竜と姫君 1
竜と姫君 1
むかしむかしあるところに、とっても男勝りなお姫様がいました。
ダンスのレッスンより剣の稽古、刺繍の勉強より政治の勉強、リボンとフリルのドレスより、動きやすい皮のヨロイを好みました。
今日もお城には、王様の悲鳴がひびいています……。
「これ! 姫! なんじゃ、その格好は!? はしたない!!」
「これは正規の騎士の服装です。礼儀にかなっております、父上」
「そういうことを言っておるんじゃない! そなたは姫ではないか!? ドレスを着なさい!」
「ドレスが何の役にたちましょう。着飾ってお部屋で刺繍をしていて、国がうるおいましょうか? 私は! この国の世継ぎとして、この国のためになることをしたいのです」
王様が何と言っても、姫はわが道を行く。
姫が日課としている、近衛兵の早朝訓練へ向かうため、練兵場への階段を駆け下り、カドを曲がった時
長身の人物とぶつかった。
「おっと。これは失礼、騎士どの」
その男性は優雅に道を開けると、長髪をさらりとはらって、礼儀にかなったお辞儀をした。
(すばらしい身ごなし。さぞや腕の立つ武人であろう)
姫はそう思いつつ、自身もかろやかにお辞儀を返した。
「こちらこそ、たいへん失礼いたしました。お客人には、お怪我はありませぬか?」
男性はにっこりと笑いながら答えた。
「もちろん、大丈夫です。お急ぎのご様子。どうぞ、いらしてください」
姫は騎士式の敬礼をして、立ち去った。
「おそいぞ、マグ!! 訓練後、練兵場100周!!」
「イエス! マスター!!!」
訓練に遅れた姫に、近衛兵指導官のウォルターの檄が飛ぶ。ウォルターは傭兵あがりで、爵位を持たないのに指導官に任命された、いわゆる「伝説の」兵士。
マーガレット姫のことも訓練の間は一兵士として扱い、男名の「マグ」と呼ぶ。
ウォルターの指導は厳しく、甘やかされて育った貴族の坊やたちは次々と音を上げていく。そんななか姫だけは、歯を食いしばって訓練に耐え続けた。
厳しい訓練が終わり、坊やたちが宿舎に逃げ去った後、姫は一人で走っていた。
今朝、遅刻した罰の練兵場100周をこなしていた。さすがの姫も、100周を走り終えた時には、地面に大の字に寝転がった。
荒い息をつきながら空を見上げていると、自分がこんなに鍛えていることがバカらしく思えることもある。青い空に、白い雲がぽわんぽわんと浮かんでいて、のんびりした風情だから。
しかし、この世界に危機が訪れていることは、誰よりも姫が一番、身にしみて知っていた。
14年前のあの日。
突如、この国の上空に巨大な竜がやってきて、城下町を火の海にし、こう言った。
「今日、産まれた姫が16歳になるその日に、姫を我が花嫁として迎える。その日まで姫に怪我などさせてはならん」
城中の兵士がありったけの武器で攻撃したにもかかわらず、竜に一矢も報いることは出来ず、竜は巣に帰る際にさらに二つの町を黒こげにして行った。
もちろん、王様は竜などに姫をくれてやるつもりはなく、それから何度も討伐隊が組織され、竜の巣に向かったが、帰ってくるものはいなかった。
姫は城の一番奥の空の見えない庭園で、大事に大事に育てられたが、10歳の誕生日。
10年目の討伐隊が全滅したと報告を受けた王様は、姫にすべての事情を話して聞かせた。話を聞き終えた姫は、王様にたずねた。
「お父様、この国で一番強い方は、どなた?」
「それは、ウォルターであろう。近衛兵長をしておる」
「ではその方が、私を守ってくださいますね?」
「いや……、それは、難しいやもしれぬ。ウォルターは今年で還暦。6年後には、とても剣はふるえまい」
「では、ウォルター様のお弟子様が、私を守ってくださいますね?」
