まっすぐに
まっすぐに
「あたしね、不倫してるんだ」
突然の由衣の告白に僕は凍りついた。
「だ、だれと?」
聞いたらダメだ、それはわかりきっていたのに、僕の口は勝手に動いた。
「中野課長」
二人の仲は聞かなくても誰の目にも明らかだった。けれど由衣のくちから聞きたくはなかった。何も言葉を返せない僕を由衣は笑った。
「知ってるよね。社内で噂になってるのを知らないのは中野課長くらいだよね」
僕はなんて答えたらいいかわからずに視線を泳がせた。
「でもね、疲れちゃった」
由衣はそっと微笑んで床を見つめる。長いまつげが頬にあわい影を落とす。その影は小さく震えていた。
「昨日ね、中野課長に話したの。もうやめましょうって。そしたらね『君も幸せにならなきゃね』って。君も、って言ったのよ。中野課長は私なんかいなくても幸せなんだわ。奥さんと子供と一緒で幸せなんだわ」
まつげの震えがぴたりと止まった。
「私、幸せにならなきゃ。誰にも頼らずに幸せにならなきゃ」
由衣は顔を上げ、僕に微笑みかけた。
「ごめんね、変な話を聞かせて。君なら嫌な顔せずに聞いてくれるかなって。ごめんね、私、甘えてるよね。誰にも頼らずになんて言ってるのに」
「謝らないでよ。僕で良ければいくらでも聞くよ。頼られなくてもいいんだ。僕のことは電信柱だと思ってくれたらいいから」
由衣はぷっ、と吹き出した。
「電信柱?」
「そう。黙って立ってるだけだけど、君が誰かに話しかけたくなったら僕が伝えてあげる。だから」
僕はまっすぐにぴんと背中を伸ばして立つ。
「電話をかける相手が見つかるまでは僕が君の独り言を聞くよ」
由衣はまた目蓋を伏せた。けれどその頬に落ちたのはまつげの影ではなくて透明な涙だった。
「電信柱くん、少しだけ君の陰で泣かせて」
由衣の涙はほろほろと流れて綺麗な雨のようだった。僕はただ黙って立っていた。
涙をぬぐった由衣がまた「ごめんね」と言う。僕は電信柱らしく黙って由衣を見つめた。
「電信柱くん、私、電話はかけないと思う。ライン派だから」
僕は電信柱じゃなくスマホになるべきだったのか。
「だけど、今日から電話派になる」
由衣は朗らかに笑う。僕は由衣のために明日も、明後日もまっすぐに立っていようと決めた。
 




