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今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
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不幸の貯金箱

不幸の貯金箱

 魔法の貯金箱を手に入れた。不幸を貯めておけるのだ。不幸なことがあったら貯金箱に小銭を入れる。そうすると不幸がなくなるのだ。

 もちろん、すでに起きてしまった事実が消えるわけはない。貯金をすると不幸を忘れられるのだ。忘れさえすれば人は不幸にはなりえない。俺は不幸と縁のない人間になれる。


 ガムを踏んだ。十円貯金した。財布を落とした。五十円貯金した。会社で大失敗をして、しこたま怒られた。百円貯金した。

 不幸の大小によって貯金する額も増減する。貯金額に応じたぶんだけしか不幸は消せないのだ。


 理不尽なことで叱られた。会社の上司からだ。


「何度、注意させるつもりだ! お前には記憶力がないのか!」


 完全なパワハラだ。上役に報告しておいた。それから帰って百円貯金した。

 財布がなくなっていた。どこかですられたのだ。警察署に届け出た。警官は俺の顔をじろじろ見た。不愉快だ。五十円貯金した。

 靴がなんだかベタつく。底を見るとなにやらガムのようなものがくっついていた。いつついたのだろう。十円貯金した。


「あなた最近、怒らなくなったわね。あんなに怒りっぽかったのに」


 妻が言う。


「気が長くなったのね。うれしいわ」


 妻がうれしいと俺もうれしい。いつだって妻のことを一番に考えている。そうだ、貯金がいい額になったら、その金で妻と旅行に行こう。結構な額が貯まっている。豪華な旅になるぞ。


 不幸がやってきた。妻が死んだ。自動車事故で即死だった。俺は霊安室に眠る妻の顔を直視できず、駆け出した。家に駆け戻り貯金箱にとりすがった。震える手で財布から千円札を取り出して貯金箱に入れた。俺の震えは止まらない。五千円札を入れた。俺の震えは止まらない。一万円札を入れた。俺の震えは止まらない。

 銀行に走り、全財産を貯金箱に突っ込んだ。震えが止まらない。

 じゃりん! と大きな音がして貯金箱の底が抜けた。小銭が音をたてて雪崩落ち、札が舞う。あわてて貯金箱に接着剤をつけ底を張り付けようとしたが、どんな糊類を使ってもはしっこさえくっつかない。俺は床にくずおれた。


「なんでだ……」


 のろのろと立ち上がると病院に戻った。妻はかわらず目を瞑り、青白い顔で眠っていた。俺は妻のそばに立ち、彼女の頬を撫でた。冷たく固い。生きていないとすぐにわかった。

 俺は妻に口づけをした。ひやりとしていたが、確かに妻の唇だった。両の目から涙が流れた。次から次から流れて止まらない。

 どうして俺は妻を忘れようとなどしたのだろう。妻の辛さを忘れようとなど。

 覚悟を決めた。痛む胸を抱えて、生きていくのだ。妻の思い出と共に、生きていく。

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