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今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
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わかめうどんの女

わかめうどんの女

 もう疲れた。人をだましてお金ばかり貯めてなにやってるんだろ。使うあてもないお金。使うあてもない人脈。私、なんでこんなこと始めたんだろ。


 ギリギリ合法な範囲のマルチ商法。効きもしない健康食品を、御大層な能書きを垂れて売りさばく。能書きは子会員に、子会員から孫会員に、孫からひ孫に、その先の先までずっと。金づるは続いていく。


 会員の多くは健康食品を買うというのが目的でなく、金儲けのためにやってくる。

 健康食品を買ってくれる人物を三人紹介すると会員グレードが上がる。一般会員でなくブロンズ会員と呼ばれる。紹介した三人がさらに三人ずつを連れてくれば、シルバー会員になる。

 シルバーになると、自分が紹介した三人とその下の九人が健康食品を買った金額のうち三パーセントを受けとることができる。九人がさらにそれぞれ三人をつれてくればそれだけ儲けは増える。


 しかし会員でいつづけるためには健康食品を買いつづけねばならない。グレードが上がれば上がるほど購入義務は増える。わずかな儲けは健康食品の莫大な支払いに消えていく。

 儲けられるのは下部会員を百人以上持っている数人だけだ。そのピラミッドの頂点にいるのが私だ。


 私は美人でもない、頭もよくない。ただ、人が良さそうな見た目をしているだけだ。それだけで人は簡単にだまされる。


 大勢の会員の前で健康食品をすすめるとき、私はいかにも善良な笑顔と愛想の良い声で会員たちのスケベ心をくすぐる。こんな普通の、いや、普通よりも劣った女が儲けてるんだ。私ならもっと稼げるに違いない。そうしてお金を、友人を、なけなしの道徳心をなくしていくのだ。



 会員を集めて演説するのは週に一回。それ以外は私の休日だ。趣味も、家庭も、恋人もない私には行くところもない。かといって家にいても気がふさぐばかりだ。あてもなく外に出た。


 化粧もせず適当な服を着て人の目にとまらぬように道のすみを歩く。ただ、歩く。どこにも行く場所はないのにいつまでも歩く。歩いて歩いて昼過ぎに空腹で倒れそうになった。目についた蕎麦屋に入った。


 店内に客は二人いた。テーブルに覆い被さるようにして蕎麦を食べている。カウンター席の向こうにいる店主と目があった。店主はいらっしゃいとも言わず軽く頭を動かしただけだった。私はカウンターの端、店主の手元が一番よく見える席に座った。


「わかめうどん」


 店主は黙って小さくうなずいた。店主は手早く調理をすすめる。流れるような動きは、何千回も、何万回も同じ動作を繰り返してきた証しだろう。

 無言で目の前に置かれた丼から香り良い湯気がたっている。丼を持ち上げダシをすする。丁寧に仕上げられたダシが腹に落ち、温かく全身をほぐしてくれた。夢中になってうどんをすすり、わかめを噛んだ。ダシを残さず飲んでしまって、ふうと息を吐く。こんなまともなものを食べたのはいつ以来だろう。


 店主は厨房でうどんをうっている。店内になど興味はなさそうだ。食い逃げされても気づかないかもしれない。私は店主の邪魔をしないように百円玉を四枚カウンターに置いて外に出た。


 次の日も、その次の日も、私はうどん屋に通った。店主は変わらず黙ってうなずく。私は毎日わかめうどんを食べた。変わらない毎日。それはこんなにも心を暖めてくれるものだと初めて知った。




「先生、新しい会員を連れてきました」


 シルバー会員の一人が若い女性を紹介する。週に一度の仕事の日、私が詐欺師になる日だ。新しい会員は欲にまみれた視線で私を頭の先から爪先まで観察する。高いブランドのスーツ、ごてごてした宝飾品、そして詐欺師の笑顔。新人はすっかりだまされる。ここに来れば儲かるのだと。


 消費者生活センターの審査が入った。

 儲からないことに気づいた何人かの会員が相談にいったらしい。どうでもいいことだ。私にはもう何もかもどうでもいい。もう疲れた。


 消費者生活センターでの面談を終えた。疲れはてた私の様子を見た職員は同情して、ろくに話も聞かずに私の言うことを信用した。私はますます疲れ、足を踏み出すのも億劫だった。

 わかめうどんを食べにいこう。そう思いつくと少しだけ足が軽くなった。


 いつもの暖簾をくぐって、いつもの席に座る。いつものように店主が小さくうなずく。


「わかめうどん」


 いつも通りに注文して、いつも通りの丼がやってきた。


 丼の中身がいつもと違った。薄切りのかまぼこが二枚わかめの上に乗っていた。ピンクの縁取りのある白いかまぼこ。

 かまぼこが私を叩きのめした。店主の心遣いが私の糸を切った。

 かまぼこをそっと箸でつまんで口に入れた。味は分からなかった。ただひんやりとして、温かいわかめうどんの中で異質だった。

 うどんに箸をつけることができなかった。うどんの温かさは今の私には熱すぎる。きっと内臓を火傷して、もう二度と立ち上がれないだろう。

 百円玉を四枚カウンターに置いて外に出た。


 どんよりと重い雲からぽつりと雨が落ちた。私は行くところもないのに歩き出した。



 そのまま私はあるだけすべてのお金を持って姿をくらました。きっと会員たちが儲けを求めて必死にさがすだろう。だが知ったことではない。私は冷えきった体を内臓を重い足を引きずって歩きつづける。どこへとも知れず、何者でもないままに。


 私はもう一生、わかめうどんを食べないだろう。

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