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今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
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ヴァイキングの楽園

ヴァイキングの楽園

「気がついたかね、お嬢ちゃん」

 目を覚ましたアビゲイルを一人の老人が見おろしていた。もっさりとした髭を長く伸ばして口が見えず、頬あてのついた兜のせいで目もほとんど見えない。兜と髭の化け物のようでアビゲイルは思わず後ずさった。すぐに背中が木板にあたり、アビゲイルは振り返った。木板のすぐ向こうは滔々と流れる大河で、自分がいる場所が船の上なのだと気付いた。見回すと、細長い船の両端に屈強な男達が五人ずつ並び櫂を漕いでいる。その他にも何人もの男が行ったり来たりして働いていた。

「あんた、河にプカプカ浮いとったんだよ。覚えてるかね」

 アビゲイルは水をたっぷりと含んだ重い髪をかきあげながら河に落ちた時のことを思い出した。

「突き落とされたの、好きだった人に。赤ん坊が出来たと知って、身分の低い私が邪魔になったから」

 静かな口調で語るアビゲイルの言葉を老人は優しく頷きながら聞いてくれた。

「私、死んでもよかったわ。あの人の好きなようにさせてあげることが出来たら、それが幸せなの」

 冷たい河風がアビゲイルの肩を冷やす。カタカタと震えるアビゲイルに老人は分厚い麻布をかけてやった。

「寒くて震えるのはな、体が生きたいと言うとるからだ。あんたの体はまだ生きたいんだな」

 その時、がくんと船が揺れて停まった。

「長、つきました!」

「よし、上陸だ」

 老人の指示で男たちが岸に上がり、太い綱で船を陸に引っぱり上げていく。船は軽々と陸に上がりそのままソリのように地面を進む。

「ワシ達は新しい土地に行くところだ。今まで誰も住んだことのない荒れた土地だ。あんたはどうするね。また河にうかぶか、町にもどるかね。それともワシ達と荒れ地を耕すかね」

 アビゲイルは答えられずに自分の腕を抱いた。体はまだブルブルと震えている。

「まあ、すぐに決めなくてもいいだろう。とにかく一度、体を温めた方がいいな」

 老人はそう言うと船から飛び降り、男たちに交じって綱を引きはじめた。


 船は数分で止まった。河原から礫地に変わる境目に船を置き、男たちは荷物を抱え歩きはじめた。老人に支えられてアビゲイルも船を下りた。硬い石が裸足の足に痛い。老人は靴を脱ぎアビゲイルに貸してくれた。心配げな表情を浮かべるアビゲイルに老人は笑ってみせた。

「ワシは足の裏が分厚いからな、大丈夫だ」

 その言葉通り、老人は石ころをものともせずヒョイヒョイと歩いていく。アビゲイルは男たちの早い歩幅に必死についていった。

 しばらく進むと急峻な岩山と、そのふもとに開いた洞窟と、丸太で出来た大きな家が見えた。男たちは担いできた荷物を洞窟に運び、老人はアビゲイルを家の中に手招いた。家の中には三人の中年の女がいて、かまどで煮たきをしていた。一人の女がアビゲイルに気付き大きな声を上げた。

「あれまあ! この間は子犬、その前は足を折った子馬、こんどは女の子を拾ってきたのかい。拾いものは小さなものだけにしとくれよ」

「なあに、この娘も十分小さいさ。村はもっと大きくなるんだからな。さあ、かまどのそばで火にあたりなさい」

 アビゲイルは中年女が置いてくれた椅子にすわってかまどの火に手をさしのべた。体中に熱が広がり震えがやっと止まった。

「ほら、これに着替えなさい。そんな薄着じゃ凍りついちまう」

 着古されたドレスと木靴を手渡され、アビゲイルはかまどの陰で濡れた服を脱いだ。老人は外に出て男達に何事か大声で指示を飛ばしている。男たちは石を拾い、雑草を抜き、地面を耕しはじめた。

