出会ったり、出会わなかったり。
出会ったり、出会わなかったり。
正直、勘弁してほしかった。
「焼き肉か、ラーメンかなって思うんだけど、どっちがいい?」
初対面で食事に行こうと言って、その二択。阿紗子は眩暈を覚えた。
「もちろん、おごるよ」
相手の中年男は(どうだ、偉いだろう)と言いたげな様子で胸を張っている。モテナイ男性というものの実情を知り、落胆で倒れそうになった。
阿紗子は男性に借りを作らないためにラーメンを選んだ。食券制のラーメン屋で、値段は丸わかりだ。じつにすがすがしい。阿紗子が千円札を食券販売機に投入しようとしていると男性が、
「いや! ここは僕が出すから! 男だからね!」
と得意げにゴリ押ししてきたので、仕方なく札を財布に引っ込めた。
結婚相談所に通って二年がたつ。その間、十二度プロポーズを受けたが阿紗子はすべて断った。理由はどれも、大したことない瑕疵じゃないかと人は言う。けれど阿紗子にとっては何よりも重大な点なのである。がぶがぶと煙草をふかすとか、地面にタンを吐くとか、鼻毛が飛び出ているとか、あまつさえ耳毛までも飛び出ているとか。よくもまあ、こんななりで結婚相談所に登録したものだと思える悪癖の持ち主たちに辟易していたのだ。
それらのことを相談所の職員に伝えると「人の好みはそれぞれですから」と曖昧な笑みで答えが返ってきたが、職員の目は笑っておらず(グダグダ言ってないで誰とでもいいからさっさとくっついて成婚率アップに貢献しやがれ)と如実に語っていた。
その時に紹介されたのが今回の見合い相手、藤堂だった。貿易会社を経営する傍ら「大人の男のためのマナーアップ講座」「大人の男のためのダンディズム養成塾」などを主催していると聞き期待を胸に会ってみたのだ。
たしかに一見、ダンディでマナーをわきまえてはいた。しかし話してみるとその内容は、自分がいかに金持ちか、自分がいかに有能な男か、その二点だけだった。一流ホテルのティールームで延々二時間、自慢話を聞かされて移動したのは近所のショッピングセンター。そこで焼き肉かラーメンかの二択を迫られたのだった。
「いや、僕はね、こう見えてラーメンが大好物なんですよ」
「はあ……」
「仕事で日本各地を飛び回るでしょう。その時は必ずご当地ラーメンを食べに行くんですよ」
「はあ……」
「今までで最高だったのは、やっぱり札幌のキング魚介ラーメンかな」
「はあ……」
「毛ガニが一匹丸々ドンブリの中に入っていてね、値段が五千円もするんですよ」
「はあ……」
生返事を返しながら、阿紗子はお気に入りのピンクのワンピースに汁を飛ばさないように一本ずつそっと麺を口に運んだ。それに目をつけた藤堂が眉を顰める。
「あなた、そんな食べ方じゃあ、せっかくのラーメンが泣きますよ。ラーメンてのは、こうやって」
藤堂はドンブリの半分ほどの麺を一気にすすりこんだ。スープが跳ね飛び藤堂のワイシャツやネクタイを汚す。阿紗子はあっけに取られ藤堂が二口でラーメンをすすりこみスープを一滴も残さず飲みこむのを見つめた。藤堂は(どうだ、男らしいだろう)と思っているのが丸わかりな顔をしていた。にっと笑ったその歯にネギが絡まっていて、阿紗子は食欲をなくした。
「どうしたの、もう食べないの」
「はあ……、食欲がなくて」
「だめだなあ、若いのにそんなことじゃあ。元気な赤ちゃんを産めないぞ」
「はあ……」
「僕はね、子どもはたくさん欲しいんだ。それこそ野球チームが作れるくらいにね! だから頑張って食べてもらわないと」
「はあ?」
「新婚旅行はモルディブでいいよね。僕の実家にある別棟が新居だよ、もちろんリノベーション済だ。それから……」
真面目な顔で素っ頓狂な将来を語る藤堂に馬鹿らしさを感じた阿紗子は千円札を三枚、テーブルに叩きつけて立ち上がった。
「ごちそうさまでした。さようなら」
「待てよ、どうしたんだよ、いきなり」
「いきなり? 私は最初からずっと身体じゅうで不愉快を表していたつもりですけれど」
「うそだろう、機嫌良さそうにラーメンを食べていたじゃないか」
阿紗子は深いため息を吐き三枚の千円札を藤堂のスーツの胸ポケットに押し込んだ。
「なんだよ、この札は」
「お茶代とラーメン代とタクシー代です。気をつけてお帰りください。それじゃ」
さっさと歩いていく阿紗子の後ろ姿を藤堂はぽかんと口を開けて眺めていた。
家に帰るとさっそく弟に今日の一件を話して聞かせた。大学生の弟はゲームから目を離さないまま「へえ」とか「ふうん」とか聞いているやらいないやらわからない返事をよこしたが、阿紗子はとにかく話さないと気がすまない。
「だいたい、おしゃれしてきた女性を食事に連れていくのに、服に匂いがつく店を選ぶバカがどこにいるのよ!」
「どこにって。今日会って来たばっかだろ」
「そうよ! 時間の無駄だったわ!」
阿紗子はワンピースを脱ぎすてると下着姿のまま冷蔵庫からビールを取り出し胡坐をかいて一気飲みした。弟はうんざりした様子で目をそらす。
「ねえちゃん、そういう男らしいことをまず止めたら?」
「いいの、もう。私は男として生きていくから」
「また変なこと言いだしたよ」
「明日から背広を着て仕事して、かわいい女の子とお見合いして幸せな家庭を築くから!」
「はい、はい」
「お嫁さんが来たら、あんたは出ていってもらうわよ」
「はい、はい」
「もう! 少しは話を聞いてくれてもいいじゃないの!」
弟はゲームを中断すると嫌そうに阿紗子の方に向き直った。
「それで? ねえちゃんは見合いの時はかわいい女の子をどんな店に連れていくんだよ」
「そりゃあ、鮨ね!」
「……おやじくさ」
「なによ! ならあんたはどこに連れていくのよ?」
「マクド」
「はあ!? 論外!」
「ねえちゃんは絶対に連れて行かないから安心して」
「あたりまえよ! なによ、お見合いでマクドって」
「マクドでも楽しく過ごせる相手じゃないと結婚は無理かなと思ってさ」
「けど、初対面なのよ」
「だからこそだよ。自分の好みと同じ人じゃないと、結局は長続きしないだろ」
阿紗子は腕を組み、うーんと唸る。その男らしい姿を弟は嫌そうに眺めてからゲームを再開した。
「じゃあ、私はやっぱり鮨をおごってくれる人に出会うまで結婚はしないわ」
弟はもう何も言わず、阿紗子はもう一本、ビールを取りに立つ。つまみに鮨が欲しくてたまらない。
「お鮨の出前取るけど、あんたもいる?」
「ねえちゃんのおごりなら」
「仕方ない。今日はおごってやろう」
「ねえちゃん、おとこらしーい」
「褒めても鮨しか出ないわよ」
おとこらしい、を褒め言葉として受け取る姉の将来は、やはりかわいいお嫁さんをもらうことになるのかもしれない、と弟は家を出る覚悟を決めた。阿紗子は楽しそうに鼻歌を歌いながら出前の電話を入れ、Tシャツとステテコという、やや男らしい部屋着に着替え三本目のビールに手を伸ばしたのだった。




