10円の重み
10円の重み
「だから!絶対にオススメだから!」
疋田が喫茶店のテーブルに身を乗り出して唾を飛ばしてしゃべる。思わず顔をそむけたが、疋田はそんなことおかまいなしだ。
「確実に儲かるんだって!やればやるだけ利益がでるんだって!」
「だいたいの仕事はそうだな。やればやるだけ利益がでる」
「お前、サラリーマンだろ、いくら頑張っても利益は会社が丸取りじゃないか」
「それはそうだが」
疋田は我が意を得たりとばかりにうなずきながらにんまりする。
「その点、これは丸々お前の取り分になる」
「負債も丸々やってくるがな」
「だから!必ず儲かるんだって!負債なんか関係ないって!」
疋田の唾から身を守るため、顔の前にパンフレットをかざす。疋田が持ってきたねずみ講のパンフレットを。
「ねずみ講なんかじゃないんだって!マルチ商法だから!」
「いや、同じだろ」
「マルチは違法じゃないって!パンフレットを読んでくれたらわかるから!」
疋田がぐいぐいとパンフレットを押し付けてくるので仕方なく開くと、化粧の濃い年齢不詳な、もしかしたら還暦は過ぎているかも、いやまだ四十代かも、という女性の写真がA4フルカラーでどんと載っている。2ページ目には会員の言葉が載っている。
『洋子会長のおかげで人生が明るくなりました!』
『洋子会長のおっしゃる通りにしたら幸せになれました!』
『洋子会長の勧められるパワーストーンの効果はすごいです!』
疋田にパンフレットを押し返す。
「新興宗教じゃないか」
「違うって!スピリチュアルだって!」
「いや、同じだろ」
疋田はゴリゴリと押しまくり二時間唾を飛ばし続けた。結局押し負けて『神秘の水』とやらを買わされた。500mlペットボトルが千円。
「これでお前も会員だ!この水を千円で売る。すると、お前の懐に10円入る!」
10円という言葉の訴求力の無さに思いを馳せ、ついでに会社の服務規定に思いを馳せる。
「うちの会社さ、ダブルワーク禁止なんだよ」
「その会社に一生勤めるわけじゃないだろ!それにこれはビジネスじゃない、スピリチュアルだ!」
もう疲れはててため息も出ない。
「で、神秘の水は飲んだら何かいいことがあるのか」
「飲んだらな……」
疋田は顔をぐいぐいと近よせてくると、重大な秘密を明かすかのように囁いた。
「神秘的になれるんだ」
蓋を開けて疋田の頭に水をかけてやった。神秘的になった疋田をおいて喫茶店を出る。そとはカラカラに晴れて風が爽やかだった。うーんと伸びをして堅実な勤めに戻っていった。




