表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
541/888

今宵、あなたのもとへ   弐

今宵、あなたのもとへ 弐


 月がこうこうと明るい夜だ。秋の終わりの寒さが身に沁みる。そんな寒い庭にもいまだ虫の音が響き、物悲しい風情をかもしている。

 ぴたり、と虫の音が止んだ。

「誰だ」

 高明の声の先、カズラの茂みの向こうから凛とした声が聞こえてきた。

「三の姫君にお会いしたくやって参りました」

「こんな夜更けに無礼であろう。去れ。さもなくば斬りすてる」

 高明は腰の太刀に手をかけると、じりりと足を踏み出し声の先を睨みつけた。

「やめよ、高明」

 御簾の内から姫の声がして、高明はぴたりと動きを止めた。しかし構えはとかない。

「姫君、奥へ。危のうございます」

 高明の言葉が聞こえていないふりをして姫は御簾をあげた。

「姫君!」

 庭にたたずみ様子をうかがっていた佐門があわてて姫の前に立ちふさがり姿を隠そうとする。

「狐丸だろう。中へ」

 そう言い置いて姫は部屋の内へもどり燭のそばに腰を下ろした。打ちかけた菊のあわせの衣装も長いつややかな髪もいかにも姫としてふさわしいのだが、その日に焼けた赤ら顔だけは美人というには赤過ぎた。

 どうやって高明と佐門をしりぞけたものか、狐丸が御簾をくぐって入ってきた。

「で、お前は男の髪など盗んでどうするのだ」

 単刀直入な姫の問いに狐丸は忍びやかな笑い声をあげた。

「それよりも姫、こうして招いて頂けたのです。私を受け入れて下さるというお気持ちが御有りなのですね?」

 狐丸は姫にいざり寄るとその手を取ろうとした。

「お前は女であろう」

 ぴたり、と狐丸の手が止まる。

「なぜ、わかりました」

「においが違う。お前からは女のにおいがする」

「それは移り香かもしれませんよ」

 姫は狐丸を見上げると、にやりと笑ってみせた。

「お前は男の寝所にしか忍びこまぬというのにか?」

 狐丸はおかしそうに笑うと姫に対面して座り直した。

「いかにも聡明な、いや、野生のような嗅覚をお持ちの姫君だ。おっしゃる通り、私は女だよ」

 姫は燭の明かりに照らされた狐丸の顔をじっと観察する。白い面長の顔に切れ長の目、すっと通った鼻すじ、口は椿のように赤い。一の姫にも劣らぬ、いや、不思議な笑みを浮かべる頬を持つ分、姉にも勝る美貌と言えた。

「お前は仏心を持っているのではないか?なのになぜ俗世をさまようような真似をしている」

 姫の問いに狐丸は深いため息で応じた。烏帽子を透かして男のように短く切り、結いあげた髪が見える。それは女にとっては仏門に入るため剃髪した姿と見えた。

「私の髪は想い人に捧げたのだ。その方意外に身を許すことはせぬと誓って」

 狐丸は変わらず頬笑みを浮かべているが、なぜか泣いているように見えた。姫は黙ったまま狐丸を見つめる。その瞳に促されるまま狐丸は話し続けた。

「あの方は私の元に通って下さって、けれどすぐにお見えにならなくなった。飽きられてしまったのかと思って父が持ってきた縁談を受けようかとしていたところに、亡くなったのだと知らせが来たのだ。私は尼になりたいと父に告げた。もちろんゆるしてもらえるはずもない。私はある夜、そっと屋敷を抜けだした」

 そっと目を伏せて狐丸は遠い昔を思い起こしているように見えた。

「あの方と私は井筒の仲だった。けれど幼いころにあの方はお父上の赴任に連れ立ち遠くへ行ってしまわれた。私があの方の噂を聞いたのは裳着をすませたあくる年。お+-父上がなくなられてからずいぶんと困窮なさっているのだと聞いた」

 燭はゆらゆらと揺れ、狐丸の睫毛の陰をその頬に揺らめかせる。まるで狐丸の心の揺らぎのようにも見える揺らめきだ。

「私はあの方に文を送り、あの方からもすぐに返事をいただいた。偲んで来て下さったのはそれからすぐのこと。私は懐かしさと愛おしさで胸がつぶれるかと思ったよ。そんな思いが私の足を動かし、私はあの方の屋敷へたどりついた。屋敷は荒れ放題で弔いもまともにできる余裕がないように見受けられた。そこにいた一人の僧があの方を看取り、経をあげてくれていた」

 狐丸は目をあげるとまっすぐに姫の目を見つめた。

「毒だ。僧は言った。毒を飲まされたいへん苦しんで死んだのだ。床には苦しさから掻きむしり抜けおちた髪が散乱していた。僧は言った、殺したものの文がある。差し出されたのは私の手によく似せた文だった。菊の花を模した菓子と共にあの方に届けられたのだ。私はその場で髪を切り落とした。けして尼になるためではない。女であることを捨てるためだ」

