したたるナイフ
したたるナイフ
やっぱりとっておきの一本を使おう。僕は机の引き出しから大型のハンティングナイフを取り出した。鞘から抜くと蛍光灯の青白い光にかざす。研ぎ澄ました刃が白く光る。なんて、安っぽいセリフだけど本当にそうなんだ。ナイフって本当にキレイなんだ。それを知ったのは僕がまだ中学生だった時のこと。
塾からの帰り道、いつもは通らない公園の方の道を選んだ。人通りがなくて外灯も少ないから危ないって言われてたけど、いつもの道にはやつらが待ち構えてるとわかってたから。その日はもう二度も殴られていてそれ以上なんてとても無理だと思ったんだ。
暗い道は恐かった。今にも誰かに襲われるんじゃないかってびくびくしながら歩いた。自然と足音を殺すように、道のすみに身を隠すようにして進んでいった。
突然、公園から誰かが走り出てきた。僕はびくりと身をすくめて立ち止まり息をころした。その人はきょろきょろと慌てた様子で当たりを見回すと僕とは反対の方角に駆けていった。まるで何かから逃げるように。僕は公園からその人を追って誰か出てくるんじゃないかとしばらく隠れていたけれど、公園は怖ろしいほどにしんと静かで人なんかいないんだって分かった。それでも何か気になって公園に入ってみた。雑木がうっそうと茂った手入れの悪い公園はガラの悪いやつらの溜り場になっていたけれどその日は誰もいなかった。公園に一基だけある水銀灯のよわよわしい光を頼りに奥へと進むと、砂場の隅になにか黒いものが落ちていた。ゴミ袋かな、と近づいて見てみると人だった。手足を投げ出しうつ伏せてピクリとも動かない。その背中に生えてるみたいにナイフが突き立っていた。血に濡れた背中とグリップの間、わずかに見える金属が冷たく輝いていた。その輝きは静かだけれど力強く、まがまがしいけれど透明に僕の心を打った。
僕はそっと歩み寄るとナイフのグリップを握ってそっと引っぱった。
「……ぅ……」
かすかな声がしたような気がしたけれど、そんなことにかまってはいられなかった。ずずずず、と重い感触と共に少しずつナイフが引き抜かれていく。赤黒い血にまみれたナイフは光を反射しなかったけれど、それでも僕には光り輝いているように見えた。僕は引き抜いたナイフをハンカチに包んでカバンに隠すと家に向かって走り出した。
公園の殺人事件の犯人は見つからなかった。その、凶器も。
ハンティングナイフはもう何十本か持っている。バイトして貯めたお金で少しずつ買い集めた。いつでも使えるように毎日手入れしている。その準備はすべて今日のため。このナイフをやつの背中に突き立てる時のため。僕はやつを呼びだした公園に向かった。
ヤツは水銀灯の近くでしゃがみこんで煙草を吸っていた。僕はナイフを鞘から抜き出して光にかざしてみた。すうっとどこまでもまっすぐに輝くナイフ。ぞくぞくと喜びが背中を駆け上る。ナイフをしっかりと両手で包みこむ。冷たいグリップが僕の体温で命を得たかのように温まる。
僕の足音に気付いたやつが首をひねって僕を見た。
「へえ、いいモノ持ってんじゃねえか」
ゆっくりと立ち上がって唇を上げて笑う。
「それで?そのナイフで何するつもりだ?お前なんかに何ができるって?」
いつもならやつのまわりにいる仲間たちが大声で笑って僕を怯えさせる。けれど今日そいつらはいない。僕は長年の夢をかなえるためにここに来た。うれしくてうれしくてもう何もかもどうでもいい。
「刺すんだろ?いいから刺せよ。ほら、刺せよ」
両手を広げたやつに近づいていく。ナイフをかざして僕はやつに微笑みかけた。
「君のお父さんなんだよ」
「は?何言ってんだ」
「五年前、この公園で人を殺したの、君のお父さんなんだよ」
