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今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
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まる・さんかく・しかく

まる・さんかく・しかく

小学校のころ、僕は遠足が楽しみでしかたなかった。

クラスメイトみんなでワイワイ出かけるのも、リュックに詰めたおやつも楽しみだったけど。


一番の楽しみは母のお弁当。

たこさんのウインナー、甘い玉子焼き、ポテトサラダ。

どれも大好きだったけれど、一番の楽しみは母が握った俵おむすび。

円筒形のおむすびに海苔が巻かれたシンプルなものだったんだけど、

噛むと口のなかほろほろとほどけて、密やかな甘みを醸し出した。


遠足、運動会、キャンプ。

そんな特別な時にだけ食べられる特別なおむすび。

大好きだった。


鍛練遠足、というものがあった。僕が通った小学校で。

遠足のカリキュラムが、年一回、登山になるのだ。

高学年になると、修験道の修行道を登る。もはや、鍛練というより苦行だった。


それでも、クラスの体力自慢の男子たちは、ひょいひょいと急斜面を登っていき、運動音痴組は早々にオイテケボリをくった。


僕はオイテケボリ組の中でも最後尾で、後ろを振り返っても急斜面しかない。

不安で情けなくて涙が出そうになった。

それでも、お弁当のおむすびを目指して必死に登った。


頂上にたどりついたとき、僕の息は乱れに乱れ、胃はよじれ、足は震え、さんざんな有り様だった。


「はやくお弁当食べてね、15分で出発するよ」


担任の先生の言葉に急かされるまでもなく、僕はお弁当包みを開けた。

そうして、愕然とした。

おむすびが、ない。


二段になった弁当箱、その二段には二段とも、おかずが詰められていた。

きっと姉の弁当と入れ間違ったのだろう。

姉は二段ともおむすびのお弁当だったのだろう。

そんなことは容易に想像できた。

姉がお弁当の蓋を開けたときの「やられた……」という顔も思い浮かぶ。


それでも。

それでも僕は、そのお弁当を食べることができなくて、そっと蓋を閉めた。


今思うと、馬鹿らしいほど小さな事件だ。

しかし、当時の僕には、取り返しのつかないほど大きな問題だった。

その鍛練遠足が最高学年の最後の遠足であり、中高と寮住まいだった僕は、結局、母のおむすびを6年間しか味わえなかった。

母は僕が18の年に亡くなった。






「ほら、祐、いつまでもそこにいたら邪魔だから」


通夜が終わり、おときが始まるまでのわずかな時間。

母の棺のそばに呆然と座り込んだ僕の背を、姉が蹴り飛ばした。

僕は前のめりに倒れ、畳で鼻を擦り、出血した。

その傷が痛いのかなんなのか、僕の両目からは、だあだあと涙が溢れ、すぐに姉の姿は見えなくなった。





「ほら、これ。食べなさい」


丑三つ時もはるか過ぎ、

ただ母の棺の前にぼんやりと座り込んだ僕に、姉が大皿を突き出した。


そこには、母のおむすびが並んでいた。


ハッとして姉を見上げる。


「……なによ」


姉はそっぽを向いて、そう言った。


不器用で料理などしなかった姉が握ったそのおむすびは、よく見れば、たいそうイビツで母のおむすびとは似ても似つかなかった。


僕は、一番ひどい、俵型やら星形やらわからないおむすびをつまんで口に押し込んだ。


ほろほろとほどけていくおむすび。甘い塩味、少し湿った海苔。


僕は夢中になって両手におむすびを掴むと、がつがつと噛みついた。


母のおむすびの味だった。





「……ありがとう、ねえちゃん」


僕がうつむいたまま言うと、姉はさっさと部屋から出ていこうとした。


「ごちそうさまでした!!」


僕の叫んだ声に、姉が振り向く。


「はい、お粗末様でした」


母の口癖を真似た姉の笑みは母の顔に似て。


「洗いもの、手伝うよ、ねえちゃん」


僕は立って、祭壇を振りかえる。そこにある母の遺影は姉の笑みに似て。

僕も母によく似た笑顔を浮かべ、部屋を出た。

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