「……そうだと、良いのだが。いまだ、ウォルターが認める腕前の騎士は育っておらぬのだ」
「では……、私がウォルター様の、一番弟子になります。私が竜を倒します」
「ははは。姫、それは良い考えだ。では、そなたは今日から騎士だな」
「はい。私は身も心も、王と国にささげる所存」
姫は騎士の訓戒を口にすると、長くやわらかな髪を、ぐっと握りしめ襟足でばっさりと切り落とした。
「姫!! 何をするのじゃ!?」
「はい。先ほど、王から騎士を名乗るお許しをたまわりましたので、今日よりは、騎士として生きるために、切りました」
もちろん、王様は大反対をした。
しかしどんなに叱っても、姫は頑として言うことを聞かなかったので、王様は姫にウォルター近衛兵長の訓練に参加する許可を与えた。厳しいと定評のあるウォルターの訓練に、姫が耐えられるとはおもわなかった。 王はウォルターに「普段どおりに、しごいてやってくれ」と頼んだ。
ウォルターは言われたとおり、姫を他の近衛兵と同等に扱った。17歳以上の大人の男たちが続々と脱落していく厳しい訓練に、10歳の姫は、最後まで耐え抜いた。それでも姫は最後にはフラフラで、立っているのがやっとと言う按配だった。
ウォルターが
「今日はこれまで。解散!」
と、行った途端、姫はバタンと倒れ、丸二日、寝て過ごした。
王は、これで姫も懲りたろうと思っていたが、三日目、姫は起き出して、すぐ訓練に参加した。それ以降は、一日も訓練を休まず、今ではウォルターがただ一人認める、本物の騎士になっていた。
練兵場で寝転んで空をボンヤリ見ていると、建物のほうから声をかけられた。
「こんにちは。おつかれですね」
起き上がって、そちらを見ると、今朝、ぶつかった長髪の男が立っていた。姫は急いで立ち上がると、姿勢をただし、騎士の礼をとった。
「失礼いたしました。お客人がお見えとは気付きませんでした」
「ああ、そんなにかしこまらないで。あちこちブラブラ見学させてもらってるだけなんで。ところで、近衛兵の訓練がこちらで行われてると聞いたのですが、もしかして、終わっちゃった?」
「はい、先ほど終了しました」
「あ~。そうか~。残念だなあ。噂に名高いウォルター近衛兵長のしごき、って言うのを見てみたかったのに…」
男はぶつぶつ言いながら、姫に近づいてきた。
「ところで、君、ヒマ? 兵長のしごきが終わって」
「え? はい。この後はとくに予定はありません」
「よかったら、城の中を案内してもらえないかな? いや、もう、お城なんて初めてだから、複雑すぎて何がなんだか……」
「失礼ですが、貴方は?」
「ああ、ごめんなさい。魔術師をしています、トーリンと言います。王様に呼ばれてきました。あ、お城の中を歩く許可ももらってるから、心配しないで」
「魔術師様……でしたか。……わかりました。ご案内します」
姫は、客人を連れて城中を回った。歴代の王の肖像が飾ってある部屋。舞踏会用の広間。客用寝室。厨房。厩。
どこに行っても魔術師は大喜びし、調度のひとつひとつから絨毯、壁紙にいたるまで仔細に検分して、しきりに感心していた。
中でも一際、興奮したのは図書室だった。すみからすみまで走って背表紙を眺め、それから最初に戻り、今度はじっくりと背表紙を観察し始めた。
最初は騎士の礼を崩さなかった姫も、3時間も過ぎた頃には飽きてしまい、椅子に腰掛けた。それでも、魔術師の背表紙観察は終わらない。
じっと待っていた姫はあくびをすると背伸びをした。そろそろ、夕食の時間だ。お客人を食堂へ案内しなくてはなるまい。
「もし、トーリン様。そろそろ参りませんか?」
「………………え?」
ずいぶん、間が空いて、魔術師は振り返る。
「ごめん、なんか言った?」
