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今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
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金持氏殺害事件 ~名探偵・明智耕輔の事件簿~

金持氏殺害事件 ~名探偵・明智耕輔の事件簿~

 死体を前に、小林少年は深く悩んでいた。


 財産家として有名な金持駄蔵氏の誕生パーティに、全く部外者の名探偵・明智耕輔とその助手・小林少年が招かれた時から、不穏な空気は感じていた。

 実際、パーティが始まってからも、場の空気はなごやかとはとても言えず、誰もが不快の念をあらわにしていた。そんなことには頓着しない性質なのか、そらっとぼけていたのか、駄蔵氏が平然と開会の挨拶を述べ、皆の手元にグラスが配られた。

 シャンパンで乾杯し、口々に駄蔵氏の米寿を祝う。

 その後食事が配られたが、メニューは駄蔵氏の大好物だと言うライスカレーとポテトサラダ。

 普段から美食の粋をきわめたために、かえって家庭の味に飢えているのか、それともただのケチなのか。どちらにしろ、カレーもポテトサラダも美味であった。

 食事が始まり五分ほどたった頃、とつぜん駄蔵氏が胸をかきむしり、倒れた。

 おどろいた面々が駆け寄った。明智探偵が毒物中毒であると断定、家政婦が解毒剤を取りに走ったが、戻った時には駄蔵氏はすでに、こと切れていた。


「どうした、小林君、深刻な顔をして」


 ふいに声をかけられ顔をあげると、小林少年の師、名探偵・明智耕輔が端正な顔に柔らかな微笑を浮かべ、すぐそばに立っていた。


「先生、先生は、なぜ駄蔵氏が部外者である先生と僕を食事に招いたか、おわかりなんでしょうか?」


 明智探偵は腕を組み、右手の人差し指であごを触りながら、フフ、と小さく笑う。


「それはもちろん、今夜のような事態に備えて、ということでしょう」


「では、駄蔵氏は自分の命が危ないと予感していたと言うことですか?」


「その可能性が強いでしょう」


「では、なぜ、事前に警察に知らせなかったのでしょう?」


「警察は事件が起こった後にしか動きません。それとおそらく、駄蔵氏は私たちを列席させることで、

 犯人が思いとどまってくれることを願っていたのでしょう。しかし、その思いは、うらぎられた……」


 明智探偵は愁眉をくもらせる。探偵はいつも、被害者の命が儚いことを悲しむ。そんな心優しい探偵に、小林少年は重ねて質問した。


「では、先生。犯人は今日この屋敷にいる人物、と考えてよろしいのでしょうか?」


「もちろん、そうだ。

 駄蔵氏の遺体をよく御覧なさい。顔色が、ややミドリがかっていますね?これは、ヨクアル草の中毒死に顕著な症状です。ヨクアル草は生では無害ですが、加熱することによって強い毒性を示します。ですが、大量の草を煮詰めなければ毒性が現れない。また、その花の優美さゆえ、観賞用に頒布しています。

小林君、われわれがこの屋敷に着いた日のことを覚えていますか?」


「はい。あの日はまだ雪が降り始めたばかりで、屋敷の庭を駄蔵氏に案内されて見学しました。……あ!」


「そうです。この屋敷の庭にはヨクアル草が生えていましたね? しかも、大量に。この屋敷にいるものであれば、雪が積もる前にヨクアル草を刈りとり煮詰めることが可能です」