「へえ?そりゃいいや。俺は殺人者の息子か。かっこいいじゃないか」
「僕ね、見たんだ。君のお父さんが公園からあわてて逃げていく所。公園に倒れてた人。その人に刺さっていたナイフ。ほら、これがそのナイフ」
やつによく見えるようにナイフをかざしてあげる。
「ほら、この刃があの人の背中に深く深く刺さってたんだ。引き抜くのにずいぶん力がいったよ」
「……本気で言ってるのか」
「うん。本当のことだよ」
「それで、何が言いたいんだ?まさかオヤジを自首させろとでもいうつもりか?」
「まさか。今頃そんな事してどうなるのさ。僕は君のお金が欲しいの」
「金?」
「君が恐喝してるの知ってるよ」
「カツアゲを恐喝なんて言わねえよ。犯罪じゃねえんだ」
くすくすくす、とバカにしたように笑ってあげる。
「なに笑ってんだ!」
「いいじゃない、お金くらい。お父さんが刑務所に行ったらそれこそお金なくなるよ。少しくらい僕にくれてもいいよね」
やつはしばらく僕をにらんでいたけれど、だぼだぼのズボンのポケットから何枚かのお札を出して僕の方に突き出した。
「ほんとにこれで黙っててくれるんだな」
「うそだよ」
やつは驚いてぴたりと動きが止まった。僕はナイフを両手でかまえてやつの体にぶつかるように刺しこんだ。刃先はするりと服を切り裂き肌を切りやぶる。そこでしっかりとした手ごたえがあり、ぶつかった勢いでナイフはやつの腹の中に吸い込まれていく。やつは小さく呻くと僕の肩にもたれかかってきた。
「黙るのは君の方だよ」
やつの耳元で囁いてやって、僕は体を引いた。やつがうつ伏せに地面に倒れ込む。なんどかびくりと痙攣してやつは動かなくなった。僕はナイフを取り戻そうとやつの体を持ちあげようとしたが重くて重くてびくともしない。公園の入口のあたりの茂みががさがさとなった気がして急いで雑木の中に駆け込み身を隠す。
公園に入ってきたのはがっしりした体つきの男性のようだった。倒れているやつに気付くと慌てて駆け寄って体をくるりとひっくり返した。胸に突きたったナイフを見て、男性は悲鳴を上げて公園から駆けだしていった。僕はやつの胸からナイフを抜き取ろうと近づこうとした。そこにまた人がやってきた。中学生くらいの子供に見える。なんでもないような足取りでやつに近づくと胸からすうっとナイフを抜き取った。ナイフについた血をやつの服で拭きとると鞘を拾ってナイフをしまった。それをカバンにしまってのんきな歩き方で去っていった。
そうか、あの日、あの人を殺したのはやつのお父さんじゃなかったのかもしれないな。けどまあいいや、どっちでも。ナイフも惜しいけれどしょうがない、あの子にあげよう。僕はもう何本もナイフを持っているし、刺すべき背中もまだまだあるんだ。それを教えてくれたのは、あの子が持ち去ったあのナイフ。始まりのナイフ、殺人者のナイフ。あの子はあのナイフで三人目を殺すだろうか。それより僕があいつら全員にナイフを突き立てる方が先かな?
それを想像した途端、僕は愕然とした。僕はなんてことをしてしまったんだろう!人を殺してしまった!
今までとりついていた何かが剥がされたかのように急に視界がクリアになった。やつはくろぐろとしたゴミ袋のようになって転がっている。凶器はない。足ががくがくと震える。誰にも見られてはいない。汗が顎を伝って落ちる。証拠は何もない。雑木の間を抜け公園のフェンスを乗り越えて家に向かって走る。ああ、なんてことを、なんてことを、なんてことを!そうだ、あのナイフだ。あの始まりのナイフだ。あれが僕を変えた。あれが僕を操った。ああ……。
あの子も、誰かを殺すだろうか、憐れな三人目を……。




