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今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
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ねえ、ママ

ねえ、ママ

 朝起きるとテーブルの上にママからの手紙が置いてあった。

『ちょっと失恋旅行に行って来ます』

 かざねはそれをくちゃくちゃと丸めるとゴミ箱に捨てた。漢字は読めないが、ママが家出したことはよく分かった。

 かざねはまだ四歳だが、これまでにママが家出を繰り返した回数は四回では足りない。それどころか両手両足の指を足しても足りない。最初の頃はママがいなくて泣き叫び町内中を探して歩いていたかざねも最近ではなれてしまって、ママがいないのをいいことに好き勝手に遊ぶようになった。夜遅くまで遊んでいても怒られないしアニメのDVDをずっと見ていても怒られないし庭の花を摘んでままごとしても怒られないしピーマンを食べなくても怒られない。

 ピーマンは食べなくてもいいけれど、朝ごはんも無いので、かざねは自分で朝ごはんの準備をする事にした。冷蔵庫の下に椅子を引きずっていって冷凍ご飯を取り出し、レンジに入れてスイッチを押す。もう一度冷蔵庫の下に椅子を運んで納豆と瓶入りのイクラと瓶入りの塩ウニを取り出す。ご飯が温まったらお茶碗に入れてまずは大好きな塩ウニを食べる。

 塩ウニはママが失恋旅行に行くたびに買ってくるママの好物でもある。いつもは塩分がおおすぎるから、とちょっとしか食べさせてくれないが今日は好きなだけご飯の上にこんもりと乗せて食べる。塩けとウニのまろやかさがたまらない。

 イクラもやはりママが好きで買ってくる。高いから、といつもは少ししか食べさせてくれないが、今日はこんもり食べる。

 最後に納豆をご飯とよく混ぜて、イクラと塩ウニも乗せてもりもり食べた。満腹になったかざねはママがいなくてよかったな、と思い一人でご馳走さまをしてテレビを見にリビングに行った。

 お昼ご飯も晩ご飯も同じメニューで、次の日もその次の日も同じメニューで、まず納豆がなくなった。次の日にはイクラがなくなった。その次の日には塩ウニがなくなった。その次の日には、冷凍ご飯がなくなった。かざねはお腹をすかせて食品棚をあさった。板昆布を見つけだしがりがりと齧った。ニンジンも皮がついたままがりがりと齧った。じゃがいもも齧ったけれど口の中がしわしわして美味しくなかったのでやめた。

 その次の日、冷蔵庫の中に入っているのはママのビールだけで、お腹が空いたかざねは缶を開けてのんでみたが、酷い味ですぐに吐き出した。もう何も食べられるものがなくなって、かざねはぺこぺこのお腹をかかえて布団にもぐりこみ、じっと耐えた。


「ただいまー、かざねー、おみやげよお」

 玄関からママの声が聞こえたのは食べ物がなくなってから三日後。かざねは空腹でよろよろしながら玄関に向かった。

「ママ!」

 ママに抱きつくと、ママは嬉しそうにかざねを抱っこする。

「いい子にしてた?」

「うん、かざねいい子にしてたよ。おなかすいたよ、ママ」

「すぐご飯炊くからねえ」

 それから三十分、ママは白米と塩ウニとイクラと納豆をテーブルに乗せ、かざねはテーブルに齧りつく勢いで白米を口に詰め込んだ。

「うふふ、かざねはほんとに塩ウニが大好きね」

 かざねはママの嬉しそうな声を聞いて、ああ、よかった、塩ウニがあればお腹がすかずにすむ、と安心して、ごくりとご飯を飲みこんだ。

 それから毎日、白米と納豆とイクラと塩ウニを食べていて、ある日またママが家出した。塩ウニはもう少ししかなかったけれど、かざねはママが毎日するのを見てご飯の炊き方を覚えた。これでお腹がすかなくていい。そう思ったかざねが米櫃をのぞくと、そこには一握りの米が残っているだけだった。かざねは目の前が真っ白くなるということを生まれて初めて味わった。

 ほんの少しだけの白米とイクラでママが帰ってくる頃にはかざねは横になったまま起き上がる気力もなかった。それでも玄関からママの声が聞こえると、這うようにして玄関へ向かい、ママに抱きつくのだ。


「かざねはいい子ね、かわいいわ」

 帰ってくるたびママはそう言ってかざねに塩ウニをくれる。だからかざねはいつもいい子で家の中にいる。ママの言いつけどおり、外に出たりしない。


 だからママ、ねえママ、お腹がすいたら帰って来てくれるでしょう?


 ママが出ていってから二週間、塩ウニの瓶を舐めながら、かざねはぼんやりと玄関が開く音を待つ。

 ねえ、ママ……。

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