「しかし、誰が台所に入ったか知りません」


「先ほど聞き込みしたところ、台所に入っていないのは、小林君と私、二人だけでした」


「では、駄蔵氏の関係者は、全員……」


「ええ。犯人の可能性があります。さて、事件について考える端緒として、関係者の名前と被害者との関係を挙げてくれるかな?」


 探偵はそばにあった肘掛け椅子に深く沈みこむと、うつむき加減に目を閉じた。キャスケット帽をチョイと持ち上げながら、小林少年は、その類まれなる記憶力を披露した。


「被害者は金持駄蔵氏、88歳。この屋敷の当主です。

 近隣の山野を所有する財産家として有名です。妻は若くして亡くなり、3人の息子を一人で育て上げました。本日、列席していたのは、その3人の息子と、家政婦、弁護士です。


 長男、一郎、55歳。都内に会社を6件持つ実業家です。最近業績悪化した2件の会社を手放しています。


 次男、次郎、49歳。近隣で牧場を営んでいます。鳥インフルエンザで養鶏場から被害が出て、かなりの損失をかかえています。


 三男、三郎、41歳。定職につかず、暴力団関係の金融業の取立てをやっているようです。


 家政婦、太田美和、23歳。住み込みで10年働いています。本日の料理も家政婦が担当しています。


 弁護士、田辺憲、65歳。父親の代から金持家の担当弁護士として権利関係すべてをまかされています。本日、駄蔵氏が作成した遺言書を関係者に発表すると伝えられています」


「すばらしい。相変わらず、見事な記憶力だ、小林君。その確かな頭脳に、この情報もインプットしてくれたまえ。

 現在、庭のヨクアル草は一本残らず刈り取られている。先ほど雪かきして確かめた。

 われわれが一昨日、庭でヨクアル草を目にしたときから、食事が始まるまでに

 台所に入った人物とその理由は以下の通り。


 一郎。昨日、二時間、コーヒー豆の焙煎のため、台所に篭もる。コーヒー好きの駄蔵氏のため、とっておきのコーヒー豆を仕入れたためだと言う。


 次郎。一昨日、四時間、自家羊毛の染色のため、台所に篭もる。冷え性の駄蔵氏のため、フェルトのスリッパを手作りするためだと言う。


 三郎。本日、二時間、朝粥をたくため、台所に篭もる。朝が弱い駄蔵氏のため、消化の良い朝食を作るためと言う。


 弁護士。昨日、二時間、ネット接続のため、台所に篭もる。屋敷内に台所以外、無線の電波が届かないためと言う。


 家政婦、一昨日、昨日、今日。他の家事をした以外の時間と、他の者が台所を使用しなかった時間、ほぼ台所で過ごす。一昨日からカレーの仕込みに入っており、終始火が入っていたためと言う。


 最後に、当主、被害者の駄蔵氏。食事が始まる20分ほど前、カレーに最後の隠し味を入れると言っていたと言う。この隠し味はカレーを煮込んだ最後に、必ず駄蔵氏が加えるらしい。


 さらに、重要な情報だが。ヨクアル草を植えるときには常備するよう政令で指定されている解毒剤が、薬品庫から消えている。解毒剤はたった少量で効果があるため、通常、小さな容器で販売されている。持ち出すのも隠すのも容易だ。


 おっと。

 今夜、駄蔵氏が倒れ、私がヨクアル草中毒だ、と言った時点で、家政婦が薬品庫に走り、なくなっていると報告したことは、君のことだ、もちろん、おぼえているだろうね。

 さて」


探偵はパチっと目を開けると、小林少年をちらりと見た。


「私の持っている情報はこれですべてだ。どうかね、小林君、犯人の姿は見えたかね?」


「えっ……?いえ、あまりにも情報が少なすぎです。これだけでは何も……」


「少なすぎると言うことはない。なぜなら、私たちは駄蔵氏が毒を盛られたと思われる食事の現場に居合わせたのだからね。さあ、食事の時のことを思い出して御覧」


 小林少年は小首をかしげて考える。


「まず、先生と僕が駄蔵氏と一緒に、食堂に入りました。まだ、テーブルには何も乗っていなかった。

 駄蔵氏が、窓から見える雪景色を指して、これだけの雪が降ったら、町への道は通れなくなる。どうか、骨休めと思って、この屋敷にあともう2~3日逗留してください。と言ってました。

