若さ探検隊
若さ探検隊
四十路だ。老化が気になる年になった。日々、肉体の衰えを実感している。道を歩いていて、ふと目に入るガラスに写った我が姿の情けないこと! 猫背というより腰が曲がりぎみで、足を引きずるように歩き、何よりも表情が老けている。むすっとしていて、口の両脇の法令線がズドンと真下に下がっている。いかにも何にでも文句をつけそうなオバさんだ。
肉体の衰えより一層、深刻なのが精神の衰えだ。外に出ることを億劫に思い、好きだった酒場めぐりもしなくなった。家飲みしながらニュースを見て世間のことに愚痴愚痴言っている。まったく若さの欠片もない。
道行く若者が妬ましくて仕方ない。これからいくらでも胸を張って歩いていける若さが憎い。衰えた精神は愚痴っぽく、怒りっぽく、怠惰なくせに自意識ばかりが高い。
冷やし中華が食べたいのだ。そう思っても店に行くのがためらわれるのだ。外で自分を保つにはエネルギーがいる。まっすぐに姿勢を保ち、善人の仮面を保ち、これから向かうどこかがあるという虚栄を保つのは。若いころはエネルギーに溢れ、自然と出来ていたことだ。まっすぐで、善人で、どこまでも自然と歩けた。
若さは残酷だ。無情に人を突き放す。けれど若さは長年の友だった。いつまでも思い出しては懐かしみ、取り戻したいと願うのだ。けれど若さはかえらない。
今や道行きは老いと二人になった。弱々しい足取りを老いに手を引かれ、まだ行くべき場所が見えないままに坂道を下っていく。弱った足は急峻にまろびそうになるというのに老いは容赦なく手を引き、時には倒れたまま引きずっていく。
人はそうまでしても辿り着かねばならないのだ。その場所へ。
ガラスに写る自分をあわれむ。なくしたものを悲しむ。明日はさらに老いる。けれどせめて善人でいよう。親切にやわらかくおだやかでいよう。悲しみを知るほどに人はゆるんでいくものだから。




