拍動
拍動
「どーちーらーにーしーよーおーかーな♪」
楽しげに歌いながら、少女は男の顔をのぞきこむ。
「やめろ……もう……やめてくれ……」
男は憔悴しきってかすれた声を、小刻みに震え続ける喉の奥から絞り出す。
少女は手にしたナイフを男の頬にひた、と這わす。男の体がびくりと痙攣し、震えが止まる。少女が歌の続きを口ずさむ。
「てーんーのーかーみーさーまーのいうーとーーり♪」
歌いながら、男の頬の上をナイフでぴたぴたと叩く。
右頬、左頬、右頬、左頬、右頬、左頬、右頬、左頬、右頬、左頬、右頬、左頬。
ナイフの切っ先が男のまつげをかする。そのたび男はぎゅっと目をつぶるが、すぐにまた目を見開き、少女が操るナイフの行方から目を離さない。
いや、離せないのだ。
男は両手両足を縛られた状態で、太い欅の幹にくくりつけられていた。
右脛、左腿、右手首、左肘、右脇腹、左脇、右肩、左頬。男の体のあちらこちらから血がしたたって欅の根元に落ちている。
少女の歌が終わるたび、足元から徐々に上に向かって、男は切り刻まれていった。
血塗れて赤い袴をつけて長い黒髪を一つにまとめた少女は、ただ歌い、ただ切った。
目が覚めた時、すでに男は縛り上げられ、右脛にすうすうと風が吹きぬけるような冷たさを感じていた。
暗い。
ただ、暗い場所にいることだけはわかった。
首が胸につくほど、がっくりとこうべを垂れた状態で目覚めたため、首と肩がこって容易に身動きもできない。
「けーけーけーのーおーまーけーつーき♪」
愛らしい声が聞こえ、それが途切れると同時に左腿に熱いものが触れた。
反射的に左足を動かして逃れようとする。が、足が動かない。異変に気付き闇雲に体を動かそうとしたが、自由になるのは首だけだった。
痛む首を思い切り伸ばし左足を見下ろす。
とたんに、熱いと感じたものが痛みであったと気付いた。
左の太ももにナイフがささっている。
そのナイフを握った少女が思い切りよくナイフを引き抜くと、太ももから血液が滝のようにほとばしり出た。そのあまりの量と勢いに、男は自分がテレビを見ている気分になった。
しかし、それが現実だとすぐに身をもって理解した。
左足にじんわりとした暖かさと血液が流れ出す不快感、ずきずきうずくような痛みを感じた。呆然と左足を見下ろす。一体、何が起きたのか、理解できない。
「どーちーらーにーしーよーおーかーな♪」
可愛らしい歌声にハッとして顔を上げる。白装束を血でべっとりと赤く染めた少女がナイフを男の腹のあたりでもてあそんでいる。
「やめろ!はなせ!」
それから10分たっただろうか、いや、20分?それとも何時間?
男がどれほど泣き、叫び、恫喝し、嘆願し、説得しようとしても、少女はただ歌いつづけた。ただ切り続けた。
男の体からは十分すぎるほどの血液が流れ出し、男は青い唇を寒さに震わせていた。
「けーけーけーのーおーまーけーつーき♪」
少女の歌が終わると男は思わず目をつぶった。右の目か。左の目か。どちらから血を流すのか。
男の予想に反して目ではなく、右の耳たぶに焼け付くような痛みを感じた。おそるおそる両目を開く。両目とも見えている。
ほっと息を吐いたとき
どくん
男は背中に大きな拍動を感じた。自分の鼓動とは明らかに違う、もっと大きなものが脈打つのを。
「てんじんさまのおとおりだ!!」
少女がさけび、遠くへ駆けていく。ナイフをその手に握ったまま。
目の前のナイフから逃れられたというのに、男はさきほどとは比べ物にならない恐怖に、がたがたと震えだした。
おそろしいものが、男の背後にいた。
男は背中を通して、おそろしいものの拍動を感じた。
どくん
脈打つはずなどないものだった。
男の背中が触れているのは、一本の大きな欅。
いや、はたして本当に、背中にあるのは欅の木なのだろうか?
おかしくはないか?
なにかおかしくはないか?
なぜ一度も見ていないのに、背中に触れるものを欅の木だと思っていたんだ?
あまるほど血を吸ったこのものは……いったい……?
男はもう一度だけ、背中で拍動を感じることができた。
どくん
そしてすべてがまくらくなった。




