幸福の電話
幸福の電話
真っ暗な部屋に帰ると、留守番電話がピカピカと、メッセージがあることを伝えていた。
転職して、3ヶ月。
実家から離れ、携帯があれば自宅電話はいらないか、とも思ったが。
年老いた両親が、携帯に電話をかけることに、未だ慣れておらず、両親のためだけに、電話線を引いた。
ところが、かかってくる電話の9割はセールスで、残り1割は間違い電話だった。
こちらの配慮など、無駄だったようで、両親は嬉々として携帯に電話をかけてくる。
ネクタイをはずしながら、どうせ、セールスか、アンケートの自動音声だろう、と思いつつも、留守電の再生ボタンを押す。
意外なことに、メッセージはそのどちらでもなかった。
「これは、不幸の電話です。
このメッセージを聞いたら、一週間以内に、10人の人に、同じメッセージを送ってください。そうしないと、あなたに不幸がおとずれます。
…あの…おかえりなさい
ぴー
ゴゴロクジゴジュウヨンプン デス 」
ワイシャツのボタンをはずしていた手を止め、思わず、聞き入る。
不幸の電話?
始めて聞いた、そんな話。
遠い昔、子どものころに「不幸の手紙」というものが流行ったことがあった。
うちにも、たしか、届いたと思う。
そのころからシニカルな子供だったようで、一読してゴミ箱に捨てた記憶がある。
あの文面、どんなものだったろうか…?
もう一度、同じメッセージを再生する。
「ぴー
ゴゴロクジゴジュウヨンプン デス 」
聞き覚えの全くない、女性からのメッセージを聞き終え。
最後まで、もう一度、聞いて、なんだか、違和感をおぼえた。
なんだったろうか?
なんだか、不幸の手紙とは違うニュアンスを感じたのだが。
三度、メッセージを再生した。
「これは、不幸の電話です。
このメッセージを聞いたら、一週間以内に、10人の人に、同じメッセージを送ってください。そうしないと、あなたに不幸がおとずれます。
…あの…おかえりなさい
ぴー
ゴゴロクジゴジュウヨンプン デス 」
わかった。これだ。
「おかえりなさい」
不幸の手紙には、こんな文言はなかったはずだ。
なぜ、不幸の電話には、これが加えられたのだろうか?
この一文を加えることで、よりいっそう不幸を招きそうな雰囲気を醸し出せるのだろうか?
などという、どうでもいいことに熱中して、背広をぬぐのも忘れ、四度目、同じメッセージを再生した。
「これは、不幸の電話です。
このメッセージを聞いたら、一週間以内に、10人の人に、同じメッセージを送ってください。そうしないと、あなたに不幸がおとずれます。
…あの…おかえりなさい
ぴー
ゴゴロクジゴジュウヨンプン デス 」
そうか。
不幸の電話は、必ず「留守番電話」に吹き込まねばならない。
もし、誰かが受話器を取り「もしもし?」と言ったにもかかわらず「これは不幸の電話…」云々と話しはじめたら、すぐに切られるか、最悪、叱責される。
不幸の電話をかけるとき、必ず、相手は留守なのだ。
外出し、帰宅して、留守番電話にメッセージが入っていることに気付く。再生してみる。すると、件の
「これは不幸の電話…」と言うメッセージが始まる。
だからこそ、「おかえりなさい」なのだ。
用意周到なことだ。…と、納得しかけて、ふと、また、なにか、違和感をおぼえた。
もうすでに、全文を暗記してしまったメッセージを、今一度、再生する。
「これは、不幸の電話です。
このメッセージを聞いたら、一週間以内に、10人の人に、同じメッセージを送ってください。そうしないと、あなたに不幸がおとずれます。
…あの…おかえりなさい
ぴー
ゴゴロクジゴジュウヨンプン デス 」
これが、すべて決められた、「不幸にならない為に言うべき台詞」だとすると。
「おかえりなさい」という言葉は、冒頭に来てしかるべきではないか?
しかし、実際はメッセージの最後尾につけられている。
これは…もしかしたら。
もう一度、聞き覚えのない女性の声のメッセージを再生する。
何度も再生して、今はもう、この女性が友達だったかのような親近感さえ覚え始めている。
「これは、不幸の電話です。
このメッセージを聞いたら、一週間以内に、10人の人に、同じメッセージを送ってください。そうしないと、あなたに不幸がおとずれます。
…あの…おかえりなさい
ぴー
ゴゴロクジゴジュウヨンプン デス 」
ああ。まちがいない。
彼女が、私に「おかえりなさい」と言ったのだ。
不幸から逃れる手段ではなく、帰宅した私が、このメッセージを聴くことを想定して
私のためだけに、「おかえりなさい」と言ったのだ…
「ただいま」
無人の部屋、留守番電話に向かって、私はささやいた。
それから、受話器を取り、適当な番号に電話をかけた。
もう覚えてしまった、このメッセージを伝えるために。
「おかえりなさい」
を伝えるために。