 アビゲイルが着替え終わってしばらくしてから男たちは家の中に入ってきた。大きなテーブルを囲んで座る。女たちがそれぞれの前にライ麦のパンとスープを置いていく。

「あんたもお食べ」

 女が食卓にアビゲイルを呼び、スープの椀を手渡してくれた。パースニップとマッシュルームのスープは食欲をそそる匂いをあげている。アビゲイルのお腹がぐうっと鳴った。そっと椀に口をつけてスープを飲む。温かく少し塩気の強いスープ。田舎の母が作ってくれた味に似ていた。アビゲイルの目からほろほろと涙がこぼれた。涙がスープに落ちていくのを止めようとするようにアビゲイルはぐっとスープを飲み干した。ライ麦パンを掴んで勢いよくかぶりつく。硬いパンをしっかりと噛みしめて飲みこむ。一口ごとに力が湧いてくる。

 スープのお代りをついでやって、女がほれぼれと溜め息を吐いた。

「いい食べっぷりだねえ。それならお腹の子も元気に育つよ」

 アビゲイルは驚いて手を止めた。

「どうして私が妊娠しているってわかったの?」

「女はね、妊娠すると顔が変わるんだよ。あんたは母親の顔をしてるからね」

 女に指差され、アビゲイルは自分の頬を撫でた。そこには今までとは違う自分があるようで、知らない自分を見つけたようで、アビゲイルはそっと笑った。


 結局、スープを三杯お代わりしたアビゲイルは女達に混ざって後片付けを始めた。女達は名を、ヘッレヴィ、イリニヤ、マリッタと言った。スープを作ったマリッタは料理の腕を見込まれて開墾地にいち早くやってきた。力持ちのイリニヤは自分から志願して大工仕事を手伝った。裁縫のできるヘッレヴィは日々破れてしまう男たちの服を繕っている。

「ヴァイキングが陸に上がるなんて知らなかった」

 アビゲイルの言葉に三人は声を上げて笑う。

「あたしらだって魚ばっかり食べてるわけじゃないからね」

「パンがないと腹いっぱいにならないしねえ」

「野菜も食べなきゃお肌が荒れちまう」

「あんたの肌はとっくに荒れ畑じゃないか」

「なにさ、あんたこそ」

「荒れるのは地面だけでまっぴらさ。それもこれから均していくんだからね」

 三人のおしゃべりは止まることがない。アビゲイルはやかましくもある言葉が、なぜか優しく聞こえてまた泣きそうになった。

 この地にいる男達も女達も、だれもアビゲイルの身の上を問いただそうとはしなかった。アビゲイルは日々、料理を手伝い、繕いものをし、かまどの火を守り続けた。アビゲイルの腹はどんどん大きくなり、産み月になるころには荒れ地は畑に変わり、ヴァイキングも大勢やってきて村が出来ていった。それでも皆が食事をとるのは丸太の家で、テーブルにぎゅうぎゅうになって詰めながら食事をした。スープとパン、川魚、時には誰かが取ってきた鹿やウサギが並ぶこともあった。皆は持ちより、わけあい、共に食べた。

 出産のとき、アビゲイルの周りには大勢の女が集まった。経験豊富な産婆もいて、心丈夫にアビゲイルを元気づけた。赤ん坊の産声を聞いた時、アビゲイルはこの子と並んで食卓につく幸せを思った。

「長、ありがとうございます」

 男の赤ん坊を抱いたアビゲイルは長の小屋を訪ねた。長は立ち上がると赤ん坊の顔を覗きこんだ。

「いい子だな。あんたにそっくりだ。きっと立派に育つ」

 長がさしだした指を赤ん坊はぎゅっと握った。その力強さに長の顔はほころんだ。

「長、この子に名前をいただきたくて来ました」

 アビゲイルは真剣な目で長を見つめた。

「あなたが私に命を返してくれなければ、この子はいませんでした。新しい命にみちびきを下さい」

 長は赤ん坊の目を見つめました。赤ん坊は輝く瞳でどこかまだ知らない遠くを見つめているようでした。

「パラティッシ。この子の行く場所がどこでも楽園であるようにパラティッシと名付けよう」


 開墾は順調に進み、地面の恵みと水の恵みで村は潤い、船を何艘も作り遠く異国と交易をして村は富み栄えた。成長して立派な青年になったパラティッシは船の操縦に才を発揮し、異国に出向き、どの国でも誰からも愛された。そんな人たちからこの村は「パラティッシの村」と呼ばれるようになり、村人は皆幸せに暮らした。ひとつの食卓を、パラティッシと囲みながら。

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