猫の目の三日月
猫の目の三日月
少年探偵団に入りたいと由香が思ったのは、もちろん江戸川乱歩を読んでからである。小林少年たちの活躍に憧れたということもあるが、それよりなにより明智小五郎探偵のそばにいられることが羨ましくて羨ましくて仕方ない。明智小五郎は由香の初恋の人だった。小学校の図書館で少年探偵団シリーズを読んでしまってからは『D坂の殺人事件』や『心理試験』などの難しいミステリも読んだ。小学生だったその当時、内容はほとんど分からなかったが。
容姿端麗、頭脳明晰。それに反するようなもじゃもじゃ頭なところが由香の母性本能をくすぐるのだ。ただ残念なことに奥さんがいる。それと、少女助手なる存在がいることに由香は激しく嫉妬した。助手だったら自分の方がはるかに有能だと、なんの根拠もなく思っていた。高校生になった今、その根拠を確立すべく秘書検定の勉強を始めたのだった。
「小林君」
街中で聞こえて来た声に由香は振り返った。どこに小林君がいるのか、少年探偵っぽい男の子であったらいいのに、ときょろきょろ探していると、開襟シャツに半ズボン、ハンチングをかぶった少年がいた。(いた! 本当に小林少年がいた!)由香は両手で口を押さえて叫びだしたいのをこらえた。
「はい、先生、なんでしょう」
「少し寄り道していきましょう」
由香はまばたきを忘れた。先生と呼ばれたその男性は長身に三つ揃えのスーツを着込み、ボルサリーノを被かぶっている。帽子から出ている髪はもじゃもじゃの癖毛だ。由香は吸い寄せられるように二人の後についていった。
二人は駅前の時計塔の下で立ち止まり、辺りを見回した。待ち合わせのメッカである時計塔にもたれている『先生』はゆったりとした優雅な動作で視線を動かしている。由香はぽうっと見惚れていた。
二人が動いたのは駅から出て来た薄汚い身なりの男が信号を渡りはじめた時だった。二人の気配がうっすらと薄れたような気がした。二人は男の後を尾行しだした。由香は十メートルほど離れて二人の後についていった。
男は酒場通りの狭い裏道を行き、一棟のビルに入っていった。二人はそれを見届けると踵を返した。
「さて」
『先生』は、由香が隠れている電柱に向かって声をかけた。
「お嬢さん、そろそろ出てきませんか?」
「え、先生、お嬢さんってどこに……」
小林少年がきょろきょろしているところに由香は進み出た。小林少年は驚いて目を丸くした。
「どうして私達の後をついて来ていたのですか」
先生に問われ、由香は胸の前で両手を握りしめると、思い切って言葉を切り出した。
「私を助手にして下さい!」
「なるほど」
突然の言葉に『先生』は驚きもせず、面白いものを観察するような表情で由香を見つめた。見つめられた由香はみるみる真っ赤になっていく。
「ちょうど事務所で書類の整理をしてくれる人を探していたんです。スリルや冒険はありませんが、お願いできますか?」
「先生、そんな見ず知らずの探偵の知識もない女性に仕事を頼むなんて……」
「小林君は、この女性の見事な尾行の腕前を見たでしょう。しばらくは私もついてこられている事に気付けなかった」
「それはそうですけど……」
「私、がんばります! お掃除もお茶くみもなんでもします!」
小林少年は由香のひたむきさに言葉を失い、『先生』はにっこりと笑った。
「では、今日からよろしくお願いします。私は明智耕輔。探偵を生業にしています」
本物の名探偵が目の前に立っている。由香は嬉しくて倒れそうになりながらも笑顔を返した。
「石原由香です。高校二年生、探偵助手になるのが夢でした!」
夢叶った少女の笑顔の眩しさに小林少年は胸を射ぬかれたような気がした。これからいつも由香に会えると思うとそれだけでうきうきと心が湧きたつのだった。
祭り林の椿事~名探偵・明智耕輔の事件簿~
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