未来の重さ
未来の重さ
須磨子は六十を越えてやっと独りでいることを周りに受け入れられた気がしている。
結婚しなかったことに、たいした理由はなかった。ただなんとなく、そんな気にならなかっただけだ。両親はすでになく、友達と呼べる人もない。孤独と言えば言えるかもしれない。けれど近隣の知人やら元同僚やらがなにかしら気にかけてくれる。ありがたくもあり、わずらわしくもあり。
定年してからは趣味の折り紙に本格的に取り組んでいる。尊敬する折り紙作家の折り図を買って折るだけでなく、創作折り紙にも取り組んで、時間をもて余すことはなかった。両親が残してくれた家は小さいけれど手入れはこまめにしていたため、須磨子の一生の間は十分もつだろう。
一生。
折り紙からふと目をあげ、窓の向こうを見やる。夕焼けがはじまるころの赤が混じった透明な青。須磨子の生涯もすでに夕暮れに達している。あとは静かに夜闇がくるのを待つだけだ。
目を折り紙に戻す。紙を何枚も組み合わせて折り出すユニットタイプの作品、須磨子の創作だった。二本のらせんが絡み合う、DNA構造。昨年から折り始めて未だヌクレオチドが八千ユニット。人間には約三十億対以上ものヌクレオチドがあるという。須磨子の一生のうちに、いったいどれだけのDNAを遺すことができるだろう。はたして一本でも仕上げることができるだろうか。組み上げた紙の束を持ち上げるとずしりと重い。すでに須磨子の腕力では全体を持ち上げることは不可能になっていた。
肉を持ったDNAは何と強いことか。一瞬で恋に落ち、一瞬で受精し、一瞬で細胞分裂を始める。一瞬。その長さの永劫なる時。須磨子はその一瞬を思う時いつもくらくらと足元がおぼつかない眩暈を感じる。
けれど須磨子は独りで生きていく。折り紙に自分を託しながら、そのDNAを編みあげながら。




