年の瀬に
年の瀬に
奉書紙を引き伸ばし、文鎮を据える。
硯に水を一滴、ゆっくりと墨を磨る。
水を一滴、また一滴。
落としては磨り、磨っては落とす。
単調に手を動かしながら、頭の中では書き付けるべき言葉をまとめて行く。
`置き土産
`年賀の品
`筆、墨
そうだ、箸もいるな。
長く真っ白なヒゲを撫で下ろしながら、翁は一人うなずくと墨を置き、筆をとって
`箸
と、まずそれから書き付けた。
くすくすくす、と背後から聞こえた忍び笑いに振り返る。
童子が両手で口をおさえ、こらえきれぬと言った風情で笑っている。
「なんじゃ、もう来ておったのか」
「はいな。働き者は支度が早い。
しかし、じじ様。書き付けの巻頭に『箸』とは。
いかにも食い気のたった御前様らしい」
「そう笑うものではないよ。なにせ正月の小豆餅は何よりの楽しみ。
お前様だとて楽しみで涎が止まらぬのだろうに」
「さても。われらの楽しみなどというものは、小豆餅程度なものゆえ」
「なにをなにを。次の春にはこの屋に赤子が来ようほどに」
「なんと、赤子か。それはめでたい。ようよう祝おう」
「おうおう。祝うてやってくれ。
そうじゃ、お前に置き土産をと思うておった。こりゃ書かずに済んだわい」
じじは袂から一本の細い棒を取り出して童子に渡した。
「筆の軸か?」
「そうじゃ。赤子が産まれたら、最初の髪で筆をお作り。文字が上達しようほどに」
「ありがたや。いただいておこう」
童子は未完成の筆を懐に仕舞う。
「さてさて。お前が来てくれたなら、この家のことは済みとしよ。
ゆるりとさせてもらおうぞ」
「何を、じじ様。年の暮れまでは御前様の仕事。きりきり働いた、働いた」
手枕に横になろうとしていた翁は、童子に追われ立たされた。
「いやいや、年寄りは敬いたまえよ」
「何を、じじ様。昨年の暮れは同じことを前の歳神になされたろう」
じじはにやり、と笑う。
「おう、お前、どこぞに隠れて見ておったか」
童子もにやり、と笑う。
「同じ歳神のすること。見えまいか」
じじと童子は顔を合わせてカンラと笑う。
これはどうやら良い歳になりそうな気配でござる。