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今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
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たまごぱん

たまごぱん

 玉ばあちゃんの店にたまごぱんが入荷された。隼人は間の悪さに舌打ちをした。貯めていたお年玉とお小遣いをはたいて戦艦大和のプラモデルを買ったばかりだった。財布はすっからかんだ。


 玉ばあちゃんの店は雑貨屋と金物屋と駄菓子屋が混ざったような店で村の子供たちの溜まり場だ。隼人も小学校からの帰りに寄り道をしていく。普段は五十円、百円と気を付けながら買い食いをするのだが、玉ばあちゃんがプラモデルを趣味で仕入れだしたのだ。ガンダムや車のプラモデルがトイレットペーパーの隣に並んだ。その中でも一際、大きな箱が、戦艦大和だった。値段も他のプラモデルと桁が違った。だが躊躇はしなかった。その時は。


 隼人はお菓子の棚の最上段に積まれたたまごぱんを恨めしげに見上げた。たまごぱんは一口サイズのまんじゅうのような見た目をしている。原材料は卵、小麦粉、砂糖、ベーキングパウダー、それだけだ。黄色い肌は少しべたつくが、口に入れるとそれが卵の旨味なのだとわかる。じゅわっと口のなかいっぱいに、甘さと柔らかな感触が満ちる。噛めば噛むほど旨味が後から後からやってくる。飲み込むのがもったいなくていつまでも噛んでいたいのに、柔らかなたまごぱんは、あっという間になくなってしまう。


 そんなことを考えながら袋を見ていると、食べたくて食べたくて、口をしっかり閉めていないとよだれが垂れそうだ。

 たまごぱんは30個入って560円。隼人のお小遣いは月500円。財布の中には28円。少なくとも再来月までは買えない。

 たまごぱんは人気商品で品薄らしく、なかなか入荷がない。再来月また入ってくるかわからない。何より、目の前にある大好物を唾を飲みながら見ているのはつらい。隼人は恨みがましい目付きで店の前から去ろうとした。


「隼人くん、買わないの?」


 駄菓子を漁っていた同じクラスの理世が隼人を呼び止めた。振り返ってたまごぱんを見るのが憂鬱で、隼人は肩越しに返事をした。


「腹減ってないから」


「たまごぱん好きでしょ。買っとかないと売り切れるよ」


「またにする」


「お金がないなら貸すよ」


 隼人は思わず振り返ってしまった。理世は隼人を見ておかしそうに笑った。隼人の顔がみるみる真っ赤になる。


「いらん!」


 そう言い捨てると隼人は逃げるように走りだした。山に向かって、人がいないところへ向かって。走っても走っても理世の笑い顔がついてきた。みょうに粘っこい笑顔だ。首を振っても振り落とせない。苦しくてどうすることも出来なくて、とにかく走った。


 神社の長い石段を登りきったところでつまずいて転んだ。息は荒く、身体中から汗がしたたった。起き上がろうにも、もう動けなかった。隼人は地面に背をつけて寝転んだ。

 見上げているのに空が見えていなかった。理世が自分を笑った顔だけが見えた。見たくなくて目をつぶるとますます見えた。腕で目を隠してきつくまぶたを閉じた。理世の顔をしていたはずの笑いが、いつしか自分の笑い顔になっていた。物欲しげな自分を笑っていた。欲しいものを手に入れられない自分を笑っていた。


 呼吸が整うと、隼人はそろりと起き上がった。遠くから、六時を知らせるチャイムが聞こえる。子供たちが家路につく時間だ。隼人は誰もいない神社の階段を駆けおりた。玉ばあちゃんの店に向かって走っていく。理世を見つけて何か言ってやりたかった。何を言いたいのか分からないまま駆け続けた。

 夕焼けた道で誰にも会わなかった。まるで見たこともない国に迷いこんだみたいだった。空も道も家々も薄黄色に染まって古い写真のようだった。自分が本当に道を走っているのかも分からなかった。


 玉ばあちゃんの店に来るころには日がかたむき、薄暗くなっていた。店には明かりがつかず、外から眺めると店内はほとんど真っ暗で何があるのか見えはしない。隼人はそっと敷居をまたいだ。

 玉ばあちゃんは奥の部屋で居眠りをしているのだろう。しん、としていた。隼人は心臓の音が耳のすぐそばでしているような気がした。その音のうるささから逃げようとするように隼人は首を振った。けれど、音は鳴りやまない。理世の笑い顔も消えてくれない。顔を上げると、視界にたまごぱんが飛び込んだ。最後の一袋。隼人は袋をつかむと店の外に飛び出した。たまごぱんの袋を隠すようにぎゅっと胸に抱いて神社まで駆け戻った。石段を登りきった時にはすっかり暗くなっていた。息をきらしたまま、抱き締めていたたまごぱんの袋を見ると、たまごぱんはぺしゃんこにつぶれていた。隼人は手にしたたまごぱんをじっと見下ろしていた。ぶざまにつぶれたたまごぱんは、あの大好きだったものとは、すっかり違ってしまっていた。神社の大きな石灯篭のなかに、たまごぱんの袋をつっこむと、隼人は石段を駆けおりた。暗闇に沈んだ石段は、いつまでも続くような気がしたのに、あっという間に駆け終わった。立ち止まって神社を振り返ろうとしたけれど、体は動いてくれなかった。背中に神社の闇を背負ったまま、隼人は重い足取りで家に帰った。


 それ以来、隼人は神社に行っていない。戦艦大和は箱に入ったまま捨ててしまった。あの日、背中に背負った闇は、今も隼人の足をからめとろうとしているように感じる。その闇にいっそ飲まれてしまえば楽だろうかと思うたびに、たまごぱんの味が舌の上によみがえって、甘い香りが隼人を包んだ。その味が、救いであった。その味が、隼人の後悔であった。石灯篭に隠したたまごぱんは、もう早、黄色味を失って、ボロボロに崩れ落ちた。

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