 そこへ弁護士さんが入ってきて、駄蔵氏をすみに呼び、なにやら話していました。駄蔵氏が大声で笑いながら、そんなこと心配しなくても、大丈夫。あとはお願いしますぞ。と言ってました。

 それからすぐに家政婦さんがテーブルの準備をするために入ってきて、テーブルクロスとスプーン、フォーク、グラスをそろえて行きました。弁護士はとっとと退散し、駄蔵氏は野暮用があると言って出て行きました。


 僕と先生はそのまま食堂にいて、近年の犯罪者の年齢統計について論じていました。

 そこへ一郎氏がやってきて、駄蔵氏が我々を雇った理由について、しつこく質問しました。

 先生がてきとうにあしらっている間に、次郎氏、三郎氏がつづけて来て、一郎氏はバツが悪そうに自分の席につきました。次郎氏、三郎氏も、無言で各々の席に着いたところへ、駄蔵氏が弁護士と一緒に戻ってきて、席に着きました。


 駄蔵氏がベルを鳴らすと、家政婦がワゴンに、ごはんを盛った皿とカレーの鍋、サラダ鉢を載せて入ってきました。家政婦がサラダ、カレーをそれぞれに取り分け、配り終えると、駄蔵氏が、ワゴン下部からシャンパンの入ったボトルクーラーを取り出し、駄蔵氏以外、全員のグラスに注ぎました。駄蔵氏はアルコール摂取を医者から禁じられている、と言うことで、水のはいったグラスを家政婦が準備しました。


 駄蔵氏の挨拶の後、駄蔵氏が注いだシャンパンで乾杯し、食事が始まりました。駄蔵氏にすすめられ僕も一口だけシャンパンを飲ませてもらいました、たいへん美味しかったです。家政婦も末席に座り、皆、もくもくと食事をしていました。

 5分ほどたったころ、急に駄蔵氏が胸をかきむしり、もがき苦しみだしました。

 あばれる駄蔵氏が椅子ごと後ろへひっくり返り、列席者が駄蔵氏のもとへ駆け寄りました。

 まず、席が近かった一郎氏、弁護士の二人が口々に「大丈夫ですか!?」「お父さん、どうしました!?」と叫びました。

 次に次郎氏が、駄蔵氏の首筋を触り「脈がない……」と言い、駆けつけた三郎氏が、駄蔵氏の胸に耳を当てました。

 家政婦が駄蔵氏の鼻に頬を寄せ「呼吸が止まっています!」と叫びました。

 その後、先生が心臓マッサージ、一郎氏が人工呼吸を試みました。

 弁護士が救急車を呼びに行きましたが、豪雪のため交通が遮断されており、救急車が来れないと知らされました。

 先生がヨクアル草中毒だ、解毒剤を! とおっしゃったため家政婦が薬品庫へ走りましたが、解毒剤がなくなっていると知らせました。

 心臓マッサージ開始30分後、駄蔵氏の脈が戻らないため、駄蔵氏、死亡と断定しました。その後は食堂を閉鎖し、先生と僕が捜査に当たっている。……以上です」


「すばらしい、小林くん。さすがだね。

 さて、これで、すべての情報はそろった。君は、だれが駄蔵氏毒殺の犯人か、わかるかね?」


「ええ!? これだけの情報で、犯人が断定できるのですか!?」


「もちろんだよ。今回の事件は、至ってシンプルだ。疑問の余地はない。さあ、どうだね? わからないかな?」


 小林少年は、必死に頭をめぐらせた。正直、全員が怪しく思える。一郎、次郎、三郎、それぞれに動機もあるし、殺害も可能だ。弁護士だって、可能性は高い。それに、家政婦。皆が知らないところで駄蔵氏と確執があったかもしれない……。


