日がな一日日が長く
日がな一日日が長く
仕事が終わって外へ出ると紺色の空に半欠けの月が昇っていた。窓外へ目をやることもないビルの中から抜け出して見上げる月はなんとも清々しい。つい先日までは仕事終わりの空は真っ暗だったものだが日のたつ速さの物凄さ、飛び行くようである。「秋の日はつるべ落とし」に対抗して「春の日はひばり上がり」とでも言おうかという気分にもなる。
日は確実に春を刻んでいるのだが、今年は寒気がしぶといようで朝晩は少々冷える。毛布は暑いが綿布団では足が冷える。そんな夜には寝床に猫がいると嬉しい。
我が家にはミーという名の猫がいた。よちよちと自動車道を歩いているところを拾い、そのまま飼いだした。手のひらに乗るほど小さかったミーは六キロを越える巨体に成長した。太っていたのではなく巨体だった。獣医師でさえおののく巨体だった。
ところがこのミーは肝が小さかった。外に出ては自分の半分ほどのサイズの猫に追いたてられて帰ってきた。あちこち傷だらけだった。いつも逃げた背中に受けたもらい傷ばかりで額に雄壮な向こう傷がつくことはなかった。
傷をもらうのと一緒に猫エイズももらってきて痩せほそって死んだ。抱えると嘘のように軽くなっていた。最期にはどこまでもどこまでも軽くなって空にでも昇っていけそうだった。
紺色の空に月は昇り気忙しく西に向かう。その速さは思い出を連れて駆けていく。あっという間に二十数年が過ぎ去り私の手はミーの重さを覚えてはいない。ただ思い出すのは寒い夜私の足によりそったミーの暖かさだけである。




