鑑賞の三女神
鑑賞の三女神
読書の神は美しい姿をしている。触るとするりとすべる上質な紙のような真っ白な肌、そこに乗る目鼻はくっきりとした陰影を描き、髪は黒くどこまでも伸びる。その髪の一房を切り落とせばたちまち形になり、一冊の本になった。今日も読書の神は自ら髪を切り落とし、一冊の本をこの世に誕生させた。それを手に取り読書の神は軽くため息をついた。
「今日の本も一本筋が通っていない駄文にしかなっていないわ。やっぱり枝毛があると駄目ね」
神はそう言いながらもその本を地上に向けて投げ落とした。地上の誰かの頭の中にその本は飛び込み、その人の手を借りていつか一冊の本になる。
読書の神には二人の姉妹がいる。音楽鑑賞の神と、映画鑑賞の神だ。音楽鑑賞の神は金色の長い巻き毛で映画鑑賞の神はグレイのボブカットだ。姉妹の内一番幼い映画鑑賞の神は未だ髪を切るのが下手で、あちらを切り、こちらを切りしているうちにいつの間にかどんどん短くなっていってしまう。そうすると落ちた髪ははしから映画になっていくのだが、それはどれも短いもので、なかなか長編は生まれない。
そんな姉妹が集まって、最近の自分の髪を自慢しあうことがある。お茶とお菓子とお喋り。なんとものどかな時間を過ごす。
「私、最近シャンプーを変えたの。石鹸由来の無添加シャンプーなんだけど、すごくしっとりするのよ」
読書の神の言葉を聞き、姉の音楽の神が言う。
「自分でのシャンプーでは、やはり限度があるわ。プロスタイリストにまかせるのが一番よ」
姉たちの意見を聞き、映画鑑賞の神は自分のザンバラの髪を押さえながら恥ずかしそうに俯いた。
「どうしたの、映画ちゃん。そんなに真っ赤になって」
「ううん……、なんでもないの」
「言いたい事があったら話しておかないと髪にも悪いわ」
髪に悪い、と聞いては黙っているわけにはいかなかった。映画鑑賞の神はきりっと顔を上げると姉たちの顔を交互に見ながら話しだした。
「音楽お姉さま、読書お姉さま、お二人とも、髪のことばかりに気を取られ過ぎではないでしょうか」
「まあ、髪以外の何に気を使えというの?」
「私達の使命は美しい髪から美しい作品を作りだすことではなくて?」
映画鑑賞の神は首をふるふると横に振る。
「私達は鑑賞の神ではないですか。生まれた作品がよりよく鑑賞されるために働くべきではないでしょうか」
音楽の神はころころと声を立てて笑った。
「やっぱり映画ちゃんはまだ若いわね」
読書の神もゆったりと微笑みながら返事をした。
「長く鑑賞される良い作品は、長い豊かな髪からしか生まれないのよ」
映画鑑賞の神は自分の短い髪に手をやった。確かに映画は時代が浅い。音楽や読書のように二千年も一万年も前から続いているということはない。
「でも」
映画鑑賞の神はきりっと顔を上げた。
「短いからといって駄作ではありません。今、美しいと言われなくても、もっと先にはきっと、きっと……」
映画鑑賞の神はほろほろと涙をこぼし始めた。その涙が凝って最新式録画機器や映像再生機器になった。
「あらあら、映画ちゃんはまた映画鑑賞の幅を広げちゃったのね」
「涙で時代を作るのはおよしなさいよ、すぐに乾く涙ではすぐに廃れるものしか生み出せないわ」
「でも、お姉さまたち!」
ぐいっと涙をふいたけれど、涙は次から次から溢れだし、新型のイヤホンを、デジタルサラウンドスピーカーを、大型プロジェクションを生み出す。
「観賞用に良い道具が必要なのは当然のことです!」
読書の神は悲しそうに俯く。
「読書にはせいぜい、眼鏡くらいしか必要な道具は無いのよ……」
「読書姉さま、ごめんなさい、悲しませるつもりではなかったの」
映画鑑賞の神がそっと読書の神の手を握る。
「あら、姉さま、これは?」
映画鑑賞の神が読書の神の髪の毛の中に一本、光り輝く白髪を見つけた。
「まあ、白髪。めずらしいわ」
読書の神がその白髪を抜くと、それは凝ってタブレットになった。
「姉さま、電子書籍ですわ!」
映画鑑賞の神は嬉しそうに姉の髪をまさぐった。白髪は豊かな黒髪の奥にひっそりと隠れていた。次々に抜いていくと、それはスマホになり、パソコンになり、専用ヴューワーになった。
「まあ、どうしましょう。読書に新しい楽しみ方が生まれてしまったわ」
おろおろとうろたえる読書の神を、姉の音楽鑑賞の神が優しくなだめる。
「長い間の鑑賞方法が変わると驚くのも無理はないわ。けれどすぐに慣れるものよ。私も色々な変化を味わって来たもの」
「音楽姉さま……。これは今までの読書スタイルに対する造反のような気がして……」
「大丈夫よ、どんな形になっても読書の楽しさは変わらないわ。音楽鑑賞の神が受けあいます」
三姉妹は新しいハードの誕生を手を取り合って喜んだ。
 




