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鼻恋
鼻恋
「鼻毛出てるよ」
気軽にそう言った彼女に、僕は恋をしてしまった。
そして、押して押して押しまくって、ようやく恋人になってもらい、
押して押して押しまくって、ようやく結婚してもらい、数十年が過ぎた。
その間いろいろあったけど、彼女はいつでもはっきりと言ってくれる。
「股間のジッパー開いてるよ」
「口臭ひどいよ」
「アホ毛立ってるよ」
「加齢臭でてきたね」
彼女はほんとうになんでもズバズバと切って捨てるように注意をくれる。僕は彼女と一緒に居なかったらどれだけ間抜けヅラをさらして生きていたか分かったもんじゃない。
そんな彼女も年をとり、だんだんと色々なことを忘れるようになってしまった。僕の鼻毛の事も飛び出たお腹の事も、もう気にもならないようで僕が見えているのかいないのか、いつもぼうっとしていた。
「おハゲになったわね」
気軽にそう言った彼女は、僕を置いて逝ってしまった。彼女が僕にくれた最期の言葉を忘れないために、僕は毎朝頭をピカピカに磨く。あちらへ行った時に彼女が一目で僕と分かるように。




