地平線に祈る
地平線に祈る
そこを寺というのは勇気がいった。
しかし、そこは紛れもなく寺なのだ。
インドで日本人観光客向けのガイドを初めて4年が過ぎたが、それは初めての要望だった。
「仏教発祥のころのような寺が見たい」。
学生のバックパッカーが個人でガイドを雇うなどと、無駄に金をかけたのは、ツアーやガイドブックでは知りえない現地情報を求めてのことだったのだな、と合点はいった。
だが、観光地ばかりにアンテナを伸ばしていたせいか、私には心当たりがなかった。
一通り、仏伝は勉強したし、ブッダにゆかりのある土地なら何度も行った。しかし古代通りの寺となると……。
私は学生に一日待ってもらうことにして、日本の友人にメールで問い合わせた。
現役の坊主でインドにハマり、大学でインドのタマル語を教えているヤツなら、レア情報を持っているはずだ。
学生にデリーの美術館など案内してお茶を濁し、オフィスに戻ると、案の定ヤツから返答のメールが来ていた。
「シャンチニケタンへ行け」
一行きりの不親切なメールだが、言いたいことは大体わかった。
私は学生に電話をかけ、急遽、夜行列車でシャンチニケタンに行くことを提案した。あなたの希望通りの寺が見つかりましたから、と。
デリーから列車で15時間。
シャンチニケタンはとんでもない田舎だった。そのためかインド名物の物乞いがいないし、土産物の押し売りもいない。
村人は親切でにこやかだ。都会の殺伐とした値切り合戦に疲れた私の心も癒されていくように感じた。さすがに村の名前が「平和な在処」と言う意味だけのことはある。
この村の最大の特徴は大学があることだ。
タゴールと言う偉人が作った大学に寄り添うように人々が集まり、村ができたのだ。
……などということを、さも、よく知っているように学生に語りながら、その大学まで徒歩で案内する。本当は昨夜、急いでネットで調べた情報だった。
赤土の道をヤギがブラブラ歩いていたり、ノラ猿が木から降りてきたり、のどかなことこの上ない。
20分ほど歩くと、見渡す限りの草原に出る。地平線までずっと草原が続く。その中にてんてんとガジュマルの大木が生えていて、それぞれの木の下に数人の若者が輪になって座っている。
「あれが、この大学の講義風景です」
指差しながら学生に語る。学生はぽかんと口を開けて感心している。
私は手近な木に近づくと、講師と思しき中年の女性に挨拶をした。
「行きましょう、あちらだそうです」
女性に教えられた通り、ガジュマルを数えながら歩く。西に5本目の木の下。
そこが日本からやってきた学生の目的の場所だ。
その木の下には黄色の衣をまとい剃髪した高齢の男性が座り、まわりを若い男女が車座に囲んでいる。
私が何も言わぬうちに学生はその輪に駆け寄り、座り込んだ。
私も急いで駆け寄ると、驚いた様子の男女に侘びを言い、高齢の男性に学生の旅の目的を告げた。彼は微笑んで、同座をゆるしてくれた。
彼は大学で仏法を教えている僧侶だった。
二千年前に彼らの祖、ブッダが行ったと同じように、今も寺院を持たず、木の下で説法する数少ない僧なのだと言う。
「雨が降った時はどうするのですか?」
学生の言葉を翻訳すると、僧はニコニコと答えた。
「その時は屋根の下で昼寝をしているよ」
それからの二時間は、講義とは思えない和気あいあいとした時間だった。
皆がよく語り、よく聞いた。日本の学生もニコニコと聞いていた。
講義が終わり、僧は学生に言った。
「明日もよければ聞きにおいで。晴れていたならここにいるだろう」
「雨だったら?」
僧はニッコリと笑う。
「一緒に昼寝を楽しもうじゃないか」
この日のことは、今でも私の心に残っている。
肩から重い荷をおろしたような不思議な感覚とともに。
あの学生からは毎年、年賀状が届く。
そこにはいつも地平線の写真がプリントされている。インドだったりチベットだったり鳥取砂丘だったり、場所はいろいろだ。そしてたった一言だけ、こう書いてある。
「晴れた時には晴れたように。雨の時には雨のように生きていきましょう」と。




