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今日のおはなし  作者: 溝口智子
金の糸 15
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年の瀬に

年の瀬に

奉書紙を引き伸ばし、文鎮を据える。


硯に水を一滴、ゆっくりと墨を磨る。


水を一滴、また一滴。


落としては磨り、磨っては落とす。


単調に手を動かしながら、頭の中では書き付けるべき言葉をまとめて行く。


`置き土産


`年賀の品


`筆、墨


そうだ、箸もいるな。


長く真っ白なヒゲを撫で下ろしながら、翁は一人うなずくと墨を置き、筆をとって


`箸


と、まずそれから書き付けた。


くすくすくす、と背後から聞こえた忍び笑いに振り返る。


童子が両手で口をおさえ、こらえきれぬと言った風情で笑っている。


「なんじゃ、もう来ておったのか」


「はいな。働き者は支度が早い。


 しかし、じじ様。書き付けの巻頭に『箸』とは。


 いかにも食い気のたった御前様らしい」


「そう笑うものではないよ。なにせ正月の小豆餅は何よりの楽しみ。


 お前様だとて楽しみで涎が止まらぬのだろうに」


「さても。われらの楽しみなどというものは、小豆餅程度なものゆえ」


「なにをなにを。次の春にはこの屋に赤子が来ようほどに」


「なんと、赤子か。それはめでたい。ようよう祝おう」


「おうおう。祝うてやってくれ。


 そうじゃ、お前に置き土産をと思うておった。こりゃ書かずに済んだわい」


じじは袂から一本の細い棒を取り出して童子に渡した。


「筆の軸か?」


「そうじゃ。赤子が産まれたら、最初の髪で筆をお作り。文字が上達しようほどに」


「ありがたや。いただいておこう」


童子は未完成の筆を懐に仕舞う。


「さてさて。お前が来てくれたなら、この家のことは済みとしよ。


 ゆるりとさせてもらおうぞ」


「何を、じじ様。年の暮れまでは御前様の仕事。きりきり働いた、働いた」


手枕に横になろうとしていた翁は、童子に追われ立たされた。


「いやいや、年寄りは敬いたまえよ」


「何を、じじ様。昨年の暮れは同じことを前の歳神になされたろう」


じじはにやり、と笑う。


「おう、お前、どこぞに隠れて見ておったか」


童子もにやり、と笑う。


「同じ歳神のすること。見えまいか」


じじと童子は顔を合わせてカンラと笑う。


これはどうやら良い歳になりそうな気配でござる。

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