「うーーーーん。全員、怪しく思えます」


「ほぉ。では、小林くんの容疑者の中には、私も入っているのだろうね?」


「え!? いいえ、まさか! なんで僕が先生を疑わなければいけないんですか!?」


「今回の事件、犯人を絞り込むのに必要なのは、ヨクアル草を煮詰める時間、30分を台所で過ごすことが出来たものはだれか。そして、薬品庫にあったヨクアル草の解毒剤を盗み出すことが出来たもの。さらに、駄蔵氏にヨクアル草を服用させることが出来たもの。以上の三点について考えねばならない」


「そうです! そして、先生は僕と一緒でしたから、ヨクアル草を刈り取ったり煮込んだりする時間はないはずです」


「昨晩、君が寝ている間は、どうです? また、君が入浴している間は?」


「う……」



 明智探偵と小林少年は同室で起居した。小林少年は一度寝込んだら地震があっても起きない質だ。探偵が夜中にそっと部屋を抜け出していても、気付かない可能性が高い。小林少年は深く自省した。


「まあ、それは、冗談ですよ。台所は家政婦さんの私室とつながっていて、夜間は家政婦さんが鍵をかけているそうです」


「なんだあ、びっくりしました。それじゃ一番あやしいのは家政婦の美和さんですね?」


「ほう? それは、どうして?」


「だって彼女が一番、台所を自由に使えるんですから」


「もし彼女が犯人なら、ヨクアル草を事件当日に煮詰める必要があるでしょうか? もっと以前に根こそぎ刈っておいて、庭にヨクアル草など植えたことはないと証言するほうが得策なのでは?」


「そうか……。それは、そうですね。では、弁護士さんは? 昨日、二時間も台所を占拠しています」


「仮に、弁護士が犯人だったとして、どうやって、駄蔵氏に毒を盛ったのかな?」


「あっ! そうか」


「カレーを注いだのは家政婦の美和さん。台所から食堂に運ぶ直前に味見をしている。シャンパンは被害者の駄蔵氏自身。シャンパンの蓋は駄蔵氏が今日開けたそうだ。弁護士は今日、台所に入っていない。しかも駄蔵氏はシャンパンを口にしていない」


「そうすると、いくらヨクアル草を煮詰める時間があったとしても、毒を盛る機会がなければ、犯人ではありえないですね」


「そう。問題は、誰が駄蔵氏だけに毒を盛ることが出来たか、だ。これについて、どう思う?」


「駄蔵氏は一人だけ、シャンパンではなく水を飲んでいました。その水を用意した美和さんが、怪しいのではないでしょうか」


「ふむ。小林君は、ヨクアル草について余り知らないのだね。ヨクアル草は水に溶けると青く発色するんだ。青くならないようにしようと思うと極少量になり、飲み水に致死量を混入することは出来ない。ちなみに、致死量を一度に摂取しないと毒性は尿に溶けて体外へ排出される。致死量を服用すると、五分から十分の間に心臓の異常収縮後、筋弛緩する。いわゆる心筋梗塞に似た症状を起こすんだ」


「つまり……、駄蔵氏は倒れる10分前までには毒を盛られていた。そして、それは駄蔵氏のグラスの水には混入されていない、ということですね」


「そうなるね」


「と、すると、駄蔵氏が死ぬ前に口にした、カレーかサラダに毒が混ぜられていたと考えるのが妥当ですね」


「駄蔵氏が自室でなにか口にしていない限り、そうなるね」


「……う。自室で、ですか。それは……わかりませんよね?」


「まあ、その点は家政婦と弁護士から事情を聴いている。駄蔵氏は自室には飲食物を持ち込まない人だそうだ。何か口にするときは必ず食堂か台所まで下りてくるらしい」


「では、駄蔵氏に毒が盛られたのは……」


「食事の時、と考えて間違いないだろう」


「ヨクアル草が水に混ざると青くなる、というなら、サラダに混ぜられたとは考えにくいですね。サラダが青く変色してしまう。ライスも同じく、青いごはんになる」


「そうかもしれないね」


「と、すると、カレーに混入された……。

 ただ、駄蔵氏の皿だけに入れようとすれば、カレーを注いだ家政婦にしか反抗は不可能だけど……。

 先生、ヨクアル草の致死量は、通常、煎じた状態で30ccですよね。駄蔵氏はカレーを二口程度食べただけでした。その二口に30ccを混入するとしたら…全体でどれだけ大量の毒を振り掛ければいいのでしょう?とても、家政婦がそんなことをしていたようには見えませんでした。普通に鍋から、お玉で二すくい、カレーをよそっただけに見えました」


