開かずの間
開かずの間
彼の家には開かずの間があった。子供の頃、遊びに行くと一番にその部屋の前に行った。
家の最奥に向かう、ひんやりとした木造りの廊下を足音を忍ばせて歩いていく。その廊下を通るとき、なぜか音をたてないようにしてしまう。廊下の突き当たりは漆喰の壁になっていて、一枚の木の扉がある。取手や桟はなく板が塗り込められているだけに見える。
その戸板の上部にしめ縄がかけられ何かの御札が張ってあった。
「触ったらだめだよ」
彼は私の服を引き、扉から遠ざけようとした。私は振り返り振り返り扉を見返りながら、彼に引かれるまま廊下を戻った。
彼の父親は彼が高校生の時に亡くなった。母親は元から居らず、若くして家を継ぐことになった彼を、私は同情半分、羨望半分で見ていた。あの扉を彼が継承したことが羨ましくて仕方なかった。
「扉を開けようと思うんだ」
彼がそう言ったのは二十歳の誕生日だった。
「あの扉が原因だと思うんだ」
彼の家系は皆、短命だった。彼が知るかぎり四十まで生きたものはいない。嫁いできた嫁たち、彼の母も含めた女たちも皆、若くして亡くなっている。
昔から開かずの間に何故か執着していた私は、一も二もなく賛成した。
決行の日、私は彼に招かれ、数年ぶりに扉の前に立った。扉は昔と全く変わらず、そこにあった。彼は私に背を向けると扉の上のしめ縄と御札をむしりとり、投げ捨てた。扉に手をかけ、揺すったり叩いたりしていたが、扉はびくともしない。ただ、扉の向こうで音が反響していることは感じられ、奥に確かに部屋があることがわかった。
彼は庭から薪割り用のナタを取ってきた。振りかぶり思いきり扉に叩きつけると、扉にあっさりと割れ目が入った。彼は何度もナタを振り下ろし、とうとう人が通れるほどの穴を開けた。そこからヒヤリとしたかび臭い空気が流れ出す。彼はナタをぶら下げたまま部屋に足を踏み入れた。私は恐る恐る扉から中を覗きこんだ。
三畳ほどの板張りの部屋の真ん中に、大きな木箱が置いてある。その箱に継ぎ目はなく、箱を調べていた彼はナタを振るって箱を叩き割った。
箱の中には何も入っていなかった。ただ、一瞬、生臭い臭いがして、それが彼の方に流れていったように感じられた。
開かずの間にまつわる話はこれだけである。ただ、彼は今年三十九歳になった。
「行かなきゃならないんだ」
誕生日にそう言い残して彼は失踪した。彼の家は彼の高校生の息子に引き継がれた。
私は彼の息子を訪ねるたび、開かずの間に向かう。今はもう戸板がはずされ何もない部屋だ。
「また入るんですか」
言われて振り返ると彼の息子がにっこり笑っていた。
「とられちゃいますよ」
「とられるってなにを?」
「しじゅうを」
そう言った彼の息は生臭く、彼と似つかない笑顔は私をぞっとさせた。私は思わず後退り、開かずの間に足を踏み入れてしまった。
「とりますよ」
私は逃げ出し、二度と彼の家には行っていない。
明日、誕生日を迎え、四十になる。だが、その前に行かなければならない。どこへかは分からない。ただ、行かなければならない。そう感じる。
家を出ると彼の息子が立っていた。継ぎ目のない木箱を抱えている。私は箱に息を吹き掛ける。自分の息が生臭いことが分かる。
「行ってらっしゃい」
それが最後に聞いた音だった。私は、私たちは皆、新しい木箱に閉じ込められていた。そして新しい開かずの間が作られる。
私は開かずの間を手に入れることが出来たのだ。深い満足のため息を吐く。生臭いその息は木箱の中に溜まっていった。




