雨と傘と犬の死体と私の冷酷
雨と傘と犬の死体と私の冷酷
朝、通学途中に犬が死んでいた。車にひかれたらしい。アスファルトに血がたくさんこびりついていた。白い小さなチワワだった。
ああ、犬が死んでいるな、と遅刻ぎりぎりで早足の私は、横目で犬を見ただけで通りすぎた。
帰り道、犬の死体は消えていた。昼から降りだした雨のせいか大量の血も消えていた。
足が止まった。足が止まって、動けなくなった。死体はどこにいったのだろう? 誰かがどこかに墓を作ってやったのだろうか。保健所の職員が処理したのだろうか。
墓、処理。まるで意味合いの違う二つの死体の行方。でも二つに同じ意味がある。
私は犬の死を見て、それに向き合おうとしなかったということ。死体を見たのに無感動だったということ。
ぞっとした。私の冷酷さに。私は生き物の死になんの感想も抱かなかった。その無神経さに。
色とりどりの傘が道を行く。この中の何人が犬の死体を見たのだろう。何人が犬の死をあわれんだろう。
雨は血と腐臭を打ち消した。けれど腐臭は雨自体に染み込んだのだろう。生臭い、生臭い臭いがする。
いや、臭いは私の体から出ているのだ。私は無神経なまま、無神経だからこそ染み付いた腐臭にも気づかず今日を過ごしたのだ。
色とりどりの花のような傘が行き過ぎる。まるで献花のように次々と、犬の死の上に降りかかる雨を、その悲しさを癒していく。
私は傘をかたむけて、今はもうない犬の死体が雨に濡れないように祈った。
 




