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今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
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脱ぎ捨てた春は遠く霞んで

脱ぎ捨てた春は遠く霞んで

 もうどこにも逃げ場はない。冬用のセーラー服を着て、まっ白い花を棺に入れる。美夜は呼吸をやめた祖母の顔をきつく睨みつけた。

「うそつき」

 誰にも聞こえない声で小さく小さく祖母をなじった。

 家族そろって火葬場で祖母が骨に変わるのを待つ。

「やれやれ。やっと肩の荷が下りたよ」

 父が朗らかに言う。

「こう言っちゃ悪いけどさ、寝たきりになってまで長生きされて、けっこう迷惑だったんだよなあ」

 父の隣で母は、弟が垂らした鼻水を拭いてやっている。父は返事がないことなど気にも留めず喋りつづける。

「これで美夜もおばあちゃんのおむつ代えなくてよくなったんだ。嬉しいだろ」

 美夜は困ったような笑顔をつくってみせた。曖昧にうなずく娘を見て、父は満足そうに笑う。まわりにいる他の人たちから冷たい視線を浴びている事など父は微塵も気付きはしない。美夜は周囲に向けて申し訳なさそうな顔をしてみせる。母は弟以外の家族のことになど興味を示さず、ましてや姑がいなくなったことなんて痛くも痒くも感じてはいない。介護をしていたのは美夜ひとりだ、母には姑に対する感慨などないだろう。だれも、誰一人として祖母を悼む者はいない。

 まだ小さい弟は優しいお姉ちゃんに遊んでもらおうと鼻水を垂らしながら手を差し伸べ近づいてくる。こいつだっておばあちゃんのことを明日には忘れ去るだろう。

 美夜はつい、弟の手をうち払った。はっとしたがすでに遅く、弟の目にはみるみる涙が溜まり、ぎゃんぎゃんと泣きだした。

「美夜、なにするの。あなたらしくないじゃない」

 母は曖昧な作り笑いで弟を抱きしめる。姉から冷たくされたことなど無い弟は裏切られた思いでいるだろう。裏切ることは簡単だった。こんなに簡単なことだったのだ。いい娘、いい姉、いい孫。期待を裏切らないために、いつも笑顔をつくってきた。けれど。

 美夜は体の内からぞくぞくと湧きあがる欲求に身をまかせた。

「いつも鼻水垂らして汚ねえんだよ」

 どこまでも冷たい声が出た。両親はあっけに取られた表情で美夜を見る。

「あんたたちなんか葬儀にでる資格なんてないんだ。おばあちゃんがどれだけ苦しんでたかなんて知りもしないくせに、へらへらすんな!」

 母は弟の顔をのぞき込み泣きやんだのを確認してから美夜を見上げる。

「どうしたの、美夜。あなた、そんな汚い言葉使って。いつもあんなにいい子なのに」

「知らないくせに。私のことなんか何も知らないくせに。あの家で家族だったのはおばあちゃんだけだ」

 父は酒焼けした赤ら顔で平然と言う。

「おばあちゃんなんか美夜に面倒かけて邪魔なだけだっただろう」

「ずっと一緒にいてくれるって言ってくれたのは、おばあちゃんだけ」

 美夜は拳を震わせて叫んだ。

「お前らなんかいらない!おばあちゃんのかわりにいなくなればよかったんだ!」

 何を言っても両親はぼんやりと美夜の顔を眺めるだけだった。

 泣き疲れた弟が母の胸に抱きつきぐずりだした。母は弟を抱き上げベンチに座って、もう美夜には興味を示さない。父は火葬場の食堂に酒を求めて歩いていく。いつもの変わらぬ情景。ただ、祖母だけがいなかった。

「おばあちゃんのうそつき」

 美夜はあたりをはばからず大声で泣いた。たったひとり、祖母を思って泣いた。美夜の目からは信じられない量の涙が流れ出た。今までかぶっていたねこが厚く厚く閉ざしていた涙で、叫びだった。

「おばあちゃん!おばあちゃん!」

 どれだけ叫んでも、もう祖母は戻らない。美夜の思いは届かない。押し殺していたわがままは美夜の泣き声に変わったが、燃え盛る業火にかき消され白い煙になって、ただ空に消えた。

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