真理ちゃんの、そこかしこ
真理ちゃんの、そこかしこ
「ちょっと! 真理ちゃん、なんなの、その服は!?」
夕方、クラブに出勤した真理を見て、ママが叫ぶ。
ママは、ファッションに厳しい。
特に、シャツをズボンにINすることには、徹底的に攻撃的だ。真理は急いでシャツのすそをズボンから引っ張り出したが、昼間の保険勧誘業務で流した汗でよれよれになったャツは、OUTにしたってママを不愉快にさせるばかりだった。
「さっさと、裏に行って、着がえてきてちょーだい!!」
「はいーーー!!」
真理は駆け足でスタッフルームへ逃げ込み、ロッカーに暑苦しいジャケットと保険資料で重たいカバンを放り込んだ。
ふう。
やっと、一息つける。
よれよれになった男物のシャツを見て、もう一度、ため息をつく。
身長178cmの真理が着られるスーツと言ったら、男物しかない。婦人服のトールサイズでも、手足の丈が全然足りない。
シャツも一緒だ。
婦人ものなら丈が短いから、スーツを着てもシャツをINしなくて済む。しかし……。男物のシャツはどうしても、裾丈がマタまである。ズボンに押し込むしか、しようがない。
ロッカーに置いてあるドレスの中から、胸元にリボンをあしらったピンクの、フリルが可愛いものを選んで身につける。
ドレスは、いい。
身幅さえ入ってしまえば、身長が高かろうが低かろうが、裾丈が短めのドレスになったり、長めのドレスになったりする。それだけだ。
真理は、身長が高いことがコンプレックスだ。ハイヒールは履かない。いつでもぺたんこの靴を履く。
これも、ママに相当ガミガミ言われたが、靴だけは、わがままを通している。
どうしても、これ以上の身長になるのはイヤだった。
きらびやかな衣装に身を包み、お客を待つ。
クラブの一番、おだやかな時間だ。
ぼーっとしながらグラスを磨きつつ、先輩のエミさんが話しかけてきた。
「どーお? さいきん、保険のほうは? 順調?」
「いえ……こう不景気だと、皆さん、お財布の紐も固くって…」
「でもさ、保険なら、まだいいじゃない? 将来、役に立つかもしれないんだもの。それに引き換え、こっちはねえ……。完全に、湯水に消えるお金だもの。ママも、相当くるしいと思うわよ」
横目でママを見やる。
ママはいつものハイテンションでお得意様に営業の電話をかけまくっている。
もう、何十件目の電話だろうか。
かけてもかけても、予約は一件も取れない。
カランカラン♪
カウベルの音がして、ドアが開く。
「いらっしゃいませー」
エミと真理の合唱が響く。
入ってきたのは30年配の女性が一人。
この手の店に女性の一人客とは、珍しい。
「そちらのテーブルへどうぞー」
エミがさっと接客に立つ。真理はヘルプに入るべく、カウンター内に準備に入る。
ママも、かけていた電話を早々に切り、テーブルへ挨拶に向かう。
時刻は未だ午後7時。
当分、店は女性客の貸切になりそうだ。
真理はツマミに腹にたまらない軽いものを選び、オシボリと一緒にテーブルに運んだ。
女性客は、ママの挨拶にも、エミのお愛想にも上の空、と言う感じで、ボーっと座っている。
「お飲み物は何にしましょう?」
ママの問いに、かろうじて
「ビール、ください」
と答えただけで、女性はだんまりを決め込んだ。
真理はだまってテーブルセッティングを済ませると、エミと一緒にカウンター内に戻った。
ママが、なんとか世間話でもしよう、と、お天気の話などしているが、女性は「はあ」と気の抜けた返事をするばかりだった。
「あれは、ヤバイわよ、真理ちゃん」
「え、ヤバイって……なにがですか?」
「女性が一人で、こんな店に入って、何を話しかけられても上の空。これは、ヤルわね」
「ヤルって、何を?」
「自殺よ、じ・さ・つ! 死ぬ前に末期の水を求めて目に付いた店に飛び込んだのよ!!」
「末期の水って……ビール、のんでますけど……」
「んもう! 比喩でしょ! ほら! ビール、空になりそうよ! 追加、聞いておいで!!」
「え!? 私がですか!?」
「そう! 行って来い!」
エミに尻を叩かれ、真理はおっかなびっくり、女性客のテーブルに近づいた。それを見たママも席を立ち、マリとすれ違いざまに「たのんだ」と低い声でささやいて裏に入って行ってしまった。
(えええぇえええぇぇ〜〜!?)