「私も、そうだと思うね」


「と、すると……。だめです、先生。僕にはさっぱり、わかりません」


「小林くん、記憶力の良い君が、忘れているはずはないんだがね」


「え、一体、何を、ですか?」


「解毒剤について、だよ」


「解毒剤……。薬品庫にあったものが、犯行後には消えていたと家政婦が証言したのでしたね」


「そうだ。たしかに家政婦はそのように証言した。しかし、いつ、解毒剤が消えたのか、その証言は得られていない」


「あ! もし、解毒剤が犯行以前に盗まれていたとしたら。犯人は、カレー鍋に大量の毒を盛り、駄蔵氏以外に解毒剤を飲ませた……」


「そうかもしれないね」


「先生~。じらさないで教えてくださいよう。犯人は、一体、だれなんですか?」


「うむ。では、犯行動機について、たずねに行こうか」


「え。だれに?」


「もちろん、犯人に。だよ」





「犯人は、あなたですね?」


「はい、そうです。さすが、探偵さん。ごまかしきれませんでしたね」


「一体、どうして、こんなことを?」


「それは……。母のため、かもしれません。母は駄蔵に酷い仕打ちを受けていました」


その人は、窓の外の木に、目をやった。


「母は、あの木で首をつりました。駄蔵の仕打ちに耐え切れなかったのでしょう。

 当時、幼かった私の目の前で、ぶらぶら揺れていた母の足を忘れることが出来ません。それでも、私はこの家で暮らす以外、命をつなぐ方法を知りませんでした。

 駄蔵は私に厳しく接しました。

 金持家に相応しい立ち居振る舞い、言葉遣い、学歴、私の生活はすべて駄蔵の思惑通りに動かされました。私は、それも仕方のないことだと、半ば諦めていました。私は、いくら憎んでも、駄蔵の血を半分、受け継いでいるのですから。

 しかし、その諦念も、あの男の仕打ちの前では意味がありませんでした。

 金持三郎。

 やつが私のすべてを奪っていきました。私に唯一残された人間としての矜持も、やつが根こそぎ奪っていったのです。

 私は、金持家を根絶やしにするつもりでした。この家に関わるすべてのものを殺すつもりでした。もちろん、私自身も。

 ヨクアル草を煮詰め、その大量の汁でカレーを作りました。そして、全員の皿に注ぎました。しかし……。なぜか、死んだのは、駄蔵一人だけでした……」


 それだけ語り終えると、美和は探偵の顔を見上げた。


「私は、たしかに、やり遂げたはずなのです。なのに……。一体、何が起こったのでしょうか? あなたなら、わかるのではないですか? 教えてください。私は何を間違えたのでしょう?」


 探偵は、美和の言葉をうつむいて聞いていた。いつも晴れやかな眉間に、深いしわを寄せて。

 心優しい探偵は、犯人の心情に、心底同情してしまう。事件のたびに彼がいつも苦しんでいることを、助手は知っていた。


「美和さん、一つ、この事件ではっきりしたことがあります」


「なんでしょう?」


「駄蔵氏は、あなたを愛していた。自分の命と引き換えにできるほど」


「な!! そんなわけない! 駄蔵は! あの男は! 私にいつも厳しくて……!」


「金持家の息女として、恥ずかしくない教養を身につけさせようと、あえて厳しく接していたのではないでしょうか?」


「そんなこと……!!」


 美和は絶句してしまう。探偵は美和の無言を蹂躙する。追及の手をゆるめない。


「駄蔵氏は、カレーの隠し味を自ら加えるため、台所にこもる。その時に、あらかじめシャンパンの蓋を抜栓していた。そして、ヨクアル草の解毒剤をシャンパンに仕込んでおいたのです。

