おてらのぼうずとそのことこのこ
おてらのぼうずとそのことこのこ
舘山寺の倉は江戸時代後期にできたもので県指定重要文化財になっている。だが舘山寺の住職、英哲は生来のいい加減さから倉に人を入れることを嫌い閉鎖したままだ。地元の歴史研究家から何度も要請をうけたが、その都度、軽く「ヤだ」と断っている。
「もう!お父さん、いい加減にしてよ」
英哲の娘、蓮華が父のパンツを指先でつまみ体からできるだけ遠ざけ、逆の手で鼻をつまんでやってきた。居間で寝転がって尻を掻きながらテレビを見ていた英哲は、ぷうっと屁で返事をした。
「服は脱いだら洗濯カゴに入れてって言ってるでしょ」
「そうだったかなあ。最近とんと記憶力が悪くなって」
「またそういうこと言って。そのうち、お経を忘れたなんて言い出すんじゃないの?」
「おお、忘れた、忘れた」
「またぁ。適当なこと言ってないで……」
「いや、ホントに。倉に袈裟を忘れた、取ってきてくれ」
蓮華は大きなため息をつく。
「どうしてそんなことになるかなあ」
「取ってきてくれ」
「自分で行きなさいよ」
英哲はテレビの画面を指差す。
「今忙しいんだ。ほら、犯人が崖の上で自供を始めた」
「まったくもう」
蓮華は諦めのため息をつき洗濯カゴにパンツを突っ込んでから外に出た。
英哲の家は境内の一隅にあり本堂を挟んで倉は反対側にある。蓮華は本堂の裏をぐるりと回って倉に入った。
「あーあ……」
半年ぶりに足を踏み入れた倉はまったくのガラクタ置き場になっていた。英哲が趣味で拾ってきた粗大ごみや重そうな岩、まったく価値がないと一目でわかる自作の壺などがごちゃごちゃと積み上がっている。そのごみ山のてっぺんに袈裟は引っ掛かっていた。
蓮華は手を伸ばしてみたが、あと数センチ足りない。きょろきょろと辺りを見回して壁のそばに茶箱が置いてあるのを見つけた。一メートル四方くらいの大きな桐箱だ。運ぼうと手をかけて引っ張ったが、びくともしない。まるで床に接着されているようで、蓮華は床を確かめた。
「……え?」
箱は床にめり込んでいた。
「きゃあ、文化財があ!」
蓮華は慌てて箱の蓋を開けた。いったいどんな重量物が入っているのかとのぞきこむと、そこにはまるまると太った茶色いしましまの巨大な猫が詰まっていた。箱の隅まできっちりと、猫は四角に変形していた。
猫は薄く目を開けて蓮華を見留めると、くわぁと大口を開けてあくびをした。バン!と音高く蓋を閉め、蓮華は家にかけ戻った。
「父さん!あれはなに!?」
「あれって?」
あぐらを組んで新聞を読んでいた英哲は顔もあげない。
「猫よ!茶箱の大猫よ!」
「あれな、拾った」
「はあ?」
「腹を減らしてたから連れて帰ってメシをやった。世話、よろしく」
蓮華は呆然と宙を見る。
「あんなに大きいのよ。いったい何キロのお魚を食べるの……?」
「魚は食わん」
英哲の言葉に蓮華は目をむいた。
「まさか、お肉!?」
「いや、茶だ」
「は?」
「あれは茶虎という種類の猫だ。主食は緑茶、コーヒーはやり過ぎるな、酔っぱらう」
蓮華は頭を抱えてうずくまった。まったくわけがわからない。けれど、父が厄介な拾い物をした尻拭いは必ず蓮華に回ってくるのは重々承知していた。今までだって、大きな舌が飛び出した唐笠だとか、履くと動けなくなる下駄だとかを始末したのは蓮華だった。
なんとか気力を奮い立たせた蓮華が顔を上げると、父の姿は消えていた。蓮華は台所に行き、茶箱から茶筒いっぱいの茶をすくい倉に向かった。倉の戸に内側から鍵をかけ猫が逃げ出さないようにしてから箱の蓋を開けた。
猫は箱の角に額をつけて寝ていたが射しこむ明かりで起きたのか、蓮華の顔をじっと見つめた。ごろごろと雷鳴のような音で喉を鳴らす。蓮華はおそるおそる猫に近づくと、茶筒の蓋を開け猫の鼻先につきだした。猫はくんかくんかと茶の匂いを嗅ぎ、のっそりと立ち上がると茶箱から出てきた。蓮華は思わず一歩下がった。大きい。体長二メートルはありそうだ。長い尻尾が右に左に鞭のようにしなる。
蓮華は床に茶筒の中身をぶちまけると壁際まで下がった。猫は床に落ちた茶の葉を匂うとぺろぺろと舐めた。一欠片も残さず舐め終わるとまた茶箱にはまりこんで目を閉じた。蓮華は茶箱の蓋をそっと閉めた。そうしてはっと顔をあげた。倉のなか、とくに茶箱のちかくで烏龍茶の臭いがしている。
「……まさか、茶虎のオシッコ!?」
緑茶を体内で発酵させているのか、猫の体内で菌が頑張っているのか。笹ばかりを食べるパンダの排泄物は笹の良い匂いがすると何かの本に書いてあったのを思い出す。
また蓮華は、はっとした。
「ウンチは何茶の匂い!?」
蓮華はそっと茶箱に近づくと、ゆっくりと蓋に手をかけた。開けるとすぐに茶虎と目があった。茶虎はナーウと大きな声で鳴き、辺りにジャスミン茶の匂いが漂った。