胸のうちで絶叫しつつ、それでも作り笑いを浮かべて、真理はテーブルに近づく。
「あの〜、お客様? お飲み物、なにかお持ちしましょうか?」
女性は宙にさまよわせていた目をぼんやりと真理のほうに向ける。
と、いきなり、クワっ! と、目をカッぴらいて真理の両肩をガシ! っとつかんだ。
「きゃぁ」
「ちょっと、あなた!! このドレス、裾丈あわせてないじゃない!?」
「え?え?なんですか?」
「これ、店に並んでたの、そのまま着てるでしょ!?」
女性は真理の肩をがくがく、と揺さぶる。
「え、は、はい、そうです! ごめんなさい!」
「これじゃあ、裾が短すぎる!! ありえない!! ちょっと!!」
女性はカウンター内に逃げ込んだエミに人差し指を突き刺す。
「はいいぃ!?」
「針と糸!! 持ってきて!! 白糸ね!!」
「はいいいぃいぃぃ!」
女性の急変振りに度肝を抜かれたのか、エミは走ってスタッフルームから裁縫箱を持ってきた。ママも、何事か?と顔を出す。
「はい! 気をつけぇ!! そのまま動くな!」
「はいぃいぃ!」
女性に命じられ、真理は気をつけの姿勢のまま静止した。
女性が針と糸とハサミを動かしながら、チョコチョコと真理の周りを一周した。
「はい、おわり」
時間にして、3分、も経っただろうか? あっというまの出来事だった。
しかし、見下ろす真理の視界には、とても素敵な、お姫様のようなドレスがひらひらと舞っていた。
「やだ、真理ちゃん、ちょーきれいよ!!」
「ほんと! さっきとは別人みたい!」
エミとママが口々に褒める。
「あの……あの……これ……」
真理がとまどっていると、女性客が言う。
「とりあえず、鏡、見てきたら?」
真理は、スタッフルームで姿見に自分を映して、呆然と立ちすくんだ。
バレーボールで鍛えた広い肩が野暮たかったのに、今はその肩がかっこよく見える。
筋肉質でごつい足も、ほっそりして見える。
何より、高すぎる身長のせいで、可愛い服が似合わない自分に、このドレスは可憐に良く似合っている……。
真理はフロアに駆け戻ると、女性客の手を握りしめ、頭を下げた。
「ありがとうございます!! 私、まさか、このドレスが可愛く着こなせるなんて……まさかと思っていて……」
「いまのままじゃ、まだまだダメよ」
怪訝な顔を上げた真理に、女性はニッコリ笑ってみせる。
「その丈は、ヒールが4センチ以上ないと、ほんとうに可愛くはならないわ。ハイヒールを履きなさい」
真理は目に涙を浮かべて、深く深く、頭を下げた。
女性客は帰り際、一枚の名刺を置いて行った。
「ほんとは、今日、店じまいするつもりだったんだけど……。私はこの道でしか生きられないんだってわかったから。いつでも来てね。歓迎します。もちろん、お得意様値段にしますから!」
ちゃっかり、宣伝して帰った彼女の肩書きは「リフォーマー」。
「ほんとうにあなたに似合う服に仕立てます」
名刺には、そう書いてあった。
真理は、次の日、さっそく店を訪ねた。
保険の営業に着ているスーツを持って。
リフォーマーはたずねた。
「で、あなたは、男性として、このスーツを着たいの?それとも、女性として?」
真理はクラブにいるときのように、心からニッコリ笑って答えた。
「もちろん、女の子として!!」