クレ シルブプレ
クレ シルブプレ
パリに行くんだ。というと旅なれた友人が三つのフランス語を覚えよと訓辞を垂れた。曰く
「ボンジュール」
「メルシー」
そして
「クレ シルブプレ」
この三つさえ覚えていたら、後はジェスチャーで通じるという。
「そんなこと言っても、買い物して値段を知りたいときはどうするの?」
「財布を出せばいい」
「夜の挨拶はどうするの?」
「ボンジュールで押し通せ」
「道に迷ったら?」
「地図を買え」
どうにも乱暴な海外旅行講座だけれど、間違っているとは言いきれない。
「ねえ、クレ シルブプレってどういう意味?」
「鍵をくれ」
「鍵って、キー?」
「そうだ」
なるほど、それは私に一番大切な言葉だ。私はこの世の謎をすべて解くためのキーを探しに行くのだから。
「音楽学校に行く前に語学学校に行くんだろ?」
「うん。話せないと授業についていけないからね」
「ヴァイオリンですべて通じると楽なだろうにな」
「それが私の夢。世界中の人に通じる音楽をつくるのよ」
「キー、クレ、キャーべ、鍵。どんな国の言葉も表せる万能のマスターキー、見つけろよ」
「メルシー。アデュー」
「それは一番覚えなくていいフランス語だな」
「なんで?」
「さよなら、じゃなくて、また会いましょうと言おう。オールヴォワール」
「オールヴォワール」
「ジュ テ−ム プ−ル トゥ−ジュ−ル」
「え? なんて言ったの?」
「君が鍵を見つけたら、きっとわかるよ」
「ジュ テ−ム プ−ル トゥ−ジュ−ル」
私が繰り返すと、彼は顔を真っ赤にした。ああ、見つけた。ただひとつの鍵はここにあったんだ。
私はこの気持ちと共に海を渡ろう。世界中のどこまでも行って、すべての人のドアをノックしよう。そうして出てきてくれた人に音楽を届けよう。「ジュ テ−ム プ−ル トゥ−ジュ−ル」という音楽を。




