たそがれ時の茶話
たそがれ時の茶話
読んでいた新聞を置き、目をつぶって目頭を押さえる。
最近、とみに目が疲れる。
もういい年だし、仕方のないことと言えばそうだが、老眼鏡をかけていても本が読めないようでは、生きる楽しみもない。
退職したら、思う存分、本を読もうと思っていたが、いざ、退職という時には、目のほうがすっかり、読書向きではなくなってしまっている。
なんとも皮肉な話だ。
ため息をついて立ち上がると、妻がテレビを見ている居間へ行く。
「あら。あなたも、お茶召し上がりますか?」
「ああ、もらおう」
テレビでは、若いタレントが、どこぞの店のケーキを食べて目を丸くしている。
いくらなんでも、それでは目が落っこちてしまうぞ。
うまいものを食べているように見せるのが仕事だとしても。
「テレビなんか大げさなだけだ」
「あら、久しぶりに聞きましたね、その口癖」
私の独り言に、湯飲みを差し出しながら妻が相づちをうつ。
「口癖?」
「ええ。昔は、靖子がテレビの歌番組見てキャーキャー言ってたら、必ず言ってましたよ」
「そうだったかな」
「そうですよ」
しばし、沈黙して茶をすする。
テレビの中では、すでにケーキの姿はなく、天気予報が流れている。
明日も、天気は良いらしい。
「花粉の飛散が激しいようです。ご注意ください」、と、お天気のお姉さんが言っている。
「なあ、海斗は花粉症って言ってなかったか」
「そうですよ、毎年、春先には耳鼻科にかかるんですって」
「耳鼻科か。まだ小さいのに、かわいそうになあ。花粉症の治療って、どんなだ?」
「さあ。靖子が、お薬をもらう、とは言ってたけど…あ、お父さん、明日の「夕時トピック」、最新花粉症治療ですって」
「ああ。そうだな」
「見てみたらいいじゃないですか」
「しかしなあ、テレビなんか大げさなだけだからなあ」
ぷう。っと、ヘンな音をさせて妻が笑い出す。
「なんだ、何がおかしい?」
「だって、お父さん、明日、花粉がひどいって言うのも、テレビが言ってたんじゃないですか」
「そりゃそうだが、だから、何だ?」
「花粉情報はよくて、花粉治療情報はダメなんて、なんだか、おかしいわ」
妻はくすくすと笑い続ける。
そうか。言われてみればそうかな。
私はなんとなくバツが悪く、話題を変えてみた。
「そういえば、最近、目がかすんでなあ。新聞もろくに読めんよ」
「あら。いやだ。眼科に行ってみたら?」
「いや、何もそんなに大げさなことじゃないんだ」
「大げさじゃなくて、カスミ目って白内障とか緑内障とかの始まりなことが多いらしいのよ。昨日、テレビでやってたわ」
「テレビなんかおおげさ…」
言おうとしたセリフを、私はあわてて飲み込んだ。
が、妻はぷうっと、また、ヘンな音をさせた。
まあ、いい。
たまには、テレビの言うことを聞くのもいいかもしれない。
時間はいくらでもあるのだ。
「そうだな。明日にでも病院に行ってみる」
「…ええ、それがいいと思うわ」
妻が目じりにうかんだ涙をふきながら、必死で笑いをこらえて言う。
なんということもない、たそがれ時の話である。