 姫は狐丸の震える手をとった。狐丸はそっと頬に微笑を浮かべた。

「私が髪を切った男たちは皆、あの方を陥れようとしていたものばかり。私の父もその一人だ。髪を切り土に埋め、少しでもあの方の苦しみを味あわせたいと思ったのだ」

「それで、少しは気が楽になったか」

 姫の問いに、狐丸は首を横に振る。

「つらくなるばかりだ。だから今宵、私はここへ来た」

 狐丸は懐から短刀を取り出した。

「あなたの髪を切ってあの方の弔いとする!」

 姫の髪を鷲掴んだ狐丸の手が、ばしりと固い音を上げ叩き落とされた。くつのまま駆けあがってきた高明が狐丸の手を捻じりあげる。狐丸を後ろ手に縛り上げた高明はぐらりと倒れた。姫が高明の顔を覗きこむと、息が荒く脂汗がひどい。

「だいじょうぶか、高明!今薬師を呼んでやるからな」

「少し痺れる程度だ、死にはしない」

 狐丸の声にほっと息をついた姫だが、はっと顔を上げた。

「佐門、佐門は!?」

 姫が御簾の外に飛び出すと佐門に連れられて屋敷の薬師が走ってきていた。

「佐門!怪我はないのか!」

「私は当て身を受けただけです。高明様は!?」

 薬師が部屋に飛び込み高明の傷を見る。佐門が縛られている狐丸に向かって一歩踏み出す。

「狐丸!なんの恨みでこんなことを……」

「いったい、どうしたというのだ」

 騒ぎを聞きつけてやってきた大納言が部屋に入ってきた。倒れている高明、縛られている狐丸、泣き喚く佐門、大納言は部屋を見渡し、最後に姫を見つけた。

「姫、これはいったい……」

 姫は思いきり大納言の頬を張り倒した。床に倒れ伏した大納言は茫然と姫を見上げる。

「父上、仏門にお入りなさい」

「な、なにを突然。どうしたのだ」

「この狐丸は、父上が殺した男の妻です」

 大納言はぎょっと目を丸くした。

「わ、私が何をしたと言ったのだね」

「貧乏者が縁談を断ってきたとお怒りでしたね。やつに思い知らせてやると怒鳴っていらした」

「だからといって、なぜ私が……」

 大納言はちらちらと狐丸を横眼で見ながら、彼女から遠ざかろうとする。

「我が家の薬師は毒物にくわしい。もちろん、父上の身を守るために解毒の知識をたくわえたものを雇うという事はありましょう。しかし解毒できるという事は毒を使えるということ」

 薬師は燭の明りから身を隠したいとでもいうように部屋の隅へと少しずつ体をずらしていく。

「菊の花の菓子を作るゆるしを得ているのは市中では我が家だけ。その菓子に毒を盛ったのは意趣返しのおつもりか?」

 今や大納言の顔は蒼白で、ぶるぶると震えていた。姫は床に落ちた短刀を拾うと、自分の髪を掴みばっさりと切り落とした。

「姫!なにをするのだ!」

 大納言の叫びに答えず、姫は大納言の結いあげている髪を元からばっさりと切り落とした。ふたつの毛束を狐丸の前に置き、深々と頭を下げる。

「どうぞ、法要にお持ち下さいませ」

 狐丸は顔を伏せ、その頬に涙をこぼした。




「姫君、またそんなところに登って」

 佐門の声に姫は柿の木の根元を見下ろす。肩口で切りそろえられた髪がひらりとなびき、背丈の低い姫を童女のように見せていた。

「佐門、お前も登っておいで」

 しばし逡巡したあと、佐門は柿の木に取りつきすいすいと登っていった。姫の腰かけている枝の近くまで登ると、屋敷の塀の向こうに比叡山が見えた。

「なあ、佐門。人を好くとはどんな気持ちだろうな」

 佐門は目を丸くして姫を見上げた。

「たった一人だけ、その人だけを好きになるというのは」

 おずおずと、佐門は口を開く。

「姫君には好いた方はおられないのですか」

 姫は佐門を見下ろすとじっと目を見つめる。佐門はどぎまぎと視線をさまよわせる。

「私は佐門が好きだよ」

 ぼっと音がしそうな勢いで佐門の頬が赤くなる。

「高明も好きだ。庭番の翁も好きだ。父上も……、あんな父でも嫌いにはなれない」

 出家した大納言のことを思っているのだろうか。姫が山を見つめる目にはなにやら悲しさが満ちているようだ。佐門はそっと姫から目をそらすと、元気の良い声を上げた。

「姫君、そろそろ夕餉がととのいます。お部屋に戻られませんか」

 姫はふっと笑顔になる。

「そうだな、そうしよう、腹が減った」

 姫は枝から枝を伝い猿のように地面に下り立った。佐門がえっちらおっちら下りた頃にはすたすたと庭の向こうに消えるところだった。

「あ!姫さま、まってくださいよう!」

 夕焼けの赤を背に浴びて走っていく佐門の姿を横目に見て姫はにっこりと笑いかける。

「私はお前が好きだよ」

「な、なんですか、姫さま。もうお菓子はあげませんよ」

 この姫が誰かを心から好きになる日のことを思うと、佐門の胸はざわついた。けれど。

「あーあ。お菓子が無いなら言うだけ損だったな」

 姫がその気持ちを知るのはまだまだ先のようで、それはそれで寂しいと思う佐門なのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