秒針
秒針
初めて腕時計を買った日、急に大人になった気がして嬉しいような恥ずかしいような気持ちになった。高校受験の時のことだ。お金は母に出してもらったけれど時計屋さんには一人で行った。
商店街にある古いお店。ショーウインドーには時計だけでなく金ぴかの眼鏡とかあまりオシャレじゃない指輪なんかが並んでいた。値札を見てみると0がたくさんついていて、自分が持ってきた金額ではとても足りなかった。家に戻ろうか考えていると、お店の扉が開いて丸眼鏡を鼻にのっけたおじいさんが顔を出した。
「いらっしゃい。どうぞ中へ」
そう言って扉を大きく開いてお店のなかに戻っていった。扉を開けっ放しで帰る勇気が出なくておそるおそる扉をくぐった。
お店の中は時計、時計、時計、どこを見ても時計だらけ。壁には大きなものから小さなものまで壁掛け時計がびっしりとかけられ、壁際の棚には目覚まし時計がたくさん乗っていた。
おじいさんは低めのショーケースの向こう側に座って時計の部品を組み立て始めた。小さな小さな歯車が何個も整列していて、おじいさんがピンセットでつまみ上げて組み立てるたびに腕時計になっていく。それは小さなひとつの宇宙を作り上げているようで、いつのまにか目が離せなくなっていた。
「お嬢さんは何をお求めかな」
おじいさんが顔を上げたことにも気づかないくらい必至に時計を見つめていたから、声をかけられて飛び上がりそうになった。
「う、腕時計を……」
声がかすんだけれど、おじいさんにはちゃんと聞こえたみたいでショーケースの中からいくつかの腕時計を出してくれた。そっと値札を見てみたら持っているお金で足りる金額でほっと息をついた。
「あなたくらいの年齢なら、このあたりがいいのではないかな」
いくつか並んだ腕時計の中に好きなキャラクターのデジタル時計があった。それを手にとって腕に巻いてみた。少し子供っぽい気がしたけれどやっぱりかわいい。
その時、壁にかかった掛け時計がいっせいに鳴り始めた。人形が出てきてメロディーにあわせて踊る仕掛け時計。ぱたんぱたんと扉を鳴らして鳩が出てくる鳩時計。ぼうん、と重い音を響かせる柱時計。にぎやかでにぎやかで大きな交差点にいるみたいだった。
時計が鳴りやむと、おじいさんは小さな金属の鍵みたいなものを手に柱時計の前に立った。柱時計はおじいさんの背丈よりも大きい。おじいさんは小さな金属を柱時計の正面にある小さな穴にさしこんで回し始めた。
「それは何をしているんですか」
おじいさんはゆっくりと手をとめた。
「ゼンマイを巻いているんだよ。この時計は毎日ゼンマイを巻かないと動かないんだよ」
「人力で動いてるんですか」
「人力?そうか、人力だね」
おじいさんは嬉しそうに笑った。
「この人力時計はね、もう百歳を越えてるんだよ」
「それって百年以上動いているっていうことですか?」
「そう。手入れさえすれば、まだまだ長生きするんだよ」
おじいさんは私が持っているキャラクターのデジタル時計を見て小さくうなずいた。
「うん。若い人にはかわいらしいものがいいのかもしれないね」
「この時計も百年長生きしますか?」
「いや、それはどうしても寿命は短いね」
短命の時計。これからの人生、時間はとても長いのに、この時計とは長くは付き合えないんだと考えると無性に寂しくなった。
「百年長生きする腕時計はありますか」
おじいさんはショーケースからひとつの大きめな腕時計を取り出した。
「この手巻き時計なら部品を交換しながら百年つかえるだろう」
百年。これから百年後、私がいなくなってもこの腕時計は生きている。私の時間を受け継いで。それはとても素敵なことだと思えた。
「その時計をください」
おじいさんはとても嬉しそうに微笑んだ。
あれから何十年もたって何本かの腕時計を買ったけれど、最初の時計はいつもきれいに修理している。今からも百年先も生きつづける時間は今日も秒針を回しつづけている。永遠に近い未来まで。




