

バズは手を握り返しながら、エリザのことは何があっても守ろうと決めた。

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