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今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
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悲しみ日本海

悲しみ日本海

 そうだ。冬の日本海が今の私にはぴったりだ。

 涙も枯れた腫れぼったい目を見開く。久しぶりに見たテレビの中では、今まさに刑事が犯人を追い詰めたところだった。海に突き出した崖の上、砕け散る波濤、吹きすさぶ寒風、その中で犯人の独白が始まった。

『愛も、お金も、夢も。あの男は私のすべてを奪い去ったの』

「ああ、わかる。わかるわ。私も同じ」

 思わずテレビの中の犯人に向かって語りかけてしまう。ずりずりとテレビに這い寄って間近で女優を見つめる。女優の目からこぼれた涙は冬の海風になぶられて今にも凍ってしまいそうだ。ああ、私の涙も凍らせてしまいたい。

 そして私は電車に乗った。


 冬の海岸には私以外に人もいない。ただ吹きすさぶ海風だけが私の耳にゴウゴウと語りかける。「いっそこの海に入ってしまえば、ラクになるよ」と。

 そうだね、それもいいかもしれないね。私にはもうなにも残っていないんだもの。

 海に向かって歩き出した、その時だった。

「うをーーーーー!!」

 背後から突然、雄叫びが聞こえた。びくっと身をすくめて振り返る。裸にフンドシ一丁の男たちが数十人、手に手に松明を掲げ私の方に向かって駆けてくる。

「きゃあああ!!」

 わけもわからず私は逃げ出した。すぐに砂に足をとられて転倒する。倒れた私に目もくれず、男たちは海に突進していく。

「よいやさ!」

「よいやさ!」

 威勢のいい掛け声をあげながら、男たちは互いが持っている松明にバシャバシャと海水をかけあった。松明の炎はすぐに消えた。

「うをーーーーーー!!」

 再び雄叫びを上げつつ、男たちは一目散に陸へ上がり、何処かへ走っていく。海水まみれの肌が風に吹かれて、みるみる真っ赤になっていった。そんなことは全く気にも留めていない様子で、男たちはただ目的地を睨んで走っていく。前へ、前へ、ただ前へと。私は立ち上がると男たちの後を追って走り出した。

 必死に走っているのにどんどん距離が開く。男たちが走る道沿いにはたくさんの人が立っていて、声援を送ったり一緒になって走りだしたりしている。三脚にカメラをすえて写真を撮っている人もチラホラ見えた。

 もうだめだ、口から心臓が出そうだ。立ち止まり荒い息を吐く。肺が燃えるように熱く感じる。膝に手をついたまま視線だけを上げると、男たちが鳥居をくぐり石段を駆け上がっていく姿が見えた。

 息が整うのを待って石段を上った。境内にはフンドシ一丁の男たちと法被姿の人たちが、きちんと整列していた。火が消え、海水まみれになった松明は神前に山と積まれ、神主がおはらいしているところだった。その様子をたくさんの人たちが見物している。私はそばにいた地元の人らしい老婦人に声をかけた。

「あのう、これは、何をしているんですか?」

 老婦人は嬉しそうに話してくれた。

「塩釜祭り言うてね、年一回のおめでたいお祭りよ。あんた旅行で来たんかい?いい時に来たねえ。あの枝を今から焼いて、採れた塩を分けてもらえるから、もらっていきなし。しあわせになれるよお」

 にこにこと笑う老婦人は祭りの由来や、どんなご利益があるかなど、とうとうと語ってくれた。千数百年を超える歴史があるのだという。長い長い時代を、毎年男たちは海に向かって走り、神社まで潮を運んで駆け戻ってきたのだ。

 話を聞いている間に境内には盛大な焚き火がたかれ、松明の枝がどんどん火の中に投じられた。男たちの冷え切って真っ赤な肌が、焚き火で温められて綺麗なピンク色に変わっていく。私はそのピンクの肌を見ながら、男たちの中の血液を思った。素早く走る筋肉を思った。そのすべてを熱中させる歴史を思った。そうして私はなぜだか心がほぐれていくのを感じた。


 夕暮れ時、お土産に塩釜祭りの塩だけを持ち帰りの電車に乗った。嫌な思い出しかない町へ帰るというのに、私の心はうきうきと踊った。

 手の中の包みを見下ろす。和紙に包まれたホンの少しの塩。帰ったらサンマを買って、この塩で食べてみよう。冬の海で採れた塩と魚。きっとぴったり合うに違いない。美味しいものを食べたら、明日はきっと今日よりしあわせにちがいない。

 私は微笑んで車窓から外を見てみた。遠く民家の庭に梅の花が咲いていた。

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