 解毒剤が保管されていた薬品庫の鍵は、駄蔵氏と、美和さん、あなただけが持っている。そうですね?」


 探偵の問いに、美和はだまってうなずく。


「駄蔵氏はシャンパンを全員に注いだ。そのシャンパンは乾杯に使われる。解毒剤は炭酸が触媒になって、たとえ少量でも、効果を表す。ヨクアル草の致死量の数倍量を無害にできる。

 そして駄蔵氏は一人、水を飲み毒入りカレーを食べた…」


「そんな!! 私が毒を入れるって知ってたなら、なぜ……。なぜ、あの男は毒を飲んだりしたの……!?」


 探偵は、眉間に深いしわを寄せ、うつむいた。そして、つらそうに口を開く。


「なぜなら、あなたを愛していたからですよ、美和さん。駄蔵氏は、あなたを、実の娘を愛していた。あなたへの贖罪のため、駄蔵氏は命をかけたのです」


「そんな……。そんな!!」


 美和はそれだけ言うと、顔を覆ってわあわあと泣き出した。





「悲しい事件でした……。父親としての愛情の示し方を知らなかった男と、娘としての甘え方を知らなかった女」


「親子ってむずかしいんですね……」


 探偵と小林少年が屋敷を立ち去ろうとした時、後ろから金持三郎が近づいてきた。


「いよぉ、お二人さん!! さすが、名のある探偵さんは違うね、恐れ入りました! 見事、親父の敵を討ってくれた。感謝するよ!」


 探偵は、すっと、右の目だけ半眼に閉じ、三郎を睥睨する。


「お言葉、痛み入ります。つきまして、駄蔵氏から受領できませんでした必要経費を申請いたしたいが」


「うぇ?! あー、金のことは、弁護士に言ってくれよ! 俺はさ、ほら、よくシラネーから。じゃな」


立ち去ろうとする三郎を、探偵が冷ややかな声で呼び止める。


「金持三郎」


「……んだ、こら、あぁ!? なに、人様の名前、呼び捨てにしてんだよ」


 三郎がふりかえり、右肩だけを不器用に上げつつ探偵に詰め寄る。


「あなたがしたことは、美和さんの今後のため、触れないでおきましょう。しかし、美和さんの相続について横槍を入れるようなことがあれば」


 探偵の姿が消えた。

 と、思った瞬間、探偵は三郎の背後に回っており、三郎の眼球の前に二本の指を突き立てて見せた。


「この指がどこにあるか、約束はできません」


 突如、眼前に現れた指に、度肝を抜かれた三郎は、へなへなと腰を抜かしながら言う。


「わ、わかった、わかってるよう。美和は大事な妹だって。へんなことしねえよう」


 探偵は三郎から離れると、にこり、と笑って見せた。


「結構。われわれは常に美和さんの味方です。おぼえておいてくださいね」


「へっ……、へへへっ……」


微妙な半笑いを残して、三郎は小走りに逃げていった。


「……やつは、美和さんが妹だと、知っていたんですね。それなのに……」


 いいよどみ、小林少年は目に涙を浮かべた。探偵が、無言で少年の頭をぽんぽん、となでる。


「さあ、小林くん、帰りましょうか。事務所で事件が待っているかもしれません」


「……はい!」


小林少年は服の袖で、ごしごしと目元をこすった。


『どんな難事件もお任せください


    明智耕輔探偵事務所 』


看板にいつわりなし! と胸を張り、小林少年は探偵のもとへ駆けていった。

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