ダルマ落とし的に増えていく
ダルマ落とし的に増えていく
「ほら、こういうのをダルマ落とし的に増えていくって言うじゃない?」
またか、とジャクはそっぽを向いた。それを言うなら雪だるま式に、だ。母の面白くもない言いまちがいなど、もう飽き飽きだった。母の内職の、フリーペーパーへのチラシの折り込みを手伝いながらジャクは素知らぬ顔をしてみせた。
「こーん、こーん、って叩くたんびに落ちるダルマのお腹みたいに増えるって意味でしょ。よく言い表してるわよねえ」
だるまの腹は増えない。減っていくんだと心の中では言いかえしていたが、実際に口には出さない。母に何か返事をすれば十倍の言葉が返ってくる。ジャクが無口になったのも、そのせいだと、高校生になった今では思う。
だいたい、ジャクという変な名前も母のせいだ。キラキラネームではない。間違いネームだ。本当は母は『ジャック』という名前をつけたかったらしい。しかし、書類を書く時に『ッ』を飛ばしたのだ。書き忘れたのだ。役所の窓口で「本当にこの名前でよろしいんですか?」と聞かれた時にも、胸を張って「はい!」と答えたのだという。ジャックという外見をしていないジャクにすれば、何か深い言われがありそうに聞こえる分だけジャクという名前で良かったのかもしれないとは思っている。
「あんたの名前もさ、ダルマ落とし的にいい運を運んでくるからさ」
まるでジャクの心中を覗き見たかのようなタイミングの良い母の言葉にぎょっとして、ジャクは動きを止めた。
「小さいツが抜けちゃったけど、その分、何か大きなものが入ってくるわよ」
母はなんでもないことのように言うけれど、ジャクにとっては他人ごとではない。
「大きなものってなんだよ」
「大きなAとか」
「じゃあく、かよ。冗談じゃねえ」
「大きなクヤとか」
「クヤ?」
「ジャクヤクになるでしょ。欣喜雀躍」
それは、少し、うれしい。そう思ったジャクはわざと顔をしかめて乱暴に手を動かした。母はおかまいなしにダルマ落とし的に次から次へとどうでもいい話題を繰り出した。
「じゃあ私、そろそろ配りに行ってくるわ」
チラシの折り込みが終わったフリーペーパーを母はキャリーバッグに積み込んだ。これから一冊ずつ、近所の家、一軒一軒のポストに投函していくのだ。
「帰りにショートケーキ買ってくるから」
甘いもの好きなジャクは思わず笑顔になりかけたが、ぐっとこらえて恐い顔を作ってみせた。
「無駄遣いするなよ。せっかく内職してんのに」
「だってさ、今日は結婚記念日なんだもん」
ジャクは口をつぐんだ。そうか、忘れてた。父さんと母さんに何かプレゼントでも用意した方が良かったかな。考えていると母がまた見透かしたように「いっしょにケーキ食べてくれるだけで嬉しいんだからね」と言い置いて出かけて行った。
せめて父の仏壇に線香でもあげようと仏間に行くと、仏前にアルバムが置いてあった。これを見て若いころを思い出せと父に言い聞かせているのかもしれない。ぱらぱらとめくっていて、ジャクは思わず吹きだした。結婚式の父の写真の顔部分に赤いペンでハートが描かれている。その横に「考広さんは世界一かっこいい」と書いてあった。
「親父の名前は『孝弘』だろ」
線香に火をつけて香炉に立てて手を合わせた。
「母さんのことは俺が見ておくから、安心しろよな」
玄関の方から母の声がした。
「ジャクー、袋がやぶけたー」
「ああ、もう」
ぶつぶつ言いながらジャクは笑顔を無理にしかめつらにした。
「だから安物は買うなって言ってるだろ!」
ジャクはダルマ落とし的に失敗を繰り返す母のために、今しばらくはダルマを積み直す役目に徹することが、大人に近づく方法なのかもしれないと少しだけ思った。ほんの少しだけ。




