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今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
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なくしたレール

なくしたレール

 シュゴオっと煙を噴き上げ汽車が走りだした。惣吉は最後の客に窓越しに弁当を手渡すと、さっと身を引き汽車から離れた。敬礼をして汽車を送りだす。その姿はこの支線の名物にもなっていた。

「お帰りなさい、惣吉さん。今日もお疲れさまでした」

 家に帰ると妻の沙代が濡れた手拭を惣吉に差し出した。惣吉はすすで汚れた顔をごしごしと拭きながら沙代に駅弁を渡した。

「まあ、今日も持って帰ってくれたの。でも勿体ないわ。これ一つでいくらするの」

「値段なんか気にするな。お前は栄養たくさんとって元気な子を産んでくれたらいいんだ」

 沙代は嬉しそうに臨月の腹を撫でた。惣吉は妻の手を優しく取る。

「初めての子なんだ。大事にしてくれよ」

 惣吉の言葉に沙代は微笑んで頷いた。

 翌朝も始発前から惣吉はホームに立った。

「惣吉、精が出るなあ。こんなに早くから稼ぐのはお前か新聞配達くらいなもんだな」

 駅の用務員が惣吉と並んでのんびりと声をかけた。

「今のうちに頑張っとかんと、この支線もなくなるそうやからなあ」

 惣吉は驚いて用務員に向き合った。

「なくなるって、どうして」

「鉄の供出よ。レールを潰して戦闘機を作るんだと」

「そんな……、じゃあ、この駅を使う人はどうするんだ。どうやって町へ出る」

「歩くしかなくなるよなあ」

 用務員はのんびりと駅舎に戻っていく。惣吉は呆然とその背中を見つめていた。この駅がなくなれば惣吉の仕事もなくなる。この寂れた村に他に仕事など無い。かといって町へ働きに出るにしても汽車が走らなくなるのではどうしようもない。先の不安に押しつぶされそうになりながら惣吉は弁当を売った。けれど身が入らなかったせいか、弁当は三つも売れ残った。

 それから日に日に汽車を使う人は増えていった。町へ引っ越すものが増えたのだ。行く汽車は満員で、帰る汽車は人けがなかった。惣吉は上りのホームにへばりつき、一つでも多くの弁当を売った。それでも十分な蓄えなど出来るはずもなかった。

 廃線から一週間、食うに困った惣吉は沙代を残して町へ出た。産み月の沙代を一人で置いていくのは気がかりだったが、遠い町まで妊婦を歩かせることもできない。惣吉は町の駅で弁当を売りながら毎日沙代のことを心配していた。

 ある晩遅く、惣吉に電報が届いた。

「サヨ キケン スグカエレ」

 村の産婆からだった。惣吉は取るものもとりあえず村に向かって駆けだした。雨が強く降っていた。レールが取り除かれた跡をひたすら真っ直ぐに駆ける。顔に当たる雨粒のせいで目を開けていられない。それでも腕で顔をかばいながら走り続けた。

「あ!」

 断崖の際で惣吉は足を止めた。

「鉄橋がなくなっとる!」

 レールと共に汽車が走っていた鉄橋も軍に持っていかれたらしかった。崖は恐ろしく高く、下には急流、向こう岸は遥かに遠い。どうする事も出来ず惣吉はへなへなと座り込んだ。雨は惣吉の上に容赦なく襲いかかった。

 五里離れた石橋までたどりついた頃には惣吉の体は重い石のようで走るのもやっとだった。そこからまた五里戻り、レールの跡をたどり続けた。家に帰った頃には空はすでに明るくなりかけていた。

「沙代!」

 叫びながら家に駆けこむと、産婆が静かに沙代の枕元に座っていた。沙代の隣には小さな敷布に包まれた赤黒い赤ん坊の死体があった。

「遅かったよ。沙代さんは一時前に息を引き取ったよ」

「沙代……」

 ふらふらと沙代に近づき手を取ると、とても冷たく固く、生きていないことがはっきりと分かった。

「沙代……!」

 惣吉はギリギリと歯を食いしばった。

「汽車があれば、レールがあれば、鉄橋があれば……!」

 鬼気迫る惣吉の様子に恐れをなした産婆は転げるように家から出て行った。

 惣吉は沙代の葬儀をすませると町に戻った。雨の中を走った道を、逆戻りして。


 それから何日も、惣吉はふらふらと駅で弁当を売り続けた。何のために稼いでいるのかもわからずに。

 ある時、惣吉は不思議な気がして首をかしげた。

「どうしてこの人たちには汽車が、レールが、鉄橋があるんだ。俺にはないのに」

 惣吉は考え続けて答えを見つけた。

「そうか、戦争が鉄橋を持って行ったんだ、人をたくさん殺すために。じゃあ、俺が戦争のかわりに人を殺そう」

 惣吉は猫いらずを大量に買った。翌朝、仕入れた弁当の蓋を丁寧に一つずつ開けて、猫いらずを振りかけていった。

「人をたくさん殺すんだ。そしたら鉄橋は戻ってくる。沙代のところへ駆けていける」


 シュゴオっと煙を噴き上げ汽車が走りだした。惣吉は最後の客に窓越しに弁当を手渡すと、さっと身を引き汽車から離れた。敬礼をして汽車を送りだす。惣吉は満面に笑みを浮かべる。次の汽車はすぐやってくる。ぞくぞく、ぞくぞくと。惣吉は楽しそうに弁当を売り続けた。


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