「はい。そろそろ、夕食の刻限です。食堂へ参りませんか?」
「ああ。はい。私はいいので、君、行って来て下さい」
それだけ言うと、魔術師は再び背表紙に没頭し、姫の言葉にまったく反応しなくなった。客人をほおっておいて、自分だけ食事をとるなど、騎士に許されるはずがない。姫は、黙って魔術師の興味が尽きるのを待った。
すべての本の背表紙を検分し終わると、トーリンは曲げっぱなしだった腰を伸ばして「ぐうおわ」と意味不明の感嘆をあげた。そして、振り向いた先に、姫がちょこん、と椅子に座っているのを見つけた。
「やあ。君、ここの蔵書はすばらしいねえ。どれもぜひ読ませてもらいたいものだが。……そうだ、君、夕食をすませて迎えに戻ってきてくれたのかい?」
「いえ。私はずっと、ここにおりましたが」
「えっ!! だって、もう、そうとう遅い時刻なんじゃ……」
「はい。御用がおすみでしたら、客間へご案内いたしますが」
トーリンは両手で頭を抱えて座り込んだ。
「うあー。また、やっちゃったよ。ごめんね、君、おなかすいただろう? 訓練後だって言うのに……、待っててくれなくて良かったのに……。あ! そうか、騎士だから客をほっとくとか、しちゃいけないのか!」
「いえ、どうぞ、お気になさらず」
「気にするよう! そうだ、こんなのしかないけど、はい、これ、食べて!」
懐から小さな包みを取り出して、姫に差し出す。受け取っては見たが、あまりに粗末な包みを見て、姫は正直、躊躇した。しかし、礼をもって振舞われたものを拒否することは騎士道にはありえない。
「ちょうだいします」
決死の覚悟で包みをといた。が、中身はいたって普通のクッキーだった。ほっとして、姫は一つをつまみ、口に運ぶ。サクっと噛むと、甘い香りとともに、えもいわれぬエネルギーが口中に充満し、飲み込むと、体中に灯がともったようだった。
「おいしいでしょう? エルフにもらった携帯食料なんだよ。一口で3日生きられるとか」
「!!! エルフの!? そんな貴重なもの、いただけません!!」
包みを返そうとする姫を、トーリンはやんわりとなだめる。
「だいじょうぶ、私にはもう、必要ないものなんだ。エルフの森からここへ来る間の旅の食料だったからね。ここからは、また、別の食料を補給しなければいけないだろうから」
「ここから……、どちらへ向かわれるのですか?」
半ば、予想はついていたが、それでも、姫はたずねた。
「竜の巣へ」
まるで、そのへんに散歩に行く、とでも言うかのごとく、さらりと言う。行かないでくれ、このまま帰れ、と言うつもりだったのに、姫は、トーリンの能天気なしゃべりかたに、出鼻をくじかれた。
しかし、このまま彼を生かせるわけにはいかない。もう、これ以上、私のために人を死なせたりはしない。
「竜は、私が倒します。だから……」
帰れ、と言おうとした姫の言葉をさえぎって、トーリンが言う。
「そうか! じゃあ、君も一緒に行こう!! 旅の仲間は多いほうが楽しいからね」
言うが早いか、トーリンはさっさと部屋の外へ向かおうとしている。姫はあわてて後を追った。
「お待ちください、お客人! 王の許可を……」
「大丈夫。お城の兵士さんなら、気に入った人、誰でも連れて行っていいって言われたから。さ、行こうよ」
魔術師は無邪気に笑う。
姫は、なぜだかクラクラとめまいがした。城から一歩も出たことがない自分は、世間知らずの夢想人だと思っていた。それは、ほんとうだったかもしれない。
しかし、上には上がいる。
雲の上に住んでいるかのごとき現実感の希薄な魔術師を前にして、姫は産まれて始めて、困っていた。
そして、同時に。
めくるめく、見知らぬ世界への招待状を握りしめ、笑みがこぼれて仕方がない自分を、発見していた。
つづく