合わせた手
合わせた手
畳に大の字に寝転がって、章太郎はぼんやりと天井を見ていた。日に日に暑さをます夏の陽が窓から差し込み章太郎の顔を焼いた。
部屋の中にはなんにもない。リサイクルショップにすべて引き取ってもらった。電灯まで持っていってもらったから、夜は町明かりが部屋に入ってくる。カーテンだけは置いていってもらえばよかったなと、ちらりと思った。
章太郎が持っているものは、もうなんにもない。
金も家財道具も仕事も親類縁者も恋人もなにもかも、なんにもない。ガスと電気はとうに止まった。水は明日止まるらしい。この部屋も今月いっぱいで章太郎の帰る場所ではなくなる。この世に章太郎のものはなんにもない。
金がなくなってから一週間、水だけで生きている。それも明日で終わる。あとは少しずつ少しずつ、自分の体が自分以外のものになるのを待つだけだった。
不思議と恐れはなかった。なにか不思議な透明感を覚えていた。どこまでも澄みわたった液体に沈んでいるようだった。
こぽり
口から漏れた空気が球になって上っていく。気づけば天井も床も消えていた。
こぽり
澄んだ液体の中に、空気の球は汚ならしい染みのように浮かんでいる。
こぽり
不純物をたっぷり含んだ汚れた空気だ。いや、章太郎の呼気だ。濁ってどんよりした章太郎の呼気だ。
もうなんにもないと思っていたのに、まだこんなに色んなものを身にまとっていたんだな。
こぽり
球はだんだんと透明に近づいていく。
こぽり
こぽり
こぽり
だんだんと自分は透明に近づいていく。
こぽり
こぽり
こぽり
こぽり
こぽり
こぽり
いつしかことばさえもとうめいになって
こぽり
こぽり
のぼっていった
「衰弱死ですな」
監察医の言葉に、刑事は軽く眉根を寄せた。
「色んな死体を見てきましたが、これほど奇妙なのは初めてですよ。はたして自然死でこんなミイラのようになりますかね」
監察医は眼鏡を外して白衣の裾で拭きながら、上目使いに刑事を見た。
「即身仏というのがありますな。生きたまま土中に入って三年三ヶ月後に掘り出される。それは見事なミイラになるそうですな」
「生きたまま仏になる、か。なにやら、この青年の死体がありがたく見えてきましたよ」
「まあ、ひとつ拝んでおきなさい。自分の死が誰かの役に立つなら、彼も嬉しいだろうよ」
監察医は目をつぶり手を合わせた。それは尊いものを拝んでいるようでもあり、章太郎の死を悼んでいるようでもあった。
こぽり
章太郎の口から、最後の透明な球が上っていった。




