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今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
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定型の悪夢

定型の悪夢

 悪夢を見て目覚めると起き上がるのが憂鬱である。できればまた、ずぶずぶと夢に潜っていきたいと思うのが不思議だ。現実は悪夢より恐ろしいということだろうか。


 久しぶりに悪夢を見たのだ。

 高校に行かなければならないのに、制服のブラウスがないのだ。遅刻はできない。必死に探していると、窓の外、外壁から突き出た鉄骨の端にブラウスが引っ掛かっている。窓から下を見下ろすと地面が見えないほどの高層にいる。

 それでも学校に行かねばならないから鉄骨を渡ってブラウスを取りに行く。全身から血の気が引く。鉄骨に抱きつくようにして這いより、あと少しで手が届くというところで目が覚めた。


 私の悪夢は大抵、高校に行かねばならないという夢である。数十年前に卒業したはずの過去に未だ囚われ続けている。生きていくのが苦しかったあの頃に。


 私には友人がいない。高校に入って一番に決めたことが「他人と関わらずに生きていく」ということだった。人と話したり笑ったりという日常の些細な何もかもが恐ろしく、辛かった。

 今思えば、あれは思春期鬱だったのではないかと思う。けれどその当時、鬱という病気は遠い国の話を聞くようで、どんなものなのか見当もつかなかった。とにかく私は生き辛い毎日に耐え続けた。学校に通わなくなれば、この苦しみは消えるのだと思っていた。


 ブラウスが見つからない。風にはためき今にも飛んでいきそうなブラウスを掴むことができない。私はあのブラウスを着て、学校に行かなければならないのだ。そうしなければ、この苦しみは消えはしない。


 ある日、また悪夢を見た。クローゼットを開けると、端から端までずらりと濃紺の制服がかかっていて、夜の蓋が開いたかのようだった。やはりブラウスはない。真っ白なシミ一つない清潔なブラウス。私はブラウスを求めて制服をかき分ける。クローゼットに顔を突っ込んで探しても、どこにもブラウスはない。早くしないと卒業式が始まってしまう。卒業できなくなってしまう。


 悪夢から目覚めるたびに自分がどこにいるのか分からなくなる。歳も分からず、本当にブラウスを探さなければならない気持ちになっている。目が覚めきって、高校はとっくに卒業したのだと思い出した一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、呼吸が楽になる。けれどはっきり目覚めると現実は肌がヒリつくほどに痛いのだ。


 私のブラウスはどこにあるのだろう。どうやったら掴めるのだろう。


 ブラウスがない。巨大な迷路の真ん中でパジャマ姿のまま立ち尽くす。四方の道をどちらに進めばよいのか、おろおろと惑いながら、どこにも歩き出せない。


 高校を卒業してから数十年私はブラウスを見つけられないままだ。果たしてそれは本当はどんな色でどんな形をしているのだろう。

 手を伸ばしてもあと一歩届かない、あのブラウス。とうの昔に捨て去ったというのに。失くしてしまったというのに。


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