僕たちは雨を知らない
僕たちは雨を知らない
見渡す限りのサボテン畑で小柄な少年が二人せっせと刈入れをしていた。
「だからさ、ジョイ。夜に抜けだして最終チューブで帰ってくれば大丈夫だって」
「けどワットが見逃すはずないよ」
いたずらの罰当番中だというのに黒髪のカルはまた孤児院を抜けだす算段をしていた。
「だって雨だよ、雨!本物なんだから!」
「空から水が降ってくるなんて信じられないよ」
カルより一回り小柄なジョイは遥か高いドームを見上げる。火星の空は今日も暗いのだろうに人工灯が作る昼光がじゃまして星すら見えない。まして雲などこの星にはない。
「水がたくさん降って来るならサボテンから水を取る必要ないじゃないか。でも地球でだってサボテンを育てたんだろ?」
「水が降る時と降らない時があったらしくて……」
話を聞かずにさっさと歩き出したジョイの後を小走りで追いながらカルはまだ喋り続ける。
「きっとシュウが知恵を貸してくれるよ。だからさ、ジョイ」
溜め息をつきながらジョイは振り返った。
「わかったよ。やってみよう」
「そうこなくっちゃ!」
カルはジョイからサボテンのカゴをさらうと凄い勢いで走りだした。
「急げよ、ジョイ!夕飯、食いっぱぐれるぞー」
少年たちは先を争って駆けていった。
孤児院についた頃には光は夕方の赤に変わっていた。夕飯の時間はとっくに過ぎている
「カル!ジョイ!」
サボテン置き場に向かっていた二人の背中にワットの怒鳴り声が飛んできた。
「サボテン刈りにどれだけ時間をかけるんだ」
「ごめんなさい、ワット先生。ジョイの体中に棘が刺さって手間取ったんです」
「何それ……」
口をはさもうとするジョイを背中に隠してカルは真面目な顔をする。ワットは無精ひげを撫でながら二人に背を向けた。
「飯は残ってないぞ。さっさと寝ちまえ」
「はーい」
しょんぼりと返事して二人はカルの部屋に移動した。カルと同室のシュウが微笑みながら二人を出迎えた。
「遅かったね。またいたずらの相談してたのかな」
「ねえ、シュウ。僕達行かなきゃならないんだ」
「雨を見に行くんだね」
カルは目を丸くした。
「どうしてわかったの、シュウ?」
「君たちがこんな大イベントを見逃すはずはないからね」
カルとジョイは顔を見合わせて頷きあう。
「シュウなら部屋を抜けだす方法を考えてくれるよね」
「君たち、俺が班長だって忘れてないかい?」
「ワットに告げ口する?」
シュウは面白そうに目を動かし机の引き出しから黒パンを二つ取り出した。
「とっておいた、途中で食べたらいいよ。後はまかせて」
「ありがとう、シュウ!」
カルはパンを受け取ると窓から外へ飛び出した。すぐにジョイも続く。シュウがそっとカーテンを引くと孤児院の裏庭は真っ暗になった。駅へ走りながら二人は胸の高鳴りを痛いほど感じた。
都市の中心へ向かう駅は夜だというのに人で溢れて雨の話で持ちきりだった。大人のお尻に潰されそうになりながら二人がなんとかパンを飲みこんだ頃、チューブは目的地についた。
降雨実験が開かれる広場は人だらけだった。カルはすいすい人垣を縫って前へ進む。ジョイは苦労して後をついていった。広場の中央に白衣を着た人達が妙な機械を据えていた。空に向かって二つの筒が突き出た機械はぶるぶると震えて今にも爆発しそうだ。
「皆さん!実験を始めます!」
白衣に白髭の男性が叫び機械のボタンをいくつか押した。二つの筒から玉が打ち上げられ空中で割れる。一瞬、空が霞んで見えたがすぐ元の暗闇に戻った。何も起きない。大人達から不満の声が漏れ始めた頃、空を向いていたカルの頬に水滴が落ちた。皆も気付いたようで空を見上げる。けれど空から落ちてきたのはほんの数滴だけ、それもすぐに消えた。
「成功です!雨が降りました!」
科学者の声に大人たちは呆れた様子で駅に戻っていく。カルとジョイは最後まで残って待ったが、それ以上水は降ってこなかった。
「これが雨……?」
気落ちして孤児院に戻るとシュウがカーテンを開けて待っていた。
「雨はどうだった?」
「降ったよ。たしかに雨は降ったけど、でも皆満足できなかった。僕達は欲張りだ」
シュウはカルとジョイの頭をぐりぐりと撫でた。
「人は欲深いものだよ。いつだって満足なんかできない。だからこそ人間は宇宙に飛び出した。これからもきっともっと遠くに行く」
カルは頬に当たった雨の感触を思い出す。冷たくてどこか懐かしい。
「実験は来月また行われるそうだ。その時はどうする?」
カルはまっすぐにシュウを見上げる。そうだ。僕達は満足なんかしない。いつでももっともっと知りたいんだ、いろんなことを。
「行くよ!そうだよ、僕たちはまだ雨を知らない!」
少年たちの冒険はどこまでもどこまでも続く。




