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今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
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天の川

天の川

 バケツをひっくり返したような雨、という言葉があるけれど、今日の雨は、バスタブをひっくり返したような雨だ。傘を差していたら水圧に耐えられなかった傘の骨が折れてびしょ濡れになった。まあ、傘が無事なときでも頭以外はびしょ濡れだったんだけど。

 壊れた傘は畳んでしまった。直接頭や肩に降りかかる雨が痛くて重い。滝に打たれる修行ってこんな感じなのかな。

 雨がまるで壁みたいで、歩いても歩いても前が見えない。一メートル先も見えないから、危なくてゆっくりゆっくりとしか歩けない。目にも雨が入り込んでくるから痛くてしかたない。立ち止まって顔にかかった雨を手で拭っていたら、目の前に何か大きなものが落ちてきた。ガッス! というような音をたてて落ちた何かは、地面をのたうちまわった。

「うおぉぉぉ! ぐあぁぁぁ!」

 一瞬、猛獣が吠えているのかと思ったが、よく聞けば人の声だった。

「だ、大丈夫ですか?」

 しゃがみこんでみると、のたうちまわっているのは若い男性だった。なぜか古代中国風のコスプレをしている。

 しばらく悶え続け、唸り続けた男性は腰を押さえて、ぐったりと横たわった。

「あのう、大丈夫ですか?」

 男性は横たわったままで小さく頷く。ちっとも大丈夫そうじゃない。折れた傘をできるだけ広げて男性の頭の上にかざす。打ち付ける雨がちょっぴり弱まった。

「……ありがとうございます。情けが身に染みます」

 男性はむくりと起き上がると深々とお辞儀した。

「私などにもったいないこと。どうぞ捨て置いてください」

 そう言われたからって「はい、そうですか」

 と答えることもできない。

「でも雨がすごいですから、少しでも傘の下に……」

「この雨は私のせいなのです」

「はあ?」

「私は川向こうの恋人に逢いたい一心で天の川に舟を浮かべました。天帝は怒って天の川を増水させて川を氾濫させたのです。私は舟と一緒に流されて空から落ちました」

 男性は悲しそうに顔を歪めた。

「私と恋人が逢えるのは年に一度と天帝に命じられているのです。けれど」

 男性はがばっと立ち上がると天に拳を突き上げた。

「年に一度だなんて我慢できるわけないじゃないか! 私たちは若いんだ! 塩垂れた天帝とはちがう……」

 雨がもっとひどくなった。目を開けていられない。水が叩きつける轟音以外なにも聞こえない。それどころか打ち付ける雨が鼻のなかにまで入ってきて息ができない。

 パニックになりかけた時に、雨は唐突に止んだ。

 顔から水を拭いながら、必死にあえぐ。まだ呼吸ができない恐怖に飲み込まれたままだ。肺が痛くなるほど息を吸い続け、やっと落ち着いて空を見上げた。雲ひとつない気持ちの良い青空が広がっている。狐に化かされたような気になって、ずぶ濡れの自分と折れた傘を見下ろす。

 あの男性の姿が消えていることにようやく気づいた。どうも本当にあったことのような気がしない。幻覚だったのかもしれない。雨すら、幻覚だったのかもしれない。と不安になりながら家に帰ると停電していた。ラジオをつけると、大雨の影響らしかった。

 夜、外は真っ暗で、空には信じられないほどたくさんの星が光っていた。

 空を横断する白い帯が見えた。あれが天の川かな、と見ていると、帯の幅が徐々に細くなって終いには見えなくなった。

 東の空に月が昇って、その明かりで星はほとんど見えなくなった。

 傘を補修しながらラジオを聞いていると、本来の七夕は八月頃なのだという。

「……まさかねえ。もう同じことはしないよねえ」

 天の川の氾濫は収まったのかな? あの男性がまた舟を出さないでくれるといいんだけど。

 ガムテープでくっつけた傘の骨の強度を確かめながら、豪雨がこないことを見えなくなった天の川に祈った。

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