老いてそうろう
老いてそうろう
美琴は老人が嫌いだ。
老人特有の饐えたような臭いが嫌いだ。
古いゴムのようにしなびた薄黄色い皮膚も嫌いだし、時代の流れを感知しない無知な図々しさも嫌いだ。
センス悪い服、薄暗い家、口うるさいわりに自分が働かないところ。とにかく、老人のなにもかもがウザかった。
独居老人宅へ福祉の弁当を宅配するバイトを始めたのも、福祉的精神からでも敬老心が起きたからでもない。
ただ、他に、美琴の真っ金色のブリーチ髪と、両耳合わせて12個プラス、鼻1個のピアスを許容してくれる勤務先が他になかっただけのことだった。
老人は口うるさい。
美琴の髪もピアスも彼らの口撃対象になる。髪をしばれ、黒くしろ、体を傷つけて親御さんに申し訳ないとは思わんか。
美琴は行く先々で毎日くり返される小言どもを
「はいはいはいはいはい、はーい、おじいいちゃん、またあした!」
とピシャリとはねつけているのだが。
唯一、中村カヨと言う名の85才になる老婆だけは苦手とした。天敵とも思っていた。
腹を出すな、丁寧に話せ、靴のカカトを踏むな。毎日毎日なにかしら見つけては怒ってくる。
カヨババア、と心の中で舌打ちしながら、今日も小言を聞かぬ姿勢を見せようと、小指で耳の穴をほじってみせた。
「あんた!たべもの商売なのに、またそんなことして!」
いつもしかめつらで小言をくり出すその口調がどことなく、美琴を育てた実の祖母に似ているところも、苦手な一因だった。
小言のイントネーションまでそっくりだ。
「はいはいはいはい、わかりましたよー」
「はい、は、一回!」
カヨババアの怒鳴り声を聞きつつ、逃げるように戸を閉めて立ち去るのが、日課となっていた。
「……なんだよ、気味わりいな。なにニヤニヤしてんだよ」
ある日の夕刻、弁当箱回収に中村カヨ宅を訪れた美琴は、めずらしく喜色をうかべたカヨババアに思わず話しかけた。
カヨババアは一瞬、大きく目を見開き輝かせ、嬉々として話しだした。
「いえね、今日のお弁当、私の大好物が入ってたのよ〜。なんだと思う?」
大好物ごときではしゃいで、ガキじゃあるまいし。と美琴は内心二ガニがしく思いはしたが、今日のメニューは頭に入っている。
ブリの照り焼き、ほうれん草のオヒタシ、きんぴらごぼう、卵焼き、こんにゃくの土佐煮。
「……ブリ照り?」
クイズに答えるような気持ちでつい口が動いた。
「はずれ!正解は卵焼きでした」
「なんだ、貧乏臭い」
鼻で笑う美琴に、いつもならガミガミと噛み付くカヨババアが、優しく微笑んで答えた。
「昔はみいんな貧乏だった。
そのころは卵も高価でねえ。卵焼きはおおごちそうだったもんさ。そのころの好物が今でもやっぱり好きなんだよねえ。
あんたも、もう少し年が行けばわかるよ」
美琴の苦手な昔話、美琴の苦手な年取ればわかる。
でも今日は、なぜか腹立たしいとは思わなかった。けれど、そのことをどう説明していいか、美琴は思いつかなかった。
言葉の代わりに、バリバリと金色の頭をかきむしってみる。
「きっとわかんないと思うけど!年なんかとりたくないし。じゃあね」
ぶっきらぼうに、そう言って戸口を出ていこうとした美琴の背中に、カヨババアが声をかけた。
「ありがとうね」
「え?」
思わず、美琴は振り返る。空耳かと思って、怪訝な顔になった。
「ありがとうね」
聞き間違いではなかったようで、カヨババアがくり返す。
「は?なにが?」
「はじめてアンタの方から話しかけてくれたでしょ。
うれしかったよ。
ありがとう」
美琴は舌打ちして乱暴に戸を閉めた。
車のドアが壊れそうなほど勢いよく開け閉めして弁当のカラ容器を荷室に積んだ。
ふと、自分のTシャツを引っ張り下ろしてみる。
ふと、自分の股上の浅いジーンズを引っ張り上げてみる。
どうやっても、お腹は服のなかに仕舞えなかった。
「フン!」
鼻を鳴らして車に乗り込むと、エンジンをかけた。
美琴の耳は、大好きな明太子より真っ赤だった。




